芸術、特に小説について
影山民夫さんといふ作家の『わたしはいかにして幸福の科学の正会員になったのか』といふ本を読んだことがあります。
1992年に出版。影山氏の没後に読みました。
当時すでにテレビを視なくなってゐたわたしは、影山氏のことは知りませんでしたが、なにかのきっかけで、人気作家が不慮の死を遂げたと知り、さらに、その人がシン宗教の信者だったと聞いて関心を持ちました。
そのころのわたしは、なんでもいいから信じられるものがあれば信じたいといふ思ひでいっぱいでした。宇宙船としてのUFOは実在しないなと確信して、UFOは人の心の中を飛んでゐるのだらうと思ったころです。
現実の中に非現実的なものがひとつも無いとしたら、わたしは生の軽さに耐へられるのか?
わたしにとって作家などといふものは、懐疑主義の権化のはずだから、そんな人が疑ひを突破して信仰に入った経緯を述べてゐる本を読めば、自分にも希望があるかもしれないと思ひました。
わたしが勝手に抱いてゐた期待はすぐに裏切られました。影山氏は、宗教団体の信徒になる前から、亡くなった娘さんの霊と対話してゐたといふのです。門前払ひを喰った感じでした。
それでも内容は興味深く、その日のうちに読み終へました。文体は軽くてすらすら読めてしまへて、この人はほんたうに作家なのか、実質的にはライターなのではないのかといふ気もしました。
今でも印象に残ってゐるのは、大川隆法氏の語る宇宙創成の歴史や数次元にも重なる霊界の様子は、霊を信じる影山氏でも、さすがに荒唐無稽すぎると感じたといふことを正直に書いてゐたことです。影山氏は、咀嚼できないものは丸呑みしてでも受け入れようとする自分の様子を描いてゐました。
わたしは、宗教を信じるとはどういふことなのかとよく考へてゐます。信じてゐない自分にはそれはわからないといふのがいつも辿り着く結論です。
信じるやうになれば、わかるに違ひない。
信じてゐないわたしからは、例へば、キリストが人類のために贖罪したといふ話は、信じる人の心の中にある、願ひと怖れが紡ぎ出してゐるやうに聞こえます。
宗教の物語は、幻燈が映し出す絵のやうに、色鮮やかで、美しい。
映写幕に映し出されるのは、透明な硝子板に描かれた絵です。
そもそも脳の行ってゐる認知といふことを比喩的に語れば、わたしたちは、ひとりひとりが幻燈を携帯してゐる。手持ちの透明な硝子板に、自分の絵筆を使ってつたない絵を描き込む。そして、物理的な時空に、それを映し出して「現実だ」と思ってゐる、と言へるでせう。
宗教は、すでに描かれた既成の硝子板を信徒に配ってくれるのだと思ひます。
信徒となって見える現実は、みんな、同じです。
これは、群れて生きる動物である人間にとって、ひとつの救ひです。
宗教に限らず、政治思想やら哲学やら、同じ硝子板の絵を量産して配ってくれる分野はたくさんあります。
むしろ、わたしたちのうちで、自分でコツコツ自分の絵を描いて自分の現実だけ見てゐる人は、狂人と呼ばれる人以外にはゐないだらうと思ひます。
狂人ではなく正常な人は、出来合ひの、誰かが絵を描き込んだ硝子板を、自分の幻燈に仕込んで、同じ現実を共に見てゐる人と共に、安心したり不安になったりしてゐます。
文学、特に、近現代になってからの小説といふ分野では、自分でコツコツ自分の絵を硝子板に描いて自分の現実だけ見てゐる人が作家です。
さっきは狂人と書きましたが、同じタイプの人が、小説を書くことによって、近現代の社会から狂人としてはみ出したり追放されたりするのを免れてゐます。
画家は実際に何もない画布に自分の現実を描きます。その絵のどこが、子供や私たちが絵の具を塗りつけたものと違ふのでせうか?
芸術の不思議はここにあると思ひます。
芸術とは逆の方向で、出来合ひの現実を一つ決めて、それをみんなで共有すると、それは思想になったり宗教になったり芸能になったりする。こちらの方向で共有された現実は、人々をかならず集団化させるからです。
芸術は、特に小説は、人を孤立させる。
もし誰か作家のファンとして人が集ってゐるとしたら、その作家の書いてゐる作品は、小説といふより、歌謡曲などに近いものだと思ひます。
集団化はするものの、それらの元になった最初の一つの硝子板の絵は、誰かひとりだけの現実でした。
キリスト教を例にとれば、キリストといふ人物を創り出した人(福音書の著者など)に見えた現実が、無数の人にとって、幻燈の映し出す現実となって共有されました。
ひとつの宗教を生み出すやうな人物は、何の意味も無い世界を画布に見立てて、自分の絵を描く能力があったのだらうと思ひます。
ヒトラーは若い頃には画家を目指したさうですが、政治とかかはってゐるうちに、世界がなんの意味も無い真っ白な画布だと気づいてしまったのだらうと思ひます。
ヒトラーは若き日に画家を目指してから、自殺する当日まで、生涯、芸術家だった・・・・
と言へないことはないと思ひます。
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