阪神・淡路大震災
1月17日。
今日は阪神・淡路大震災が発生してから26年です。
当時、私は大学受験を控えた高校3年の受験生でした。
地震発生時刻の5時46分、自宅の2階の寝室で就寝していた際に震度7の地震が発生。
情け無い事に大きな揺れがあったにも関わらず、普通に寝ていて両親に起こされてやっと目を覚ましました。
両親が半ばパニック状態になっていて当初、何が起こったのか分からず、状況を把握しようとしても停電で暫くテレビを見る事も出来ませんでした。
数時間後、関西電力の幹部の方が近所に住われていた関係でとある地区のみ、優先的に復電。
(同級生の父親がその幹部の方だったので、同級生からその事情を聞いた時は大人の事情やら上級国民的なのがあるんだとショックを受けつつ、感謝もするという複雑な感情に陥っていました)
ありがたい事に早々にテレビの電源を入れる事が出来たのですが、どのチャンネルも戦時中かのような悲惨な風景が延々と映っていました。
阪神高速が倒壊し、神戸の長田では大規模な火災が発生している様をテレビで見た時に同じ兵庫にいながら、まるで人ごとのようでした。
ライフラインで電気の次に復旧したのはガスで水道は最後。
震災発生後の翌日には全国の自治体などから給水車が派遣されたのですが、トイレ用にその水を使うのはもったいないので、近くの池で水を汲んで家まで運んで使うという日々が数週間続きました。
電気とガスが復旧しても水が出なければ身体を洗う事が出来ないので、週に数回大阪や京都のスーパー銭湯にも行っていました。
そんな最中、受験生の私は受験シーズンに突入し、兵庫、大阪、京都、東京の大学をそれぞれ何校も受ける日々がスタートします。
学校や予備校も再開しておらず、また今の様にネットが普及していなかったので情報収集も出来ず不安な状況での受験は精神的にもハードでした。
結果的には浪人する事になったのですが、1995年という年は私にとって特別濃い一年でつい最近の様に色んな思い出が蘇ってくる年でもあります。
幸い家族や家も無事で周りに亡くなられた方もいなかったのですが、家が倒壊し、家族や大切な友人などを失った方には忘れたくても忘れられない悲しい年になっているかと思います。
去年から続くコロナ禍にあって、震災時に経験した助け合いと思いやりの精神の大切さを改めて今感じています。
改めて被災された皆様に心よりお見舞い申し上げますとともに、犠牲になられました方々に心よりお悔やみ申し上げます。