新生児期(生後0ヶ月)の記録
ちょうど今から数時間前、我が子は人生最後のミルクを飲み終えた。
生まれてから1年と1ヶ月、今日に至るまで何百回とあげてきたミルク。
今後イレギュラーな事態が起こらない限りは、我が子を抱いて哺乳瓶を片手に持ち、ミルクを与える尊い時間はもう二度と訪れることがない。
最後の貴重な時間を堪能するため、私と夫は二人で哺乳瓶を半々に持ち、動画を撮りながらミルクを懸命に飲み干す我が子の姿を見納めた。
思い起こすのは彼が生まれたばかりの時のこと。
難産の末に生まれた我が子は出産直後、黄疸治療のため数日間保育器に入り、さらには羊水を胃に入れすぎていたがために自力哺乳ができず、足に刺された点滴の針から栄養をとっていた。
あの頃の無力で可哀想で、まばゆい3300グラムの姿を思い起こすとなんだか胸がいっぱいになる。
深夜、病院の長い廊下を歩きながら新生児室へよろよろと向かい、「うちの子はミルクを飲めましたか?」と助産師に聞くたびに「また吐いてしまった」と言われ胸が締め付けられる思いだったこと。
眠い目を擦りながら乳を絞り出し哺乳瓶に入れ、保育器の中に手を突っ込み、今回は10ミリリットルも飲んでくれたと泣いたこと。
コロナ禍でまだ我が子を抱くことすらできていなかった夫に状況を連絡し、頑張ろうねと励まし合った深夜の病室の肌寒さ…産後一年経ったいまでも、当時の心細く不安な気持ちを今でもありありと思い出せる。
それがどうだろう、目の前の我が子は当時の姿とは比べ物にならないほど立派に育ち、自力で哺乳瓶を支えつつ、カメラに向かって指をさしながらごくごくと200ミリリットルを飲み干していた。得意げである。
さらにはその後自分で掴んだ哺乳瓶をぶん投げ、楽しそうに立ち上がりおもちゃの元へと一人で歩いて行った。
歯磨きを手渡されると、そのまま右手でもち、口に入れ磨く真似までしている。頼もしい限りだ。
「子は放っておいても育つ」なんて言われることもあるが、私はそうは思わない。
子は親ないし保護者・保育者が責任を持って育てるべき存在だ。
ご飯と水とミルクがあれば体が勝手に育つことはあろうとも、心まではそうもいかない。
育児には責任が生じるからこそ懸命に向き合うことができるし、子もそれを察して親を愛し応えようとしてくれることだってある。放っておくなんて、言葉のあやだとしてもとんでもない。
一歳を超えた我が子をこれからも責任持って育てれるよう、あらためて気を引き締めたい。
それを踏まえ今までの振り返りのためにも、育児録を1ヶ月ごとに記載していきたいと思う。
人は忘れゆく生き物だ。
今は鮮明に覚えている一年前の記憶だって、来年の今頃にはもっとおぼろげで、解像度の低いぼんやりとした思い出に成り下がっているはず。
少なくとも私は記憶力が悪いので、必ず妊娠・育児記録はつけようと思いnoteを開設した…にも関わらず生まれてからもう一年経ってしまっているの、子育てをしながらの労働と家事がいかに多忙かを物語っているよね。
◆新生児期(生後0ヶ月)
・入院中のこと
出産レポにも記載したように、私たち親子は回旋異常による難産の結果双方ともにダメージを負っていた。
黄疸と哺乳不可のデバフを喰らい光線治療を受けていた我が子は、およそ4日間新生児室から出ることができず…私自身も出血多量の影響で常に心電図をつけられているような状態だった。
さらには会陰切開のみならず内部が裂傷となったこともあり、トイレに歩くだけで心電図が異常を示し看護師が飛んでくるという生活だったため、当然ながら母子同室での育児訓練(授乳やおむつ替えなど)は5日目まで不可。
このままでは母子同時に退院ができない可能性があるとまで告げられた私は、入院の荷物の中に入ったミキハウスのセレモニードレスを見ながらおいおい泣いた。メンタル崩壊である。
X(当時はまだTwitter)で作っていたアカウントで、同時期に妊娠した仲間たちにたくさん励ましてもらった記憶がある。
