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淡路島の社を巡りて~第七社目 伊勢の森神社(旧津名町生穂長澤)

随分と間が空いてしまいました。なにぶん資料調査・フィールドワークと並行しての書き物となりますので、遅筆となることをご了承下さい。
最下段に「サポート」がありますので、調査を応援していただければ幸いです。

【由緒略記】

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境内立札には「寛政三年(1791)から五穀神である地の神をお祀りする社。江戸時代は広い境内で時を忘れて村人が盃を重ねたと長澤誌に明記されている。」とある。然し、当の『長澤誌』には、「寛政三年に社日塔がお祀りされた。」とある。
同誌では江戸初期に社があり、後期(寛政3年)に社日塔を建てたとなっているので、立札は誤りとなる。

同誌を詳しく見ると「おかげ参り(伊勢参り)」を取り上げ、それとの関連から「伊勢神宮の外宮豊受大神は五穀の神様であり、そのため社日塔も五穀豊作の神様として同じ森の中に建立したのだろう。伊勢の森の中に社を築き伊勢神宮からの御札をお祀りしたのは江戸時代初期のことであろう。」
「江戸後期に森を少し切り開き、社日塔をお祀りした。」と書かれている。

『津名郡神社誌』では「創立年月不詳」とされており、『長澤誌』にあるように社建立が江戸初期だったのかは不明である。

『津名郡神社誌』の生穂の項を見ると、「伊勢宮神社 野田尾」と書かれている。
場所は、地主神社の西方、旧摩耶街道とある。当該地は小山であり、神域とされていたそうだ。
野田尾に現在も社があるのかは現段階では確認できない。野田尾にあったものを移築した可能性もあるが果たして…。野田尾の伊勢宮神社については、追って調査し追記したい。


江戸中期の資料では、「伊勢ノ宮」や「伊勢堂」と書かれているので、それ以前に勧進されていたようだ。資料では社の様子は窺えない。
また、境内でも特に年代を特定できる現物は見つけられなかった。

「伊勢の森」は他にも常隆寺と中田にもあり、同時期に建立されたとも考えられるが、いずれにしても、現段階では創立年不詳とする。


【意匠・彫刻】

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小さいが、霊験灼然な印象を受ける立派なお社である。

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懸魚も凝った意匠で、狐格子が組まれていることも社に格を与えている。

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蟇股は鶴。頭が無いのが残念である。

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獅子鼻・象鼻は小さいながら緻密さが窺える。
獅子は鋭い勇猛さが有り

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像はクルンとした鼻先が愛らしい。

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獅子鼻・象鼻と他の彫物の色が違うように見える。場所的にそこだけ日焼け・雨ダレでの変色は考えにくく、製作年代にズレがあるのかも知れない。
獅子鼻・象鼻はこの辺りの江戸後期の作風に見えるが…。

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【祭礼・だんじり】
嘗ては、9月11日に生穂中より力自慢が集まっての相撲奉納があった。
江戸期には、盆踊りも境内で行われていたようである。
現在、相撲奉納はなく、盆踊りや神事についても未調査である。

引用:『長澤誌』『津名郡神社誌』

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