オカマとは誰のことなのか
オカマは差別用語であるさうです。
では、どう呼ぶのが政治的に正しいかといふと、
オネエ
らしいです。
あら、わたし、知らなかったわ。
わたしはオネエ言葉を使ひますが、この記事ではこの
オネエ言葉と、
その使ひ手(オネエ話者)
について考へてみたいです。
先ず、オカマといふ言葉に関しては、いはゆる「当事者」でも、これをひどく嫌ふ人と平気な人、それから偽悪的に言はないでもいいときでも人に言ふ人などがゐました。
でも、オカマといふ言葉を嫌ふ人たちの代表として、あの大御所が次のやうな発言をしたらしいです。
以下、引用・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(美輪明宏は、)同じLGBTの当事者であるおすぎとピーコに対しては、
おすぎが口にする「どうせ私たちはオカマだから。」という物言いに対し、
「自分は同性愛に対する偏見に対して闘ってきたのに、
あの二人はテレビで、偏見に満ちた蔑称である“オカマ”と言う言葉を自分達から連呼して、
あえて笑われ者になる事で、同性愛者への偏見を助長している。
折角同性愛が市民権を得てきたのに、歴史が逆戻りする事になる。
その根性が実に卑しい。
消えてしまえばいい。
この、馬鹿者どもが!」
と厳しく批判、
「昔はコンサートや舞台公演等に招待していたが、今は絶縁している。」
と語り、ある時期から会っていない事を公表している。
引用、終はり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わたしは、この大御所が苦手。っていふかキラヒなんです。霊とか生まれ変はりとか、ほんとにアホらしい。
だから、よけいに反発するんだと思ひますが、時代の流れとして、オカマは差別用語で、それを使ふのは
寒い人
ってことになってゐるやうです。
↑ショート動画だから、最後まで見てほしいんですが、この方は、
①かつてのオカマに相当する言葉は今はオネエ
②ふたつの言葉の指示対象は同じ(犬とドッグみたいなもの)
③けれども、オカマは差別用語
④だから、今後はオカマは使はないでね
と言ってゐます。
ここからは、わたしの考へです。
わたしは自分をオカマと言ったりします。
若いオネエさんたちからは老害の寒いヤツらのひとり。
大御所の謂ふ所の同性愛者への偏見を助長している大馬鹿者。
消えてしまえばいい
って、わたしの記事に対するコメントにもあった。
オカマとオネエは、つまりは、敵同士なのかもしれませんが、言葉遣ひとしては、どちらも
オネエ言葉
を使ひます。
オネエ言葉の話者です。
そもそも、このオネエとは何かといふと、わたしの考へでは、
「ニューハーフみたいなホモ」になれなかった人だと思ひます。あ、ホモもダメなのね。わたしは、ゲイって語感がいやなんだけど。げえーって、あれを平気で口にできる人の感性を疑ふわ。
ニューハーフ(トランス女性、男の娘など)は、男性の性欲を刺激できるくらゐ、身体的に(女は顔も体の一部)女に近づいてゐるといふこと。
かつて、女だと思ってセックスしたら、終はった後で男だったとわかった。あまりのショックに、気がついたら首を絞めて殺しちゃってたといふ男性がゐました。
男の人って、終はったら
賢者の時間
が来るから、現実がいっぺんに見えてくる。
男とやっちまった、気持ちワルイ、もうお婿に行けないよ。
こいつが女のふりをしてたからこんなことになったんだ、
こいつ消えろ、←大御所と同じ意見ね
となったらしいです。
やっちゃって出しちゃって、男性がすっかり何もかも見通せる状態になったときでも、
やってよかった、一回得した、またしたいかもって←めっちゃ下品な表現でごめんなさい
と思へるくらゐになれたら、それぐらいの
女体モドキ
になれたら、その人はオネエではなくなります。
自分でもオネエとは言はないと思ふ。
ましてやオカマなんて絶対に言はない。
だから、美輪明宏は自分のことをオカマと呼ばれるのが心底いやだったのだと思ひます。
私は、女なんよりずっと女っぽくて美しい、私こそ女の美と魅力の表象だ
と信じてゐただらうから。
この動画↑くらゐの人になると、オカマでもオネエでもなんと呼ばれても平気だと思ひます。そんなの関係なく、私は男の娘でーすって感じ。
だから、わたしに言はせると、
同性愛に対する偏見に対して闘ってきた
といふ大御所の言葉にある闘ひとは、一言で言へば、
笑ふな!