なかなか体調は回復せず点滴の針さえ入らないほどの貧血・低血圧状態となった際には、看護師が「よく立てますね」と驚くレベルの数値だった。少しでも歩くと転倒の可能性があり危険とのことで常に車椅子を勧められたが、会陰の痛みで座ることができず看護師に支えられ無理やり歩くという、ぱっと見帝王切開と勘違いされそうな産後生活。
本来であれば退院できるはずの5日目にようやく母子同室が開始された結果退院予定も伸び、5,6日目の二日間で全てを叩き込み自宅へ帰る…というハードスケジュールだったことを覚えている。
そんな中で行われた、たった二日間の母子同室。
おむつ替えや授乳の説明を受け、「じゃあ何かあったらすぐに呼んでくださいね」と助産師が去った瞬間。
「え?」という感覚に全身がおそわれた。説明これだけ?抱っこしていいのこれ?え、どうしよう状態。
コットの中ですやすやと眠る我が子は、可愛い…んだけど、それよりも何よりも「これどうしよう」の感覚が私の場合は強かった。生まれてからほぼ抱っこできていなかったこともあり、今一つ実感が湧かなかったのかもしれない。
顔もまだまだむくみでパンパン、肌色のベビーマスターヨーダという感じだった。ただしこのヨーダは最弱である。ライトセーバー起動時のブォン!だけで多分泣く。
そんな最弱ヨーダを抱えながら、40時間ほぼ寝られていない状態で急遽迎えた退院の朝。
今日退院できますよ!と言われて半分寝ながら支度をしつつ、「本当にこれで帰るの!?今夜から夫婦二人でやるの?全部!?大丈夫かいな」という気持ちでいっぱいだった。
が。
陣痛中に別れて以来、およそ8日ぶりの夫との再会。
私たちは人目も憚らず病院のロビーで抱き合い声を出して泣いた。
生まれてくれた、退院できた、これからはみんなで暮らすんだという思いの方が今後の不安を上回った瞬間である。
大丈夫、なるようにしかならんという気持ちが勝ったのだ。
ようやく我が子に会えた夫は、おっかなびっくりながらも子を抱き抱えると、なんだか少し震えているように思えた。
朝の光が差し込むロビーの中、ソファに座り静かに我が子の顔を見ていた夫の姿に私は人生を感じた。
結婚6年目にして初めて見る、父としての夫の姿はどこか神々しかった。
あとで聞くと、夫はひっそり泣いていたのだそうだ。
・手の抜きどころの話
私と夫は産前から、互いの育児に対する価値観のすり合わせを比較的丁寧に行っていたように思う。
たくさんのことを調べたし、情報を共有するだけではなく、その上で自分たちはどうするか・どうしていくのがベストかを模索し続けていた。
…もちろん、実際に生まれてみなければわからないことの方が圧倒的に多い。
それでも頭に入っている知識の量が一定のラインを超えている、そしてそれが片方だけではなく夫婦共通の認識であるということは重要だった。
まず私たちは、子育ての主体は親ではなく子供であるという認識を互いに一致させた。
子育てのやり方は家庭ごとに異なって当たり前なのだが、正直この育児というコンテンツに関しては、手を抜こうと思えばいくらでも抜ける部分が多いというように感じている。
だからこそ大事なのは、手の抜きどころを間違えないことだ。
例えば、使用した哺乳瓶をすぐに洗わず流しに溜めてしまうことは一般的にあまり良くないかもしれない。
洗い物が重なれば大変さも増すし、何より不衛生な感じを受ける。
が、それは大人の都合によるもので赤ちゃんにはあまり関係がない。
哺乳瓶はどうせしっかり消毒するし、都度洗わずにおいても困ることがないよう本数を多めに買っておけば良い(=金で手間を買い手を抜く)。
余裕がある時にまとめて洗うつもりで溜めておいても、赤ちゃんからすれば〈衛生的で適温のミルクが程よいタイミングで出てきてくれさえすれば、一時的に流し台の状況がどうなっていようが知ったこっちゃない〉だろう、だから洗い物に関しては手を抜くで意見は一致する。
都度洗わず何本溜めても不自由がないようにと、最終的に我々は8本の哺乳瓶を買った(!)
