人生相談

 わたしが精神科医を敵視する理由は、数へ出したら日が暮れるくらゐたくさんあるが、その一つには、YouTube動画などを出して人生相談をすることだ。しかし、人生相談に関しては精神科医だけを責めることはできない。

 人生相談は、ひとつの仕事、専門職である。
 他の仕事と兼用してできるやうなものではなく、例へば、本気の脳外科医なら、手先が器用だからプロに匹敵する日曜大工の名人であっても、人の家を建てようとはしない。人の脳を扱ひつつ、人の家も真剣に建てるといふのは無理だ。一般に仕事とされるものは二つも三つも股をかけられない。金で金を産む投資や、土地ころがしならぬ仕事ころがしとでも言へる・起業ビジネスとは違ふのだ。

 人生相談は、専門職として真剣に従事するべき仕事だ。けれども、人生相談を専門に仕事をする人、プロの人生相談屋はほとんどゐない。
 だいぶ前、神戸元町通に「人生相談」といふ看板を出した店があるのを見つけた。あれは、おそらく「人生相談」を売ってゐる店なのだと思ふ。残念ながら、今は、骨董品屋さんになってゐる。

 プロの人生相談屋はゐなくて、各種の占い師を筆頭に、心理学者とか脳科学者とか心理カウンセラーとか僧侶とか作家とか俳優とかコメディアンとか、そして、精神科医とかいった人たちが、人生相談に応じてゐる。

 素人で人生相談が好きな人がゐる。人生相談を受けると、他人の人生を覗き見ることができる。もし、相談の結果に責任を持たなくていいのなら、こんなに面白いものはない。最近、ラブホテルで男の首が切られて女に持ち去られたといふニュースがあったが、あれの続報を楽しみにしてゐるやうな人なら、人生相談で他人の人生を覗き見る面白さを理解できるはずだ。
 ラブホテル、男、女、人体の切断、さういふものへの関心と他人の悩みごとに対する好奇心は同質である。

 合法的に、しかも、感謝されて、他人の人生の覗き見ができるなら、これはやめられなくなる。
 それで、上記のやうな人たちが人生相談をしてゐるのだと思ふ。ああいふ人たちは、脳が覗き見の快感を知ってしまったので、一生やめられないと思ふ。

 相談する人たちはどんな人なのだらうか?
 その中には、自分の特異な人生を誰かに知ってほしい人がゐることを、わたしは知ってゐる。発達障害だとか毒親がどうしたといふ話を延々とするが、相談してなんとかしようといふ気は無い。自分を変へるつもりもないし、必要もない。むしろ、自分らしさの象徴となっている・自分の「悩み」「苦しみ」といったものをこれからも維持しようとしてゐる。
 さうでなければ、上記のやうなふざけた覗き見趣味の人たちに相談などはしない。

 本気で自分を変へたい、そうでないと苦しくてたまらない。もう生きてゐられない。
 そういふ人は、真剣に相談にのってくれる人にしか自分の人生を打ち明けない。
 そして、そんな相談相手は、この世にはゐない。
 わたしにはゐたので、ほとんでゐないと言ひ直そう。
 人ではなく猫だったが、ともかく相談にはのってくれた。

 めったにゐない、ほとんどゐない、ゐたらよほどの幸運だとわかったときに、自分の問題と初めて生産的に効率的に取り組むことができる。
 なぜなら、多種多様の人たちの、ろくでもないものから素晴らしいものまで、あらゆる助言や意見を部分的に取り入れることができるやうになるからだ。いはゆるいいとこ取り。

 特定の「相談者」を諦めると、すべての人から何かしら学んだり教へてもらふことができるやうになる。

 もちろん、その結果、必ず、生き延びて、自分の人生を生きることができる。

・・・と、人生相談を趣味にしてゐる先生たちなら、相手をもてあましたときには、こんなふうな、なんだかいいことを言ってゐるやうで・内容の無いことを、言ひさうだ。
 

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