女の恥じらひについて

恥じらひの定義
男の性欲の対象である女・であることに対する・戸惑ひや恐怖を感じて、
「恥ずかしい」といふ言葉で表される感情や行動によって自分を守ろうとすること

恥ずかしいことを強いられると、恥辱となる。
女として穢されたと感じる。

おそらくヒトにおいては、チンパンジーやボノボのやうな乱交を防ぐための心的装置。

恥じらひを持つ女は、自分を狙ふすべての男性から自分を守る=自分を性的に独占所有する男とペアになる。

すると、女の恥じらひは、ヒトの女の本能とも言へることになってしまひ、
もし、そうなら、恥じらひは、男の暴力性・破壊性・殺戮性・支配性と同じく、容易には根絶できないものと言はなければならない。

明治大正昭和初期の日本からタイムマシンで現代にやってきた女性たちにとっては、今の女性たちが履いてゐる、ふくらはぎから膝まで見せるスカートは、とても恥ずかしいに違ひない。太腿丸出しの女性を見たら真っ赤になるかも。
その恥ずかしさに共感することは、今の女性たちには難しいだらう。

けれども、自分がノーブラで街を歩くことを考へてみたら何を感じるだらうか?
恥ずかしいと思ふかもしれない。

https://www.youtube.com/watch?v=xhbXAWOnwcA

↑ノーブラ動画。見たい人は見てね。

それで、その恥ずかしさといふのは、

①ノーブラで歩くとジロジロ見る男がゐる
②盗撮しようとする男がゐる
③「お茶しない?」なんて声をかけてくる男すらゐる

といふ、ノーブラでは安心して自分らしく歩けない街であることを
ずっと放置してゐる男尊女卑社会のせいだと賢い人たちは説明してくれる。

放置してゐるのは、社会が男性目線だけから構築されてきたからだ。

だから
恥じらひ
れいわ新選組の山本太郎さんみたいな
人権意識マックスの人が大統領になれば、完璧にクリーニング・アップできる

実際、男女平等、人権意識の行き届いた欧米社会では、
女性たちは、女であることについて・男性に対して持つ・恥じらひなんていふ・男尊女卑社会の・黴の生えた観念と感性なんて、もう知らない。

わたしが若い頃には
外人宅の外人の女の子がクスクスっと笑って口を両手で覆ったら、外人のお母さんに叱られてた。
「あなたは、何か、恥ずかしいことでもしてるの?」
って。
女性が笑ふときは、男性と同じく、大口開けて、歯茎も喉〇〇〇も丸見えで笑ふべし。
なんで女だけ、恥ぢらって口を覆ふ必要があらうか、って話。

このこと、やっぱりわたしがまだ若い頃(若い頃もあったのよ!)、大正から昭和初期に生まれたおば(あ)さんたちと雑談してた時にも聞いたことがあります。
「口を覆ふんぢゃない、って女学校の女先生に言はれたよ」
その先生は、常々、
「結婚しても主人なんて絶対に言ふな。あんたたちは召使ひでも奴隷でもないんだから」

たぶん、先生は明治生まれかな。
男子なんかめぢゃないくらゐ勉強のできる女の子だったんだらう。
そして、男尊女卑社会に人権を蹂躙されながら、未来の日本に希望を託して、女学校で教へてたに違ひない。

ちなみに数学の先生だったんだって。
どうでもいいけど、独身だったさうです。
わたしの勝手なイメージだと処女っぽい。その女先生にとっては男なんて馬鹿すぎてセックスもできなかったんぢゃないかしら。

なんか、話が逸れたけど、とにかく
日本はなんでも欧米といふ国際社会に見習はなければいけない。
っていふか、国際社会のそっくり同じになるのが、どのみち日本の未来だと思ひます。


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