わたしの信仰(承前)
引用させていただい記事にある流れ星みたいな光り。
ちゃうど少し前にも見ました。
まさに日の沈む山辺に向かって、ときたま、顕はれる。
とっても綺麗です。感動します。
真相については、引用の記事を見てください。
その後は、よく見かける。戦闘機の航路になってるらしく、晴天の日は、夏でもはるか高空に一筋二筋の飛行機雲が、毎日、朝夕に、見えます。
秋になって日の沈む場所がバルコニーから見えるやうになった時期なので、頻繁に見かけるやうになったのだと思ひます。
もし、インターネットが無かったとしたら私たち親子はどう行動しただろう?
出木杉君のような友人に聞くなり、図書館へ行って調べるなり「なんだろう?」の時間をきっともう少し長く楽しめたに違いない。もし今度「なんだろう?」に出会ったら、氏を頼らずに行動してみたいと思う。
この記事をお書きになったayumiさんは、かう書いていらっしゃいます。
インターネットの無かった時代なら、たちまちUFO現象とされて世界中に広まったと思ひます。「実は~だ」といふ情報が後を追っても、いったん広まった「UFOだ」といふ確信を消すことはできなかったと思ひます。
そんなふうにさまざまな錯覚や思ひ込みが、伝聞として人々の間を、二十世紀になる前の何百年、何千年もの間、気ままに飛び回り続けることができたのだと思ひます。現代科学の「実証」に捕獲されるまで。
わたしたちは、不思議なものに飢えてゐます。
科学技術文明の都市生活の中で、わたしたちは、不思議なものに飢えてゐます。二十世紀になってから、それまで不思議だったものが片っ端から「科学的に解明」されてきました。
もう妖怪はゐないし、幽霊も出てこない。森に行った人から「今日は妖精がゐたよ」といふ話はとんと聞かなくなった。
かうなると、あとは、UFOとかUMAとかOOPARTSとかアルファベットで表記されるものに頼るしかなくなって来てゐます。
不思議に対する願望と科学知識がへんな具合に混じると、科学的陰謀論と一般には呼ばれるものになるのだと思ひます。
ケムトレイル散布とかHAARPとか。
ほんたうかもしれませんが、わたしは信じてません。
主張する人たちは不満でせうが、一応、体制側からは「陰謀論」とされてます。
ファクトチェックセンターがまさに陰謀論が正しいことを証明してゐる、って話もありますが(・∀・)
真偽は、みなさん、それぞれで判断してくださいね。
とにもかくにも、
わたしたちが見てゐるものだけでなく、見えない何かも存在してほしい。
それが人類に隠れて悪いことをしてゐる権力者でもいいから、とにかく、こんなつまらない現実をひっくりかへしてほしい。
さう願ふ人が科学の知識を駆使して、人口削減計画とか人工地震とか天候人工操作とかの陰謀を探り出すのかもしれません。
かうした陰謀論は、その背後にある人の欲望、つまりは支配欲みたいなものを透かして見ることができるので、バカバカしいと笑ひ転げる人に対しては、ちょっといやな気がしたりします。
陰謀論を考へ出したり信じたりしてゐる人の気持ち。
それは、わたしたちの気持ちとかけ離れたものではないと思ひます。
生きてゐることには意味がある。
この苦しみ、この喜びには、理由があって原因があって、わたしたちは何かを学ぶことができる。
学ぼうといふ謙虚な姿勢があれば、現実は、わたしたちに何かを教へてくれる。
そして、それは「喜ばしき知識」、福音である。
・・・さうあってほしい。
その気持ちは否定できない。
出木杉君のような友人に聞くなり、図書館へ行って調べるなり「なんだろう?」の時間をきっともう少し長く楽しめたに違いない。もし今度「なんだろう?」に出会ったら、氏を頼らずに行動してみたいと思う。
「わかった」「もう知ってゐる」と思ふ人の態度は二つになります。
①頑なな宗教信者。
②冷笑するひろゆき氏的な「頭のいい人」
わたしは、出木杉君のような友人(=インテリ、学者、専門家)に尋ねたりしながら、頼らずに行動してみたいと思う。
わたしは、見えない世界を信じてゐるから。