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心が動いたものを撮ってみた。
久しぶりに風景写真を撮った。
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たまたま、車が赤信号で止まったときに横を向いたら、目の前でパーッと世界が開けているように見えて。
次の瞬間、スマホでパチリと撮ってました。久々だったなぁ、撮りたい衝動に駆られたのは。
岸田奈美さんのnoteに、こんなことが書かれていました。
「幡野さんは、どういうときに撮るんですか?」
「写真は心が動いたときに撮るもんだよ」
心が動くというのは、壮大で斬新な感動のことではなくて。日常で「あれっ?」「うわっ!」「おお…」と、ほんのピクリとでも感じれば、動いたということです。
「他の人が写真を見たときに、同じ心の動きが伝わると、通じ合えた気がするよね。なんでこれを撮ったんだろう、って考える時間も楽しいし」
幡野さん、それって、わたしが文章を書く理由と同じです。
わたしの編集者の佐渡島庸平さんが、出会ったときからずっと、何度も、何度も、わたしに教えてくれることがあります。
「作家は、感情を作りにいってはいけないよ」
読者を泣かせるために、悲しい感情を作ってはいけない。怒りで訴えるために、過去へ怒りを探しに行ってはいけない。
プロの方と同じように語るのは、非常におこがましいのですが、私も心が動いたときに写真を撮ります。物撮りとか、決められたものを撮るのは苦手。インスタ映えするような写真を狙って撮るのは、超苦手。
※写真について、数ヶ月前にはこんなことを考えてたんだなーと思うと、なかなか興味深いです。
最初にアップした写真も、まさに日常の一コマで、そこに壮大で斬新な感動などない。車に乗っているとき、ふと見えた景色にほんの少し心を揺さぶられただけ。
私以外の人からしたら、何の変哲もない、たいしてうまくもない写真だと思う。
それでも、もしも、たった一人でも、この写真いいなぁって思ってくれる人がいたならば、すごく嬉しい。
写真を撮ることと文章を書くことは、まったく別個のものだと思っていました。
けれど、岸田奈美さんがおっしゃっているように、心が動いたものを撮る(書く)という点では、どちらも同じなのかもしれないなって。
日常のなかのほんの些細なことにも、なんらかの意味や価値があるのかもしれない。少なくとも、私にとっては。
それは、11月1日から毎日更新をやってみて、気づいたことです。ちょっとしたことでも、心を動かされるときがある。書きたいと思うときがある。
そして、そんな毎日が以前よりちょっとだけ、楽しいんです。
無理をしないをモットーに綴っているnoteなので、毎日更新は今月いっぱいで一旦区切りをつけるつもりです。
あと数日、どんなことに心を動かされるのか?自分自身の内側に耳を傾けたいと思います。よろしければ、もうしばらくおつきあいください。
ではでは、またー!
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