ハロウィーンって何?
ハロウィーンに対して、こんな意見は初めて。
日本は飽食の社会。(反論もあると思ひますが)
明日食べるものの心配の無い今日が続くと、人間は旗本退屈男・女になる。
旗本退屈男・女といふのは、フリータイムを持てあまして、なんでもいいから刺激を求めて人目を惹く派手な衣装をまとって街をさまよふ人のことです。
つまりは、東京とか大阪とかの大都市の繁華街にゐる、普通の若者のことですよね。
けれども、たださまってたらバカみたいなので、何か、理由がほしい。
それで、日本では、群れて騒いで楽しむため、つまり
イッツ・パーティ・タイム
のネタとして次々と目新しいものをさがしてゐます。
このところ、ハロウィーン。
クリスマスに飽きたからだらう、くらゐに、わたしは思ってたんですが。
そして、日本人といふのは、こんなふうに外国のものをどんどん取り入れて、最終的には日本の文化の中に消化してしまふんだらうと楽観してゐました。
だから、この↑記事を読んで、びっくり。
去年の梨泰院の事件
といふのも、知らなかった。
記事を書いたあやのんさんは、コメント欄では次のやうにも述べていらっしゃいます。
一番、嫌だなと思ったのは、何の祭りかよくわからず、集まってしまった人たちの行為が、魔に力を与えると言うことです。
そこが、気持ち悪いところだと思いました。
本人たちには悪気が無くても・・・。
目に見えない世界の話ですけどね😆
わたしも、ネット検索してみました。
起源としては、ケルトの収穫祭。十月三十一日は、ケルト歴の大晦日に相当するそうです。新年前の夜、先祖の霊と共に悪霊もやってくるといふので、悪霊のお面などを被ってなりすましによって悪霊たちをやり過ごそうとしたのが仮装の始まりだとか。
さうしたお祭りが、移民によってアメリカに伝へられ、それがアメリカ文化に吸収されて、
アメリカンなバカ騒ぎといふアメリカ文化行事となったんだと理解しました。
敗戦後の日本人は、アメリカンバカ騒ぎに、むしろ、憧れたのかもしれません。
アメリカンバカ騒ぎの定義は、楽しくてたまらないといふ演技をみんなでするための集まりです。
ただ、ハロウィーンについては、単なるバカ騒ぎですましてはいけない面があるやうです。
この↓サイトも、あやのんさんが紹介されてゐたものです。
ネット検索しかしてゐないわたしには、このサイトで述べられてゐることの真偽が判断できませんが、かういふ見方も必要だと思ひます。
何にしろ、日本とはまったく異なる、ユーラシア大陸の文化から生まれたものです。
家畜はまず食べるために育てる文化。
神への捧げものからは、必ず、血が滴ります。
一方、馬も牛も食べるものとしては育てなかった日本人。
生贄といふ考へがなく、人を神に奉げるのは人柱などです。
人柱の場合でも、赤ん坊の首を切ってその血を氾濫する河に流すなんてことはありませんでした。(水乞ひのため、魚の血を河川の岩に塗るといふのはあったらしい。お魚さん大迷惑)
発想が違ふ。
血は見たくないのが、日本人。
神でも悪魔でも、血のしたたる生贄が無いと祭りにならないユーラシア大陸の文化。
血を見たい。
お祭りとなれば、いっぱい人が死んで殺されて大騒ぎして笑ひころげないと気が済まない。
魔女狩りなんて、ユーラシア大陸の文化の典型的なフェスティバルでしたね。
そのまんま、取り入れていいんですか?といふ疑問が生じるのはもっともだと思ひます。
アメリカンなバカ騒ぎは躁的防衛です。
別に、躁的防衛でもいいんです。
アメリカ人みたいに笑ひながら踊るな!とは言はないけど、病的な反応であることは、自覚しておいたはうが無難かも。
現代の日本人は、たぶん、アメリカ人が何かといふと躁的防衛としてのダンスを「自然に」行へることに、憧れて、今、一生懸命に踊ってゐるのだと思ひます。
それといふのも、老若男女問わず、アメリカンな躁的防衛が、戦後八十年ちかくの教育によって身に染みてしまってゐる。
ハロウィーンに対して、魔的なものを感じ取れる人は、躁的防衛を行なってゐない、日本人では珍しい人だと、わたしは思ひます。
オマケ。
わたしが本来の踊りと思ふものは、これ↓。
なんか能楽にも通じると思ってしまふ棺桶ダンス。能も死と共に踊ることが多い。生とは真っ暗闇の宇宙の中の輝きだといふ踊り。