性別変更と性の非対称性
性同一性障害のある人が戸籍上の性別を変えるには、生殖能力をなくす手術が必要となる法律の規定が、個人の尊重を定めた憲法13条に違反するかどうかが論点となった審判で、静岡家裁浜松支部は12日までに、「憲法違反で無効」との判断を示し、申立人の性別変更を認めた。11日付。弁護団によると、規定を違憲とした司法判断は初めて。
申立人は、戸籍上は女性で性自認が男性の鈴木げんさん(48)=浜松市。取材に「同じようにジェンダーを否定されてきた子どもたちに希望を与えられたのではないか」と話した。
2004年に施行された性同一性障害特例法は、性別変更の要件の一つとして「生殖腺がないこと、または生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」を規定。事実上手術を要する内容の是非が議論になっており、最高裁は年内にも憲法判断を示す見通しだ。
同支部の関口剛弘裁判長は審判理由で、手術要件を不要とした場合に生じ得る問題の程度は限定的だと指摘し、規定は憲法違反と結論付けた。
この審判の申し立て人の方は、髭面のおっちゃんで、顔も体つきも、男性にしか見えない。
四十歳のときに乳腺を取り去り男性ホルモンの投与を受けて、今は、女性の伴侶と暮らしてゐるとのことです。
外見的には男性としか見えないが、卵巣は残ってゐるといふ。
もういいでせう、このまま男性と認めて、戸籍の性別も変更させてくれといふ申し立てだったようです。
手術要件は違憲だとする人の記事でよく見かけるのは、WHOの共同声明。
WHOは、「強制不妊手術の撤廃」といふ共同声明(2014年)において、「身体的不可侵性、自己決定、人間の尊厳の尊重に反する」として、トランスジェンダーへの不妊手術要件に反対の意見を述べたさうです。
つづいて、2015年、国連人権高等弁務官も、「身体的不可侵性、自己決定、人間の尊厳の尊重に反する」として、トランスジェンダーへの不妊手術要件について反対を表明したそうです。
性別をトランスファーしたい人、しなければならない人に、身体を傷つけ、リスクのある手術を課すのは人権侵害だといふ理屈もありかもしれません。
この理屈が通ると、男性器が残ります。
これがなかなかやっかいなことだと思ひます。
男性器って、男性に優るとも劣らず、やっかいだからです。
わたしは、いつも、
男女は非対称だ
と主張してゐます。
宇宙人がUFOから降りて地球の動植物を観察したとき、人間に男女があるとは絶対に思はない。男といふ動物と、それとはまったく異なる女といふ動物がゐるのだと思ふに違ひない。
種の異なる動物同士が、妙なことをして再生産する様子はまことに興味深いなどと、宇宙人の生物学会で発表されそうです。
宇宙人には体色の違ひはあっても、男女の性別なんか無さそうだし。
トランスジェンダーの問題にも、宇宙人もびっくりの・男女の性の非対称性はついてまはってゐるなと感じました。
男性が女性の身体になる場合、外部に見えてゐる性器を切り取ればいい。
後は、ホルモン投与。
ところが、女性が男性の身体になるには、外部に見えてゐる乳房の他に、身体の内奥にある卵巣を摘出する必要がある。
これは、男性と比較すると、すごく負担が大きい。
それからもう一つの違ひ。
男性としか見えない顔と身体の人に、卵巣があっても、誰にも脅威にはならない。
どういふことかと言ふと、男性器があると、たとへ、顔が美女で、乳房が立派でも、女性にとっては、お互ひにすっぽんぽんで向かひあったとき、その人を自分と同じ女性だと見るのは難しいと思ひます。
これって社会的な差別意識であって、教育などで矯正できるのでせうか?
まあ、意識は変へらるでせうが、男性器は残ります。
それでも男性器は残る。
なんか映画の題名になりそう。←なれへんって、
相手に男性器がついてるかぎり、女性としては、その人と一緒に裸になったり、密室で二人きりになったりする気にはなれないだらうし、二人きりになってしまったら、相手の心が完全に女性であると知ってゐても、一抹の不安や妙な居心地のわるさは残ると思ひます。
けれども、しかし、さうではあっても、
恋人とか夫婦関係になってしまへば、話は別。
愛情関係になれば、身体的な性別はどうでもよくなることもある。すべては愛情が決める。
これは、今議論してゐることとは、別次元のお話です。
個人の関係において、男性器があるとかないとか、それは当人たちの取り扱ふことで、「社会的な性別」に関する・トランスジェンダーの定義がどうあらうと当人たちには関係が無い。
両性具有の人もゐて、その人も誰かと愛情関係を持ちます。
恋人もしくは伴侶は、男性かもしれないし、女性かもしれない。両性具有の人かもしれない。
愛情関係だから、もう、そのときは、性器がどうといふ話は、どうでもいいことです。
さて、元の「男性器」の話―に戻ります。
わたしは関西人なのですが、「大阪のおばちゃん」風な女性が、駅の男子トイレの中に入って来るのを十年くらゐ前にやっと経験しました。
「どいてぇな、もう」と押しのけられて、なんかあんまり都市伝説どほりで、驚くよりも、嬉しかった。
子供のころから話には聞いてたけど、ほんまやったんや!ほんまに、をるんや、男子トイレに突入してくるおばちゃん!
驚きましたが、コワイといふ感じは全くなかった。
若い頃、旅行先で入った銭湯に、倶利迦羅紋紋のヤクザ男が、愛人らしい若い女性を男湯に連れて来てゐるのに出くはして辟易したことがありますが☆、そのときも、その全裸の女性がコワイとは思ひませんでした。
コワかったのはヤクザのはうでした。
(☆わたしはかういふ経験が何度かあります。ヤクザ的な男性が女性を男湯に連れて来るって、なんかエスエム的なプレイなのかも)
やはり、それは、身体の、特に性器の形状とか性能の違ひによるのだと思ひます。
髭面でマッチョな、戸籍上は女性の人が、男湯に入ってきても、たぶん、男たちは脅えることはないと思ひます。
よく見たら股間に女性器があったとしても、「あれ?あんた、無いやん?どっかで落としたん?」と驚くかもしれませんが、逃げ出しはしないと思ひます。
かうして考へてみると、女性用の更衣室・トイレや女湯やエステなどを女性として、服を一部脱いだり、裸になったりして利用するのなら、男性性器を切り取ったトランス女性に限定されるのは、仕方ないなといふ気がします。
男性器といふのもは、
女性器を持って生まれた人たちにとっては、
性的凶器となり得るからです。
去勢といふ言葉は、まさにそのことを示してゐると思ひます。
動物の、殊に雄性の性巣を除去、または働かなくすること。
畜産では、性質をおとなしくし、上質の肉を得るようにするために行はれる。 広辞苑より
これは、男女平等に反してゐます。
人権蹂躙だとも思ひます。
ただ、この責任は、性器を(宇宙人もびっくりするくらゐ)男女でまったく異なるものにした者が、取るべき責任だらうと思ひます。