15w4d 心の備忘録
私のつわりは大体4w後半から始まり、15w中盤に至る現在まで続いている。かなり初期の段階でつわりが出てきてしまっていたため、現段階ではつわり期間が比較的長い部類の妊婦といえるだろう。
もちろん常に限界まで辛いというわけではなく、嘔吐のない楽な日もあれば、涙が止まらないほどの吐き気と腹痛と眩暈に苦しむ日もある…といった具合につわりには波が存在する。しかし波があるといえど、手術も投薬もしようがない体調不良が3ヶ月も続くと心は着実に暗くなっていく(実際には吐き気止めの処方を受けてはいるが、気休めレベルの効果である)。
毎朝目が覚めるたびに、今日はどんな辛い1日になるのだろうと暗い気持ちでベッドから起きる。当然ながら、このような状態では妊娠の喜びも幸せも感じられるわけがない。私の年齢と不妊期間の長さを考えると、自然妊娠をする確率はほとんどゼロに近いため、よくいえばつわりを経験できることすら奇跡に近い。
本来であれば、信じられないくらいの喜びがそこにあってもおかしくないのだ。それを頭ではわかっていても、〈今が辛い〉という感覚に支配されているとどうしても後ろ向きになってしまう…という悪循環の中に私はいた。
ゆえに今回は、妊娠をしてよかったと思えたことについてを振り返り記録しておきたいと思う。冷静に思い返せば辛いこと以上に、初めて経験する喜びがたくさんあったはずなのだから。
そもそも私の場合、妊娠発覚のきっかけは信じられないほどの胸の痛みであった。右胸が針山にでも刺さっているのかと思うような激痛に襲われ、私は妊娠よりまず先に他の疾患を疑い、乳腺科で乳がん検診の予約をしたほどであった。本来であれば乳がん検診対象となる40歳よりも私はだいぶ下なのだが、「これは絶対に何らかの腫瘍がある」と素人なりに不安になるほどの痛みがあったのだ。
しかしそれと同時に、熱っぽさやだるさなど、生理前によくある症状も強く出ていた。そこで私はまさかなと思いつつも、乳腺科に予約を入れた直後、何気なく家にあった妊娠検査薬を試すことにしたのだった。ちょうど不妊治療開始前にできることをできるだけしようと夫婦で決めた頃で、その月は初めて、排卵日を意識して夫婦生活を送った覚えがあったからだ。
結果は陽性。この時私は、人生初の陽性の縦線を目にすることとなった。そしてその線を見た瞬間、私はまず〈解放された〉という直感に心を支配された。
赤ちゃんができて嬉しい・信じられない・幸せ・楽しみ…そういった感情は二の次である。その陽性の線を目にした瞬間、私の心を覆い尽くしたのは言葉にし難い解放感だったのだ。
終わりの見えない不妊期間を彷徨い続けることからの解放。
子供のいない夫婦として一生を過ごす覚悟を決められない悩みからの解放。
親に孫の顔を見せてあげられないかもしれないという不安からの解放。
そして、子がいないことで夫に不安や悲しみを感じさせるかもしれないというプレッシャーからの解放。
挙げてみればキリがない。
もちろん産科を受診してもいないこの段階では正式な妊娠成立とはいえず、もっといえば妊娠4ヶ月目の今現在でさえも、赤ちゃんが無事に生まれる保証などどこにもない状態である。ましてや私は子供好きというわけでもない。それでも押し寄せる解放感に抗えなかったのは、それほどまでに、自分の妊娠機能のタイムリミットが近いことを日々感じ無意識のうちに圧迫感を覚えていたからだろう。
特に私の場合、夫が4歳年下でまだ若いという点がずっとひっかかっていた。私がどうあがいても子供を産むことができない年齢に至った時、もしも彼が血の繋がった子供を切望するようになったとしたら、その場合離婚してあげるほか私に残された道はないと考えていたほどだ。この強迫観念は私の心の中で見えない枷となって、新婚当時からひっそりと抱えられ続けていた闇でもある。
揺るぎない自負があるため敢えて忖度なしで書くと、私は夫に心から愛されている。彼は何があっても私を守るし、私の心を最優先に考える深い愛情を持った人だ。だから本来であれば、彼が子供欲しさに私と離婚したがるようなことはあり得ない。
