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必要な話は必要なタイミングで現れる

息子と同級生の甥も、就活をしていた。

ただ、話を聞いていると、何かが違うと感じた。

働く意味や生きる意味をどう考えているのか?彼からは伝わってこなかった。

年に数回しか会わない甥っ子だから、その考え方に至った原因は分からない。でも、世代が違うからと思うだけでは納得できないものを感じた。

それについて、考え方を改めさせようとするつもりはない。しかし、甥っ子と違う考え方もあるということは、伝えたいと感じた。

その私の考えをそのまま話しても、きっと何も伝わらないだろう。ふーん、で終わりだ。

幾つかの質問を送るだけにした。

驚いたのは、そのやりとりをメールで交わした後、手にとって読み始めた本の内容だ。まさしく彼に読ませたいことばかりが書かれていた。

しかし、他人の考えなんて受け入れる必要があるの?という甥っ子の考えをメールで読んだところだ。

そして私も、メールの最後に、あまり素直に他の人の意見を吸収しようとしないなら、お薦めの本や、俺の考えを伝えるほど、俺も暇じゃないからと書いたばかり。

今、彼は「余計なアドバイスを退けてホッとしている」だろうか、それとも「伯父さんを怒らせた、まずい」と感じているだろうか。

私が彼に何かを伝えようと、改めて思うのはいつになるか?

それは彼がその内容を必要とするときになるだろう。どんな経験も、必要なタイミングで現れる。

じゃあ、彼から相談があるのはいつになるだろうか?

彼に必要な情報が、私に届いたということは、それほど先のことではないと思うのだが。

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