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ボランティアは偽善?

そもそもボランティアって誰のためにやるものなんだろう?

喜ばれることをやってきた。それは喜んでくれる人がいるからで、その人のためにやってきたと思っていた。

それでいいのか?

最初はそれでいいのかもしれない。しかし、次第に相手が増えてくると、必ずしも喜んでくれる人ばかりではなくなることもある。

勿論、やっていることが変質し、喜ばれなくなることもあろう。自分の行為に満足し、求められていることからずれてくることもあろう。

しかし基本的には、喜ばれると思っているから、ボランティアをしてきた。

でもね、ふと気付かされた。

おい、自分よ、ありがとうと言われなければ、ボランティアしないのか?

そりゃ、そうでしょって、思った。

じゃ、誰のためにボランティアしてたの?

相手のため。

やってくれと言われたの?

言われた。

それはボランティアなのか?

お金はもらっていない。

喜ばれるからやっていたのは、自分が嬉しいからじゃないの?

確かにそうだよね。

じゃ、自分のためにやってたんでしょ?

う、うん。そうかもな。

それなのに、あなたのためにやってたって言うのは、おこがましくないか?

そういうことなのか。喜ばれなくなった途端に、「ボランティア、してやってたのに!」なんて、酷い話だよね。

自分が喜ぶためにやっていたくせに、喜ばない奴が悪い!何て、俺は何様だったんだろう。

やり方が悪いとすれば、変えるしかない。しかし、今が間違っているとは限らない。

ただ、誰よりも研究し最善の方法で取り組んでいても、理解されないことだってある。

相手のためにと思ってやって、嫌われて、文句言われて、それで嫌になるなら、それまでか?きちんと、説明して理解してもらう必要があるんじゃないか?

3年前、俺はそこまで出来なかった。

偽りの優しさで、ボランティアを押し付けていたんだなって、今なら思える。

しかし、あの頃、間違っていたとも思わない。

一生懸命勉強して、向き合った。だから、自分自身に知見も貯まった。本業に活かせる経験も出来た。楽しい経験もさせてもらった。

ただ、俺は辞めた。

3年経って、やっと、あの頃の自分の考え方について、客観的に理解できるようになった。

ボランティアって、その考え方、難しいね。

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