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人生の主語は自分になっているか

今の仕事がきつくて仕方がないとき、歯をくいしばって乗り越えてきた。どんな時も目の前の障害を越えることが、正しいと信じていた。逃げるのは弱いことで、成長のチャンスを逃すことで、間違っていると信じてきた。

果たして本当にそうなのか?

苦手なことでも向き合って乗り越えるべきなのか?乗り越えれば成長する可能性もあるだろう。しかし、2つのデメリットがある。

1つは、障害を乗り越えられずに苦しみ、潰れることだ。乗り越えられない試練はないと言うが、実際に潰れてしまう人もいる。

2つ目は、障害を乗り越えようとしている間に、尊い時間を費やさざるを得ないことだ。苦手なことは得意な人に任せて、自分は自分が得意なことをやれば、目的は早く達成できる可能性もある。

確かに逃げなければ、成長するチャンスを得て、強くなれるかもしれない。ビジョンを実現するために必要なことかもしれない。

しかし、楽しくない。苦しい。辛い。

大切な人生の寿命を苦しみつつ成長に使うことと、それを得意とする仲間の力を使いつつ、早く先に進むことのどちらが良いのか?

自分が成長しなくても、ビジョンを達成出来るなら、その方がたくさんの人の喜びに繋がることだってあるだろう。

実は、障害から逃げずに立ち向かう理由として、1つ気付いたことがある。

流されているということだ。

自分の意思で選ぶのでなく、与えられた試練を受け止めているということだ。

目の前の仕事と徹底的に向き合うことで、次の道が拓くのも本当だと思う。だけど、どこかで自分の道を選ばなければいけない。他人に生かされていると、つまらないんだ。人生の主語が、自分にならないままでいいのか?

小さな岐路は全て自ら選んだ結果だ。しかし、選択の背景に、親だとか親友だとか兄弟の気持ちを推し測って選んだことも無数にあるだろう。

そしていつか、それを理由に、言い訳をするときが来る。こんな筈じゃなかったと。

俺はそれが嫌だ。だから、残りの人生は、自分で道を選ぼうと思う。逃げるのではなく、新しい生き方を選ぶ。

何故、そう思ったか?

嫌気がさすほど、今の道を嫌いになったのも1つの理由。そして、もう人生の半分を過ぎただろうと感じることも理由の1つ。とことんやってきたし、この先に自分自身がどれだけ活躍できるか?どれだけ喜ばれる仕事ができるか?そう考えたとき、仕事を変えようと思った。

きっかけは何でもいい。数年前から、このままじゃいけないと思ってきた。そしてとうとう重い腰をあげようと思う。

自分で自分の道を選び、たとえ志半ばで死ぬことになっても、今のまま生きるよりいいと思うようになった。

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