大人の食事だって、毎度食材を買って使って作って洗い物して…なんてやってられない。
丁寧に暮らす心持ちがありバイタリティに恵まれた人はその限りではないだろうが、私たち夫婦はこの辺りを手抜きすることで自我を保った。
少しでも疲れを覚えていたら食事は買う。デリバリーを頼む。洗い物だって溜める。
先述したとおりこの辺りをいくら大人が手抜きしようが、良い意味で赤ちゃんにはあまり関係ないからだ。
もちろん、本来は3食健康的なご飯を食べ、大人の栄養管理にだって気を配った方が良いに決まってる。
が、常時睡眠不足な中で我々が優先したことは食事の質に気をくばることより体力を温存することだった。
幸いにも母乳はよくでる方だったので、食事量に問題はなかったのだと思う。
(結果的にディーマー気質を発動し混合育児はわずか1ヶ月で終わるのだが、母乳に関しては別途まとめる)
反対に、寝かしつけなどに関しては手を抜かない。
赤ちゃんにとって最も安全に寝られる場所は、SIDSなど窒息や転落の危険性が最も低いであろうベビーベッド一択である(諸説はあるし主観として)。
新生児はとにかく寝ない。
いわゆる背中スイッチというやつが本当に精度高く作られているので、せっかく抱っこで寝かしつけたとしてもベッドに置くとまたギャン泣きだ。
それを再び抱き上げてまた寝かしつけて…というのを繰り返していると、あっという間に数時間経っている。
ようやく寝てくれたと思いきや、わずか10分で覚醒し再び寝かしつけに入らざるを得ない…なんてこともある。
それが複数回重なればもう朝だ。
正直なところ育児で一番辛いのは、育児そのものというより自身の寝不足だった。
例えばこれを授乳させながら寝かしつけたり(いわゆる添い乳)、添い寝状態で一緒に横になればもっと楽に寝かしつけることはできるだろう。
しかしそれらは窒息や転落など多少なりリスクの生じる寝かせ方であり、私たち夫婦が思う手の抜きどころとしては適切でなかった。
一晩中ほぼ寝られず腱鞘炎になりながら抱っこをしたとしても、ベビーベッドの使用を徹底したのは手を抜きたくないからというより、〈子が大事だから、少しでもリスクになるようなことはしない〉がゆえである。
万が一窒息させてしまったら?
万が一転落したら?
妊娠も出産も、たくさんの奇跡の上で起きた出来事だと知っている私たち夫婦には、その万が一が起こり得ない確信などあるわけなかった。
結果的に私たちは、スワドルアップやトッポンチーノ、ネムリラなどの文明の利器に助けられながら新生児期を乗り越えた(=金で労力を買い手を抜く)のだが、これは正解だった。
〈手を抜けるところは抜くけれど、それは赤ちゃんの命に少しでも関わるような部分には適用されない〉で一致する。
もちろん、疲労が蓄積し寝かしつけに苦労している人が添い寝や添い乳をすることを否定しているわけではない。
ただ、そうせざるを得ないくらいに母親が疲れていたり余裕がなかったりするのであれば、それはもう本人ではなく、そこまで母親を追い詰めたり疲れさせたりするような環境や周囲の人間にも原因や問題があるように思う。
なぜ母親ばかりが限界を超えなければならない?
父親だって限界を超えろと思うし、行政の支援もそういった部分に手厚くあるべきだし、少子化対策ももっとどうにかしろと思ったり…どんどんそういう方向に不満は膨らむよね。
大事なのは親が手の抜きどころを適切に見極め、体力と気力を温存すること。
寝不足も体力不足も大変に辛いことだが、結局その皺寄せは子供にいってしまうから。
寝不足が続けばイライラしてしまうこともあるだろうし、母乳の質にも影響する。体力不足が続けば貧血や眩暈で転倒、場合によっては抱っこした子供を落としてしまう可能性もある。
手抜きはたくさんすべき、でも手の抜きどころを誤ってはいけない、という共通認識が夫婦で一致しているととても楽。
・超絶ゆるゆるジーナ式と母子別室
せっかくなのでこのまま睡眠の話をする。
私たち夫婦は妊娠前に新居を購入していたため、順調に竣工すれば産後5ヶ月でマンションが完成・新居に引っ越しすることが決まっていた。
そしてそれに合わせ、子供部屋で赤ちゃんを一人で寝かせる…いわゆる欧米式の子育てをしようということも事前に相談していた。
もちろんそれは生まれた子の気質にもよるだろうし、親がこうしようと決めたからといって、子がそれに順応してくれるとは限らない…という前提はある。
