AIが完璧な答えを導き出してくれたとしても人間はそれを受け入れられないでしょ?
この先、AI(人工知能)は今よりさらに進歩して、人間の限界なんていとも簡単に超えてゆくでしょう。
今は人間のサポート程度で運用されていますけれど、この先は人間よりも正確で結果も信頼できるようになってくる、そうなったら何でもかんでもAIに判断してもらった方が選択としてはきっと正しい判断が出来るわけなんだろうけど、人間はすんなりと受け入れられず結局今と変わらず無駄な事の多い世界は変わらないんだと思います。
AIが導き出した個人や人類にとっての最も良い選択がこちらが望まないものだったら受け入れられないですよね。
少なくとも絶対的な信頼を置けないと。でも絶対的な信頼ってなんなの?ってなると比較してみて検討しなければいけないし、ましてや人生ではやっぱりあの時ああしてればよかったなんて考えても戻れないし、やり直すにしても選択肢はいくらでも増やせるだろうから判断は難しいです。
将棋のAI見ていてもわかるように、もう既に一つの分野で人のレベルを超え始めるとプロが見ていても、???な場面があるわけなんだから。
だけれど将棋のAIに関しては既にある程度の信頼をされているからAIがこう言っているんだからっと言って様子を見ていたり、検討してみるとこれはとんでもない手だなとなってくるんです。
ただ人間(プロ棋士ですら)にはもうAIが導き出した最善手がセオリー外れの悪手にしか見えない場合だっていくらでもある。
どう考えたって受け入れられないって。
それが将棋の世界だから、まぁ受け入れて検討してみたり、どうなるか預けることはできるかもしれないけれど、自分の人生だったり、人類の存亡がかかっていたらどれだけ信頼して預けられるかは分からない。
それに極端な話、AIが「あなたはここで死ぬのが正解」なんて言い出してきて、はい、分かりましたで死ねるわけなんてないです。
結局自分が納得できる答えじゃなかったり、個人の利益に反するような事(本当はそうでなくても目の前そう感じてしまうこと)を提示されたら人間なんだから、受け入れられずに自分が納得できる選択をしてしまうんだと思う。
でもそれが自分が納得できる結果に繋がっているかは別の問題で、選択するときは不満が残っても後から良かったなんてことはいくらでもある。
AIならそんな感情抜きで今の最善手を示してくれていたとしても、人間にはその選択をして結果どうなるかは分からないのだから今の納得を優先したくなる。
AIからすれば「えぇ?!本当にそれでいいのですか??」なんだろうけど人間様が納得するためには合理性なんて必要ないってことですよ。
今、自分の人生に何か物足りなさを感じていたり、どうすればもっと理想的な状態へと自分を導いていけるだろうなんて考えている人は沢山いるだろうけど、もしAIが「今のままで完璧です、このままであなたの望む状態へと真っ直ぐに向かっているので何も心配ありません。」なんて言ったとしたって、一体全体何処が??って思ってしまう。
でもさっきの将棋の話と同じで、こんな手打ったら詰みでしょ、、、なんて思ってしまう手でもAIからしてみれば何の不安もなく「これが最善手です。」なんだから、家でゴロゴロしている自分が夢や理想の達成に向かっているなんて思えなくてもそれが最善手かもしれない。
でもそんなわけないって、
人間は意味を見出したいから、行動したり努力したりすることを最善手としてくれた方が納得して受け入れられるんだろうと思う。
もちろんそれが最善のときもあるだろうけど。
人間は結果からの逆算でしか評価確定できないわけだし、そういう意味では死ぬ直前まで何が正解で、何が間違いだったかなんて(仮)でしかない。
まぁ、みんなが悟ってしまえば話は早いんだろうけど、そのやり方が人類補完計画じゃつまらないでしょ?(エヴァは好きですけど)
だからといって個人の悟りは真理序説でも言っているけれど体認なんだから、知識じゃどうにもならない。(真理序説、続くとか書いたけど全然手をつけてないよ。「気にしなくていいよ別に誰も待ってないし、まともに読んでる人なんていないんだから。」うるせぇ!!)
だけれど自分一人の小さな物差しでは何だか心許ないし、多くの人が信用してたり正しいとされる考えや、やり方に頼りたくなる。
ただ、どこまでいっても希望的、悲観的観測からしか今の行動を選択できないなんてどちらも結局は「わからない」ってことでしょ??
でも悲観的に否定し続けたら死にたくなって→死ぬ。になっちゃうし、それに結局今を否定(肯定)できる根拠なんて人間にはいつまで経っても獲得できない代物なんだから。
だったら全部肯定しちゃえって、ニーチェもフランクルもバカボンのパパだって同じこと言ってるんだよ。これでいいのだって。
でも、自分の器ごとひっくり返されるようなことをAIが言っちゃうとそれは承服できないとなっちゃうんだよきっと。これでいいわけないって。
余談ですが、
私の場合、西洋の思想なんかはスッとは自分に馴染みませんよ。
だいたい思想を育む土壌の文化や歴史、宗教なんかが違いますから当たり前ですけれど、本質的に同じようなことを言っていると分かっていても何でこういう表現なの、、???
ってなりますよ。
水が合わないってやつなんですかね。
確かに思いあたるところはありますよ、前回の私と過敏性腸症候群には書いていませんけど、私はヨーロッパのミネラル豊富な硬水なんか飲むと必ずおなかぴーぴー(OPP)になるんですから必然なんですよ。
私たちには無意識の内に東洋思想が根付いていますから。
日本人は無宗教だなんて言いますけれども、当たり前すぎて意識していないだけで、神道や仏教、儒教、老荘、果ては天竺ですよ。
日本人の道徳観や思想は、縄文、大和のアミニズム的なものから始まっているのかもしれないけれど、その土台の上にはたくさんの思想、宗教がてんこ盛りですよ。
混交しすぎちゃって、西洋の一神教のような認識ではないってだけですよ。
世界には、これだけ多種多様な思想や文化があってもAIからすればそのうち、こうすればいいじゃん、なんてシンプルな平和への提案はいとも簡単に出してくれるはずだろうけど、人間様はそんなもの突っぱねて今のような矛盾だらけで、表面だけ取り繕うような世界を維持し続けるに決まってるんです。(ドヤ)