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映画館の暗がりで映画を見るのが好きだ

 初めて洋画を見たのは小学3年生の頃だった。母と兄と3人で見た映画のタイトルは「十戒」、主演はチャールトン・ヘストン(元アメリカのライフル協会会長)である。話は旧約聖書の”脱エジプト記”モーセが虐げられていたユダヤ人を率いてエジプトの新国王の支配から逃れてパレスチナに脱出する物語。民を率いたモーセがエジプト軍に追われ、紅海を割って海底を歩いて脱出すシーンが有名。
 初めて見た字幕の映画だった、わからない漢字が大挙して押し寄せて来た。すべて母に聞くわけにもいかず、黙ってそのまま見ていた。そのうちにだんだんと意味が分かるようになった。しかしタイトルの「十戒」さえ読めず意味も分かっていなかったのだから恐ろしい、旧約聖書の話だとも知らず「冒険活劇」だと思って見ていた。
 二度目に見た洋画は「ベン・ハー」またチャールトン・ヘストンの主演である、この映画は「十戒」以上に壮大なシーンが多く、前半の奴隷船の戦い後半の戦車シーンは圧巻で11個のアカデミー賞を受賞している。昔のハリウッドの史劇物の凄さは多くのエキストラが登場するシーンで実際に多くの人がそのシーンに投入されている点だ。CGやVFXの発達する以前のマンパワーの凄さを感じる事ができる。特にラスト近くに行われる競技場での戦車の競争シーンは2度と撮れないだろうと言われている、主役のベン・ハーが宿敵と馬に引かれた戦車で競い合うのであるが、どんなに技術が発達したとしても同じシーンは二度と撮れないだろうと納得させられる。
 洋画を映画館で見始めたきっかけが史劇物であったことに感謝している、
これらの映画を選んだ母にも感謝である。これは私見であるが、映画の面白みとしては「スターウォ―ズ」や「MIP」と同じものがあったような気がする、題材は違っても”映画”で表現されるその世界は世代を超えて没入感を味わうことができるものだった。映画館の暗がりは感動と興奮への入り口になっていた。
 成長するとともに母や父といいっしょに映画に行くことは少なくなり、中学の頃からは親にもらったこづかいで兄と二人映画館に通うようになった。私たちが住んでいた田舎には映画館はなかったので、兄と二人バスで1時間以上かけて出かけていった。
 親父は自分が若い頃のことを聞かせてくれた「若い頃は下駄をはいて、何キロも歩いて映画ば見に行ったもんたい」「ジャイアンツちいう映画で石油の吹き出すシーンがあるとばってん、あれば見て夢は叶うと思たったい。」その後、リバイバルで「ジャイアンツ」を見た。ジェームス・ディーンがかっこ良かった、親父が見た石油が噴き出すシーンを見て同じように感動した、自分に息子ができたら見せてやりたいと思った。(既に息子は30歳を超える年齢になるが「スラムダンク」は見ても「ジャイアンツ」は見たことがないようである。)
 今ではサブスクが普及し家に居ながらにして最近上映された作品を見ることができるようになり映画館に通う機会も減ってしまった。それでも年に数度は妻と映画館に出かけて行く、あの暗がりは数十年前も今も同じように自分を異世界へと誘ってくれる。
 福岡、博多と言った方がよいかもしれないが「オールナイト」という映画の上映形態があった、山笠の祭りの際に早朝の舁き山を見物するために夜の博多の街で時間を潰すために、映画館で一晩中映画を上映したのが始まりとされ、昭和の時代には全国でオールナイトの上映が行われていた。
 大人が見るような映画を見ると”ドキドキ”が止まらなかったが、初めてオールナイトを見に行った時の興奮も忘れることはできない、場所は中州の東映で、上映されていたのは高倉健の「昭和残侠伝」シリーズだった。暗い映画館、斬り込みに行く高倉健を池辺良が待つシーン「あっしもお供しやす。」「いけねぇ、あんさんには妹さんがいなさる」健さーん!(客の声)、あちらこちらからの『健さんコール』には驚かされた。
 これからも映画館の暗がりは私をいろんなところに連れて行ってくれることだろう「健さーん」。


 


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