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そろそろクリスマスという名のケーキを食べる日がやって来る。

 クリスマスという日を認識するようになったのはいつだったか?はっきりとは覚えていないが、兄が「知っとーや、12月24日にはケーキとかいうお菓子ば食べるっちぇ」とクリスマスに関する話をしてくれたのが最初ではなかったかと思う、おそらくは小学3年くらいではなかったか。
 基本的にはテレビによる情報があったため、クリスマスが近づくとどうやら12月24日は全国的に”なんらかの祭り”が行われるらしいことは知っていた。もちろん、その日がどういう日なのかは知りうる筈もなく、漠然とおいしいものを食べられる日であり、海外の偉い人に関係しているらしいことは理解していた。
 私たち兄弟にとって最大の関心事は「ケーキ」と呼ばれる謎のお菓子であり、それはそれはおいしいものというイメージを持っていた。どういう訳か
学校の友人にも「ケーキ」を食べたことのある者はおらず、”それ”が何なのかを知ることはなかった。
 クリスマスに興味を持つようになって間もなく、その時はやってきた。私たちが住む山間部の田舎にも「ケーキ」がやって来たのである。当時は食料品店にようやくパン製造会社からの配送便が届くようになった時代であり、そのパン製造会社が『クリスマスにはケーキを!』と店頭にポスターを貼って「ケーキ」の注文を取るようになったのである。
 私たちの母は、「木曜スペシャル」のUFO特集を一緒に見て「宇宙人のおるとやろか?」と興味を示すような人だったので、目新しい「ケーキ」を注文してくれたのである。
 小学5年くらいだったと思うが、私たち親子4人は初めて「ケーキ」なるものを12月24日に食べた。全員が「うまかー」となったことは言うまでもない。ケーキ自体は日持ちするようにバタークリームが使われていたが、その頃の私たちにとって”バター”だろうが”生”だろうが、甘いクリームに変わりはなかった。
 しかし、母は12月24日は単にケーキを食べる日であり、それ以上の意味を持つ日ではないことを断言していた。「あたしたちは浄土真宗ばい、キリスト教じゃなかと。今日は異教徒の祭りばい、あたしたちは関係なかと。年に一度、パン屋がケーキを持って来る日。」とクリスマスが我家の祭り化することを防ごうとしていた。その頃には私も兄もクリスマスがキリスト教徒の祭りであり、チキン(ニワトリ)とかおいしいものをいっぱい食べる日であることは、「サザエさん」を見て知っていた。母はこの日に特別な料理をするなどの手間が発生することを恐れたのである。
 私たちが中学の頃には、クリスマスにはちょっとしたご馳走を母が作り、締めにケーキを食べるようになった。そう私たちは異教徒の祭りを完全に受け入れたのである、しかしそれは宗教的な意味からではなく世間でやることは一応やっておかなくてはという昭和文化であったような気がする。
 もうすぐクリスマスがやって来る。妻がケンタッキーでチキンを買い、娘がセブンイレブンでケーキを買って来る。私はヤオコーで880円のワインを買う。何故?チキンを食べ、ケーキを食べるのかって?それは異教徒の祭りを祝うために決まっている。私は浄土真宗東本願寺派である。

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