となる。
可笑しくても、笑ふな!
笑ふのは偏見があるからだ。
笑ふやつは差別者だ!
ってこと。
となると、つまりは、笑はれるやうな容姿だったといふこと。
上の動画の人くらゐになると、女に見えるといふことを通り越して、女としてもかなり可愛いはうで、
嘲笑(大御所たちが偏見とするもの)との闘ひには縁が無いと思ひます。
大御所のことを、みんな、綺麗だ、美しいといふけど、
女として見るには、鼻や口とか大きすぎ。
目鼻の大きさは、歌舞伎の女形なんかだと離れた舞台での見栄えを生むかもしれないけど、テレビのアップなんかになると、ごっつい感じがして全然フェミニンでなくなる。
あのごっつさと女装との繋がりに、どこかちぐはぐ感があり、ふだん見てゐる女性たちとのイメージに(無意識下で)照らし合はせると、やっぱり違和感となる。違和感って笑ひで除去したくなるもの。でなければ、嫌悪や憎悪、そして暴力で。
それで、街で出会った男性たちは、とりあへず、失笑したのだと思ひます。大御所は侮蔑した男たちを怒鳴り返したって話をよくしてる。
でも、絶対に、殴って来ない相手を選んでたと思ふ。
ヤクザにからかはれたからって怒鳴り返したら、一晩中リンチに遭って指もアソコも抜かれて海の底よ。だから、誰もヤクザに逆らはないのです。
喧嘩が強かったとかって恥ずかしいことを人前で言ってゐる人たちがゐますが、相手を選ぶから、武勇談もつくれるわけです。
わたしだって、殴り合ひの喧嘩では負けたことが無いのよ、勝てる相手としかやらなかったから。
笑はれる容姿であること。この事実には、ご本人としては耐へられないと思ふ。
だから、事実からひたすら逃げる。
つまり、毒舌家になる。
毒舌家って、自分自身の事実から逃げてゐる人です。
おすぎが口にする「どうせ私たちはオカマだから。」という物言い
これは、あの人たちが、どんなに一生懸命に女装しても、まったく女を感じさせることのできない身体(しつこいですけど、女は顔もカラダです)を持ってゐたからです。
女装、女を装ふ。
女を装ったら、男性たちが性欲を刺激されて、セックスしたがって、そして、事後に殺されもしない。
そのときのホモ(男性を愛する男性)は、オネエでもオカマでもなく、トランス女性となってゐます。
見事、男性(ホモ)から女性にトランスファー(渋谷方面は当駅で〇〇線にお乗り換へです、といふときに使ふのがトランスファーです)したのです。
わたしも、男性にお嫁さんにしてもらへるくらゐの女装ができたら、もう、自分をオカマとは言ひません。(かつてのニューハーフの人には、男性と「結婚」した人もゐましたから、お嫁さんも夢ぢゃないんです)
そんな夢を持てないわたしは、自分をオカマと称する。
なぜかといふと、
それは、要するに、自分のプライドを守ってゐるのです。
オカマと自分を呼ぶことで、わたしは、女になりきれない自分を守ってゐるのです。
女になれないといふことは、「心が女」のホモにとっては、すごくつらく悲しいことです。
でも、言葉は女性的になってしまふ。
さうすると、人は、よくて笑ふ。わるくいくと、あからさまに嫌悪を示してくる。
笑はれたくも、嫌はれたくもないのに。ただ「心が女」であるだけなのに。
そこで、どうするかといふと、わたしたちオカマは、コメディアンになるのです。
お笑ひ芸人とて、もし、美男美女なら、ふつうに俳優女優になりたかったはずです。(このロジックは、美男美女のコメディアンがゐたら崩れるけど、今のところ、ゐないよね)
別に笑ってもゐない人に対して、自分からすすんで、なんとかして笑はせようとする。これがコメディアンです。
子供の時から人を笑はせるのが好きだった人は、実は、人に笑はれるやうな容姿や境遇だったはずです。
笑はれたときにだけ認められたり、笑ひを先取りしたり、笑ひによって自分の弱点を隠したり、いろいろな理由から、周囲に笑ひの絶えない・ひょうきん者になったはず。
笑ひは人を傷つけるときがある。
笑はれて私たちが傷つくのは、自分が笑はれると思ってゐないことが人の笑ひを誘った場合です。
