与えられた環境下での「わたし像」

学生の頃、中小企業の研究開発部門でインターンをして、有機ELの材料をつくるため、反応条件を毎日変えてデータをとっていた。
そのときに、同じ物質でも、温度や反応時間、溶媒など、反応の「環境」を変えてみると、結果も変わるということを知った。

1つの要素を何パターンも変えてみることもできるし、複数の要素の掛け合わせパターンを変えてみることもできる。
物質の特性を考え、ある程度、条件は選んで実験するものの、そうして、無限に可能性は広げられるんだと思った。


なんちゃってフリーランス的な働き方をし始めて早3か月。

副業からのスピンアウトでもなければ、アイデアを活かした起業でもないし、これまで積み重ねてきた経験やスキルの延長でもなく、ほとんど全く新しい仕事を、新しい働き方で始めてしまい、久々にやっちゃった感を感じてるこの頃。

『何か新しいことを始める時は、What(何をやるか)とHow(どうやるか)の両方を同時に動かすと、失敗のリスクが急激に高まる』

と、先日読んだ北野唯我さんの記事に書かれていて、
もうマジこれだわ、と猛省。


特に今年に入ってからの1ヶ月、悶々と過ごす中でよーやくわかったのは、私の知るわたしは、「与えられた環境下でのわたし」だったということ。

組織に属していた頃も、それなりに自分で考え、受け身にならずに主体的に行動してきた自負があった。
けれど、私をそうさせる「環境」が、見えるもの見えないものも含めて、与えられていたということに、少なくとも今と同じレベルで、私は気づいていなかった。

会社に行けば、仕事以外の諸々を簡単に切り離すことができたし、目に見えた成果が出せない日も、「与えられた環境」の中で、他者を通して自分の存在を感じられることには、それなりの幸福感があった。

そこで、自分がどんな挙動を示すかの実験結果を積み上げ、それを基に人や自分の思う「わたし像」を築いてきた。

一方で、「与えられた環境」が自分に及ぼす影響に、
気づいていなかったのだと思う。

与えられていた環境の中で、私が無意識に得ていたものは、たくさんあるけれど、
その1つは「逃げ場」だろうと、最近思う。

オフィスもない、上司もいない、息抜きに雑談する同僚もいない。
基本はほとんどテレワークで、タスクも自分で考えるしかない。

そんな環境で自分の知る「わたし像」が揺らぐのを感じながら、自分の「空間」と「時間」を共有する「仲間」がいて、そうした3つの「間=スペース」に、私の「逃げ場」はたくさんあったのだろうと知った。

「そっか、”逃げ場がない”って結構ツライんだな」、と痛感したのだけど、これを機に、地域とか国とか世界とか、もっと広いスペースの中にも、「逃げ場」をつくっていけるようになること、

と同時に、「逃げずに立ち向かえる強さ」も育むこと、

その両方が、当面わたしのチャレンジなのだろう。

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