呪ひの日本人形のための頌詩
わたくしネトウヨにとっての理想の日本女性を発見。
ふだんは、決して、けたけた笑はない、騒がない。
怒ってゐるのか喜んでるのか泣いてゐるのかが誰にでもわかるやうな、
そんな西洋人の尻軽女みたやうな表情はしない。
淑やかさとは、
うちにこめてめったなことでは外に出さないといふ自制心の持続のことだ。
着物はさういふ種類の淑やかさを形にできる衣服である。
西洋のドレスと比べれば、まるで拘束衣。
呪ひの日本人形が、突然、狂ったやうに踊り出す。
女が踊るとき、どんな女であれ、女なら、
どうにかして肌をより多く見せたい。
けれども着物を着てゐる限り、どんなに乱れて動いてみても
肌が見えるのは、指先、手首であり、
せいぜいが
烈しい動きに袖がめくれて
二の腕がどうにか露出するまでのことだ。
ノースリーブの女にすらかなはない、はかない露出。
けれども、
わたしたちの目は見てゐる。
すべてを脱ぎ捨てて踊ってゐるときより、さらに
より確かな日本人形のやわらかで
かわいらしく
幼気(いたい)な身体を。
奔放な動きとも見える踊りが続いても、
西洋のドレスを着てゐるゾンビと比べると一目瞭然、
動きは制限されて、
けっして自由に飛び回ってゐるわけではない。
だからこそ、
どんなに跳ねてみても、叫んでみても、
つきまとふ生硬さから抜けきれない。
だからこそ、
この呪ひの日本人形の激しい踊りは、
何かを表現できてゐる。
そこで、
人々は誰もが
さうしようと思ったわけでもないのに
諸手を上げて手を叩きだす。
熱狂の頂点で、またもや、突然に踊りをやめた途端、
呪ひの日本人形は、誰とももはや目を見かはすこともしない。
笑ひ合ったり手を取り合ったり抱き合ったりすることをせず、
ふたたび、すっかり表情を閉ざして、
自分の心だけに秘めたものと共に、
独り、歩き出す。
もう、
呪ひの日本人形が
笑ってゐるのか泣いてゐるのか
誰にもわからなくなった。
まだ興奮して声をかけたり手をふったりしてゐる人たちは
歩みだした呪ひの日本人形に、
一人残らず
すっかり取り残されてゐる。
けれども、
一人残らず
誰の心にも何かが伝へられた。
独り歩いて心に秘め続けてゐるなにものかの一端が、
あの踊りによって表現できたのは、
着物が動きを制限するからだ。
踊りの最中(さなか)でも、
人から読み取れない無表情を保つ
克己と貞操に支へられた優美を
呪ひの日本人形が
決して喪はないからだ。
・・・・・・
オマケ
この動画に対するコメントの中にも
制限されたことによって表現されたものを感じとってゐると思はれるものがありました。
日本人の感性はまだ滅びてゐない、と
わたくしネトウヨは、嬉しく思ひました。
日本人形さんは全員好きですけど、この方の表情を崩さない人形ぶりが好きです
この日本人形さんのキリッとした顔立ちと ダンスの色っぽさが一番 好感持てる❤
指先や手の動きになまめかしさがありますね😆
わたしは、
踊り終はった直後に短く叫んでから、きゅっと両手の拳を揃へるところ
に萌えます。これって、けっこうエロい。
↓こちらの呪ひの日本人形さんは、ちょっとお姉さんな感じ。
踊りも力強さがあって、表情も出る。
露はになった腕がたくましい( ´艸`)
コメント欄には、
この方の日本人形はちょっと幽霊感もあって凄く素敵…もっと観たいですね✨
ラストで笑顔になるのが最高にいい
などといふものがありました。
幽霊といふのは、人形ではなくなってゐて、
人間的になってゐるってことだと思ひます。
表情もけっこう出してゐる。
わたしが推してる呪ひの日本人形さんは、
このお姉さんに比べると、
ロボット的で
能楽的な踊りをしてゐます。
能はゾンビのダンスです。