かっこいい服を着てこれでみんなの称賛と羨望の的だ!と思って人前に出たのに、みんなに妙だ変だ滑稽だと笑はれたら、
また、
私の歌でみんなが涙を流して感動すると思って歌ったら、涙を流しながら笑はれたとしたら、
立ち直れないくらゐの、深い傷を心に負ふ。
コメディアンは、傷つきやすいプライドを持ってゐて、それを守るために、自分の才能を使って人を笑はせる。
だから、お笑ひ芸人には、善意から人を笑はせてゐる人はゐない。
あの人たちの目の奥には、人間に対する軽蔑が潜んでゐる。
できれば、ビートたけしになりたいと、お笑ひ芸人なら思ってゐて、チャンスがあると、社会批評などをやりだす。
俺や私を笑ってゐたお前らの愚かさや欺瞞を暴いてやる。
さう思って、舌鋒鋭く世相を斬るコメンテーターとなり、本を出して、評論家となる。
自分のことを、オカマとかオネエとか言ふ人たちも、同じ精神構造だとわたしは思ってゐます。
わたしのやうな老いたオカマであれ、↑の動画で「オカマではなくてオネエと呼べ」と言ってるお兄さんであれ、なんだか、人の笑ひを取りたがる。
かつてオカマバーといふのがありましたが、みんな、話が面白い。
笑はせてくれる。
でも、棘がある。
善意のコメディアンではない。
一皮めくると、人間や社会に対する私怨を抱くいじけた顔を持つ典型的なコメディアンたちです。
女性と間違はれる段階までいった人は、自分を落として笑ひを取ることはしなくなる。変な顔とか変なポーズで笑はせるとかは一切やらなくなる。
もっぱら、男性だと気づけない相手を落として笑ひを取る。
マツコさんとか、ふつうにみれば、女の服を着るデブのおっさんですから、笑ひの対象のはずなのに、あの姿で、ズバズバと人や社会の批判をすると、みんな納得してたりして、けっこう受ける。
大御所が、中身の無い・武田邦彦氏ばりの・つまらない人生訓を述べても、感動する人がゐるのも同じよね。
あの人たちがオネエ言葉で言ってる内容を、普通のサラリーマン風のおじさんが、普通の男言葉で言ったら、みんな鼻で笑ふか「うざいんだよ、おっさん」と怒鳴ると思ふ。
オネエ言葉だと辛辣な批判も、反発をうまく回避できる。
同じ内容を、女装やオネエ言葉抜きでやると、殺伐したものになる。
あからさまな罵倒は、当然ながら、誰か何かを罵倒したくてたまらない・心を病んでる・「アンチ」予備軍たちを刺激して引き寄せる。
オネエ言葉を使ふオカマは、臆病で、ズルい連中なのです。
(きゃー、ブーメラン、刺さりまくり)
オカマは、大御所とかマツコさんとかみたいになりたいと思ってゐるのかもしれませんね。
ビートたけしが、とうとう憂国の士となったやうに、
先ずは笑はせることで自分のプライドを守りつつ、笑はされて油断した相手に、突然モードを変へて、
自分がすごいインテリだ、鋭く社会や人を見てゐる、文学はもちろん経済や哲学や科学なんかも知ってる
なんてことを示して、一挙に承認と尊敬を勝ち取る。
これが、オカマには、時々、ゐるタイプです。
よくゐるタイプです。
もしかしたら、みんな、さうかもしれない。
おすぎが口にする「どうせ私たちはオカマだから。」という物言い
あれは、いじけたオカマの口癖だと思ひます。
おすぎとピーコさんも、女体を獲得できなくていじけてしまったオカマです。わるいけど、容姿は〇〇〇〇〇〇だと思ひます。
なめんなよ
といふ感じで、他人や社会のあらを探して皮肉り、批判をして、自分たちの凄さを見せようとする、典型的なオカマ。
わたしが、自分をオカマって呼ぶ理由も、同じです。
繰り返しますが、わたしが、わたしの推しの呪ひの日本人形さんみたいに、
この人は、男性ですか、女性ですか、どっち?
(と動画のコメント欄にありました)
とみんなに思はれるくらゐの女装者だったら(呪ひの日本人形さんになってゐる人は女性だと思ひますが)、
自分のことは、絶対に、オカマとは言はなかったと思ひます。
うーん、可愛い。
もう一つ貼っちゃうぞ。
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