5w4d 記録開始
まずはタイミング法から考えていたとはいえ、正式な不妊治療を来月から始めようとしていた矢先の妊娠であった。貴重すぎるこの機会に恵まれた感謝とともに、最大限のログを残せるよう努力すべきと思い至った。
私は、高齢出産と呼ばれる年代にいる。
おそらく妊娠・出産・育児に関して私は、一生涯に一度の経験となるであろう年齢を生きている。逆に言えば私は幸運にも、この一生涯に一度の出来事を体験するための切符を手に入れることができた。あくまでも片道切符である。無事に出産を終え、生還し、赤子と共に復路の切符を手に入れられるかは全くの不明だ。運の良さだけで半生を生き抜いてきたという自覚はある。無事に出産し生還してやろうという気概もある。それでも何もかもうまくいくなどそうそうあり得ないことだろう。しかし私はそれを願ってやまない。
さて…当然と言えば当然だが、30代は20代に比べ流産率・死産率・子供の障がい(ダウン症リスクなども含)が高くなると言われており、いわゆる安定期(妊娠16週)まで妊娠を継続できない女性もそれなりに多い。
正確なデータは割愛するが、要するに“妊娠できたとはいえ、私は今後それが続くのか・健康な子供が無事に生まれるのかは全くわからない”状態にある。
もちろんこれは母体の年齢には関係なく、どのような妊婦にも同様に言えることであり、このリスクがゼロになることはほぼないと言って良いだろう。あくまでも年代によって、リスクの高さに上下が発生し得るということだ。数多の妊婦が不安を抱え、リスクを背負い、数々の苦しみを乗り越え子を産むという事実には変わりない。しかし私は自身が妊婦となるまで、それらの事実をあくまでも情報としてしか捉えていなかった。
妊娠検査薬で陽性の線を初めて見た時、喜びと共になんともいえない恐怖が湧き上がってきたのだが、おそらくはこの恐怖こそ、私の中に蓄積されていた“情報”の正体である。未知とは恐怖である。どのような恐怖が眼前に控えようとも、人はその正体を探り、知ることで幾許か安心を覚えるものだと思っている。しかし例外は多く、妊娠・出産に関しては殊更、知識が新たな不安を呼び、恐怖を膨らませ、時には過剰な恐れを抱かせてしまうことがある。
「心身ともに健康な、五体満足の子供が生まれますように」
この願いもまた、そうならない可能性があるという情報を知るからこその恐怖からくる祈りである。
私は、生殖に関わる様々な恐怖の正体を情報そのものであると認識した。だからこそ、たくさんの情報を得、恐怖と向き合い、その正体を知ってこそ出産に正面から向き合えるとも考えた。不安、恐れ、悩みと、マイナスの思いがひとしきり湧き上がった後にようやく、今はじんわりと、「それでも、それよりも、嬉しい」という思いを実感できるようになったことがまずは喜ばしい。
こうして記録を残すことは、恐怖の正体を自分なりに噛み砕き、受け入れ、文章として目視することで、恐怖を乗り越え我が子を愛する気持ちを高め、大切に守ろうという決意の確認にも繋がるだろう。仮に、母子ともに・あるいはどちらかに何かの事態が起こったとしても、この記録が私にとっての、消えることのない大切な証になってくれると信じている。
妊娠前は、まだ見ぬ・想像もできぬ我が子への無償の愛よりも、夫の遺伝子を後世に残したいという思いが大きく、そしてそれが子供を欲しいと思う気持ちの唯一の源であった。あとは親が喜ぶ顔を見たい、というのもあったかもしれない。要するに他人軸の欲望でしか、子供が欲しいと望めないタイプの人間だったのだ。
だが妊娠中の今は驚くべきことに、米粒ほどの小さな我が子への愛がすでに芽生えているのを実感する。不思議なものだ。安心して出産・育児に臨めるであろう環境を守り続けてくれている、夫には心から感謝している。甲斐甲斐しくつわりの介護をしてくれる彼に、私は今後も頭が上がらないであろう。
現在は胎嚢確認のみができている状態である。2週間後に心拍確認のため再来院せよと言われたが、心配性なので1週間後に予約をとった。いわゆる食べづわりと呼ばれる症状がひどい。
レオナルド・ダ・ヴィンチ 1472〜75年頃 板に油彩とテンペラ 98×217cm ウフィツィ美術館
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