だが早い時期に一人で寝られるようになると、親が自身の睡眠を確保しやすいだけでなく、順応の早さが功を奏した場合、本人の寂しさやストレスも少ないのではないかという見通しも含め、親子別室睡眠にはメリットが多々あると感じていた。
そのために親として、新生児期から意識しておかなければならないことは二つ。
①子供に寂しい思いをさせないこと
②子供の安全を守ること
だ。②に関しては頑丈なベビーベッドと、以前からおすすめしているCuboAIがかなり役立ってくれた。
単なるカメラだけではこうもいかないだろうが、呼吸や体勢の変化を感知するセンサーパッドが逐一異変を知らせてくれる。
睡眠時もipadとiPhoneで夫婦それぞれ起動したアプリで音量を上げ、二重にモニタリングをし、少しでも何かあれば飛んでいけるように整える。
ベビーベッドには余計なものを置かない。
温度と湿度管理は完璧に。
さらには、新生児期ということもあり必ず3時間おきに起こしミルクをあげる(低血糖や栄養不足を防ぐため、どんなに長く寝ていても必ず起こしていた)。
100%とは言い難いかもしれないが、安全管理に関しては全力を尽くすようにしていた。
問題は①。
この点に関しては、ジーナ式がとても参考になった。
ジーナ式はいわゆるネントレの宗派(?)で本格的にやろうとするとかなり大変なのだが、要は〈睡眠時のルールを徹底し習慣化させる〉ことで、母子共にネントレに苦労しないリズムを早い段階で作るためのものだという印象。取り組み始めるのは早い方が良いらしく、事前に調べておいてよかったことのひとつでもある。
なので私たちは、ジーナ式の中でも取り入れやすい部分だけを真似することで、我が子が自然に一人寝に馴染むようにサポートする、という考え方を実践していた。
まずはベッドに入る時間の徹底。
18時には入浴させ、19時には寝室に行く(これは一歳を過ぎた今でも徹底している)。
寝室は真っ暗な状態にして、クラシック音楽や波の音(胎内音に近いのだそうだ)をかける。
真っ暗闇の中でトッポンチーノごと抱き抱えミルクをあげゲップさせたら、ひたすら抱っこでゆらゆら。本人が自然に寝つき次第ベッドに置く。
もしも起きて泣いてしまっても、再びまた抱き上げて寝付くまで降ろさない。
本人が泣いているうちはひたすら抱っこをするため、下手すると2、3時間抱っこしっぱなし。
それを完全に寝るまで繰り返す。絶対に電気はつけないし、他の部屋に行くこともない。もちろん添い寝も厳禁。
…とはいえ、赤ちゃんの匂いを堪能したい・我が子と添い寝したいという気持ちもないわけではないので…
ここら辺が〈ゆる〉ジーナたる所以なのだが、朝方や昼間はたまに添い寝をして楽しませていただいた!隣で寝ている姿はとてもかわいい。
ただしその際は絶対に絶対に、自分が先に寝落ちないように注意をする。
先述したように、赤ちゃんに万が一のことがあってはならないという認識。
代わりに夜間は一人で寝かせることを徹底させた。
ただ、こうして何かルールを決めて徹底することは親の負担や疲労にも繋がる部分がある。
元々は私自身、いいや適当で!なんでもいいよ!めんどくせ!という方向に行きがちな性格が故に、寝不足の中で自分の決めたルールを守り続けることには強い意志と体力が求められる。
その点をカバーするために私たち夫婦は、シフト制での夜勤を行うことで体力気力を維持した。
これは産後まもなく夫婦で読み楽しませていただいた、サイトウミツヒロさんの漫画を参考にさせていただいてのこと。
我が家は夫婦共働きではあるものの、紆余曲折を経て結果的にお互い半年の育休を取得している。
そのため夫婦揃って育児にコミットできる状態にあったため、このような手法が可能となった。
昼間は二人で育児をするのだが、夕方以降はこのようなシフトとなる。
22〜翌朝4時→妻就寝、夫育児
4〜10時→夫就寝、妻育児
時間帯はともかく、単純計算で6時間ずつはお互いがまとめて眠れるようにということで組んだシフトだ。
もちろん実際は泣き声で起きてしまったり、互いの助けになろうと手伝ってしまったりして6時間など眠れるわけがないのだが…それでもメリットは多い。
どんなに眠くても辛くても、この時間になれば交代だという、「育児に終わりが見える」ことのありがたみは大きい。
さらには、互いが受け持つ時間帯は自分が責任を持って育児の全タスクを行うことになるため、夫婦ともに同じレベルの育児スキルを身につけることができた。
このシフト制、育児を〈手伝う〉感覚でいる夫さん方には特にお勧めしたいかもしれない。
「夜はなかなか起きられない」じゃないよ、起きるんだよ!!