だがそれでも私が先述したような不安を抱えていた理由は、私もまた夫を心から愛しているからだ。
私が子供を産めないことで、彼の人生の可能性を大きく狭めることはあってはならない。
だから彼が我が子を切望するならば、私よりも若く、出産しやすい年齢の女性をパートナーに選び直すべきなのである。
もう一つの理由としては、私たちは結婚当初あるいは結婚前に、そういった具体的なプランニングをせずにここまできてしまったというのもある。
子供は必ず欲しいのかそうでないのか、いつ頃何人できたら望ましいのかなどの展望は持たずにふわふわと5年間を共にしてきてしまった。二人暮らしはとても楽しく、愛猫の存在もあってか、まだ見ぬ我が子を渇望するような状況にはなかなかなりにくかった。
今思えばそれもまた、私が年上であることを加味した夫の気遣いがあったからこその状況だと強く感じる。
「授かったらそれは素晴らしいことだけど、たとえ授かれなかったとしても、俺たちは二人で必ず幸せに暮らせるから絶対に大丈夫」
夫は繰り返し何度も私にこの言葉を伝えてくれた。
私への気遣いと優しさだけでなく、二人の未来への希望がたくさん込められたあたたかい言葉だ。この言葉があったから私は、不妊治療をできる限りしてみようという気持ちになれた。二人でも必ず幸せに暮らせるのならば、そんな二人の子供がいたらきっと、それはそれでもっと幸せかも知れないと思う気持ちが芽生えたからだ。
だからそう決意した矢先に偶然にも妊娠したのは、心優しく愛情深い夫の行いが呼び込んでくれた素晴らしい幸運のおかげなのだと思っている。体調管理や生活リズムの改善など、私の努力などたかが知れていたはずだ。
妊娠は運であり、努力が必ず結果に反映されるようなものでもない。頑張ったから妊娠できる、頑張ってないから妊娠しない、という世界では決してないのだ。
だからこそ私は、この〈運〉を呼び込んでくれた夫に深く感謝している。全てはただの運。でも、運を呼び込んでくれた何かがきっとそこにあったと私は感じている。
ある夜、つわりが辛すぎて泣いていた時のことだ。
苦しい、辛い、と泣き言を言いながら夫に手を握ってもらっているとき、自分の姿が情けなく、そして申し訳なくなり私は謝った。家事もできない、仕事もできない、毎日毎日ゲーゲーうるさい病人状態の自分と暮らして疲れていないだろうか。こんな環境で、それでも妊娠をよかったと思ってくれているのだろうかと泣きながら質問もした。
すると彼は、優しくこう言ってくれた。
「今はとても辛いと思うし、そんな姿を見ているのは心配だけれど、妊娠のことは今世紀最大の喜びだと思っているよ」
その瞬間、今世紀最大の喜び、いただきましたー!!!!という気持ちになり、大仰な言葉選びに私は少し明るい感情を取り戻した。夫がそんなふうに思ってくれているのなら、私も泣き言ばかりではいけないという気持ちにもなれた。言葉が持つ力は偉大だ。
そして、愛する人の嘘のない言葉には何よりも力がある。
よく考えれば夫は妊娠発覚以降、毎日私のお腹を撫で、お腹にキスをし、時には話しかけ、いつでも〈今世紀最大の喜び〉を態度で示してくれていた。
健診にはなるべく同行し、エコー写真を真剣に眺め、妊婦になった私の不安や気持ちをいつでも真っ直ぐに聞いてくれた。
こんなにも素晴らしい夫とともに、生まれてくる子の親になれるのならば、もう何も怖いものはない。たとえどんな子が生まれようとも、あるいはその前に万が一何かが起こったとしても、私は夫との思い出にたくさんの勇気をもらうだろう。
妊娠によって得られた幸せや喜びは、確かにここにあったのだ。
来週からはいよいよ安定期に入る。
このまま無事に産まれてくれることを願う。
(なお乳がん検診の結果は問題なかったが、妊娠により大きくなり固く張った胸をエコーでゴリゴリにローラーされるという地獄を味わった。)
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