何日も眠れぬ夜を過ごし手首を痛め寝不足の中で昼間も頭が回らない、その中でも命を守らねばならないというプレッシャーを、父親も母親も平等に体感すべきだと私は思う。
「同じくらい辛い思いをしろ」というところに本質があるわけではない。「同じくらい辛い思いをしてこそ、夫婦は同じ目線で育児に向き合いやすくなる」という点が本質。
同じ目線であることは、真なる理解のために大切だ。パートナーの疲れや苦労を理解すること、育児について理解を深めること、どちらもまずは同じ目線に立つことから始まる。
私の夫は寝室のベッドに私を寝かせ、自分はリビングに布団を敷いてモニタリングしながら爆音でアラームをかけて夜勤に対応してくれていた、そんな生活をおよそ4ヶ月間続けた彼が、私の育児に関する一番の理解者となったのは至極当然な流れだ(偉すぎる)。
このゆるジーナ式とシフト制のおかげで、私たち夫婦は穏やかに育児を…とは言い難いくらいたくさんの衝突をしつつも、互いに励まし合い夜間育児を続けた。寝不足で頭がおかしくなって、わけわからん喧嘩をしたこともたくさん。
しかし努力の甲斐あって(?)か、
こんな感じで、2ヶ月を過ぎたあたりからゆるゆる適当ジーナの恩恵を感じられるような状態にはなった。
とはいえ我が子は昼寝ができない子供だったので、睡眠サイクルが確立しているとは言い難い。
さらには3ヶ月以降は、例のメンタルリープにより睡眠退行めいた不安定時期も増えてくるので…まぁそううまくはいかないよとは思いつつも、多少なり効果が感じられるという結果に。
念の為伝えておくと、我が家は〈里帰りなし〉〈生後1ヶ月以降は完ミ〉〈時折おしゃぶり使用〉〈スワドルアップ毎晩使用〉〈夫婦ともに長期育休〉〈夫はかなり育児に意欲的〉〈育児には本人の気質や周囲の環境も大きく関係しているため、親の努力が全てなわけはないという前提ありき〉です。
新生児期からの習慣づけがあってか、一歳を過ぎた現在の我が子は19時になると寝室で一人で寝始める…が、これは親の努力がどうのというより、運よく与えられたものが多い状況での行動と選択の結果が一部子に反映されたという認識。
寝起きが悪くぐずることはあるものの、一人で寝ることが寂しくて騒ぐようなことはなく、にこにこでベッドに入るので②に関してもうまくやれたかなと思っている。
・思い出
入院中も退院後も、新生児期の1ヶ月間はおそらく、人生で一番寝ていない。
睡眠不足の影響もあってか、思い出せる内容はほとんどが赤ちゃんそのものの記憶ではなく、育児に対する過酷さや疲労の記憶。
寝られなくてしんどかった、大変だった、もう二度とやりたくない、あれは辛かった、眠かった、眠い。
でも、それで良いのだと思う。
おそらく赤ちゃん本人にも、新生児期の記憶など残っていないはずだしね。
1日中寝るかミルク飲むか排泄するか泣くかの繰り返しの中、お互いにキラキラした思い出ばかりを抱えていられるわけがないのだ。
そんな大変な日々の中にも、幸せはたくさんあった。
寝不足の中で初めて目にした新生児微笑、にっこり口角を上げて微笑む我が子に初めて、「うちの子可愛い」という感覚を覚えたこと。
退院の際に、病院のロビーで目にしたあの優しい光と雨の音。
我が子を初めて抱く夫の姿。
毎晩の寝不足の中で、私と子を最優先に全てを守ろうとしてくれる夫の行動や言葉。
お七夜を迎え名前をお披露目した時の、少し気恥ずかしいような思い。
(僕が考えた最強の名前!みたいなのを他人に伝えるの、別に恥ずかしがる必要は全くないんだけどなんとなく照れちゃうよね)
そして、赤ちゃん自身の泣き声やおいしい匂い。
小さな小さな手足と、力一杯泣き叫ぶ声。
爪で引っ掻いてしまって傷だらけの顔や、乳児湿疹で荒れた肌。
まだまだむくみで腫れぼったい目。
こうして記録しておくと思い出しやすくなるからね。
綺麗にまとめようとしているけれど実際は、
・夫、私の入院中に猫のトイレに躓き足の指を骨折(心配もあるけれど骨折以上に大変なことになっていた私は、正直おいおいおいおいという気持ちになった/それでも懸命に手を抜かず育児していた彼はすごいと思う)
・私、会陰裂傷と切開によりU字クッションにすら座ることができず、ほぼ1ヶ月間立ちながら食事をとる(座れない=休息が取れないなので心が死んだ)
・猫、赤ちゃんの存在に憤怒(退院当日、悲痛な声を上げながら寝室に引きこもり鳴いていた猫の姿かわいそうオブかわいそう)
など綺麗ではないエピソードもたくさんあったのでそこらへんも覚えておこうと思います。
次回は生後1ヶ月〜2ヶ月をまとめます。
年内に12ヶ月まで終わらせたいところ!いけるかな!?
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