男女差別、そして男性差別:牛角の女性のみ半額セール、あるいは女性専用車両
ゆっくりしていってね!
出張&引っ越し準備コンボで先月からずっと時間が取れないでいるのだわ――という言い訳はさておき。お話しておきたかった問題を取り扱いましょう。
それは男女差別問題がこれまで女性差別に限定されて語られてきたのに対し、近年、まだわずかだけれど男性差別にも適用されて騒がれるようになった件についてよ。
少し前には、牛角が女性のみを対象とした半額セールを実施して、これがネット上で男性差別だと一部で強い批判・非難が巻き起こったわね。(もちろんまだごく一部であって、世間の風潮とまでは言えないでしょうけど。)
まあ牛角の半額セールに限れば、わざわざ対処しないといけない程の問題かって話だけれど、「差別か差別でないか?」を私が考えるなら、うーん、まあ、規制まですべきかはさておき、とりあえず差別ではあるでしょうと答えるわね。シンプルに、性別を理由として待遇に差をつけている訳だし。
「男女でトイレや更衣室を分けるのは区別であって差別ではない」とかはよく言われる話だけれど、これもトイレや更衣室の待遇において顕著な差がないことが前提であって、トイレや更衣室であっても、片方だけ広々とした豪華絢爛な設備で、もう片方がコンクリート打ちっぱなしの寒々しい設備だったら、待遇に差がある点で(性)差別と表現して差し支えはないでしょう。
とはいえ、価格差という明らかな待遇の違いがあっても差別ではないか、または許容できる差別とする論もあるわ。ていうか、ネットではむしろそっちが大半ね。その論は大きく分けると次の二つが多かったわ。
一つは、「合理的な理由」(統計的に男性の方が女性より多く食べる)があるので、そもそも差別ではなく区別だとする意見。
もう一つは、民間企業にはどういうサービスを誰に提供するかを選ぶ自由があるから、女性のみ半額としても(差別ではあるかもしれないが、仮に差別だとしても)経済的自由権の範疇であり問題はないとする意見。
ただ、どちらの意見もこれだけだと素朴すぎて欠陥が目立つわね。ちょっとこのへんを整理していきましょう。ついでに、この問題を調べている過程で見つかった女性専用車両に関する日本と海外のフェミニストの姿勢の違いも最後に述べるわ。
統計上の有意差があるから差別ではなく区別?
「女性の方が男性よりも統計的に食べる量が少ないから、女性のみを半額としても、それは合理的な区別だ」という意見があるわ。牛角がそれとなく主張していた内容でもあるわね。
確かに一見すると説得的かもしれない。でも、統計に基づいて待遇の違いを正当化するタイプの論を差別問題に適用するのは、かなり慎重でなきゃいけないでしょう。
例えば、職種によっては、男女で業務処理能力に統計上の有意差がつくものってのも普通にあると思うのよ。
じゃあ、そういう仕事の場合は男女で賃金格差を設けても、牛角の女性のみ半額のセールが「合理的な区別」に過ぎないように、こうした条件付きの賃金格差に関しては同じく「合理的な区別」と言えるかしら?
当然ながら、ある女性が、個人としては平均的な男性よりもたくさんの仕事を処理できるとしても――もしくは逆にある男性が、個人としては平均的な女性より仕事を処理できないとしても――「女性だから」「男性だから」という理由で賃金は男性のほうをより高く設定するって話よ。
だって、牛角において「実際に食べた量」は関係ない以上、仕事でも同様に「実際に処理した業務量」は関係ないとしなきゃ例が合わないからね。あくまでも大事なのは男女間の統計上の差よ。個人の差じゃない。
――こう言うと、「合理的な区別」とやらも、なんだか不当・不公平で、ついでに危なっかしくも思えてこないかしら?
ある属性間(性別、人種、学歴、収入……等)に生じている統計上の有意差を実証するだけでは、待遇の違いを正当化するハードルとしては低すぎるのよ。「差別ではなく合理的な区別」と認定するにあたって、純粋にこのハードルだけクリアすればいいなら、事実上、あらゆる差別がやりたい放題よね。何ひとつ合理的らしき理由がつかない差別のほうが珍しいくらいだわ。
例えば、アメリカのいわゆるジム・クロウ法(学校や電車、レストランの利用などにおいて黒人を排除した黒人差別的な州法の総称)も、当時の連邦最高裁は「分離すれども平等」(Separate but equal)という合理的な理由付けによって、分離されていても平等な待遇が受けられることを理由として、差別ではなく区別に過ぎないという判断を下しているわね。
ただし、実際には平等な待遇など実在しなかったことから――まあ白人専用施設と同じだけの黒人専用施設を用意するのは無茶だし、無いもんは無いわ――後年では逆用されてジム・クロウ法の撤廃に一役買うことにもなったわ。皮肉ね。
だから、牛角の一時的な女性のみを対象とした半額セールの実施が、「程度問題としてショボいので、いいんじゃないですか」という論はありうるとしても、「合理的な理由があるから差別ではない」と強い肯定論を述べるのはけっこう危ないのよ。
男女賃金格差も、「女性は統計的に家計の主な稼ぎ手であることが少ない」とか「女性は出世させても辞めてしまうことが統計的に多い」などでいくらでも合理化されてきた歴史もあるからね。
民間企業の自由としての差別
次に反論に用いられやすいのが、差別かもしれないけれど、そうであっても民間企業の経済的自由権の範疇だとする論ね。
経済的自由権と表現の自由のような精神的自由権に関しては、後者に優越性があるというのが憲法学上の設定になっているわ。まあ、設定どおりに実社会が動いているかはともかく。
一方で、経済的自由権と平等権の間についてはただちに明らかではないわね。ただし、男女雇用機会均等法や労働法4条(ざっくり言えば、男女における賃金格差の禁止)が存在するように、「民間企業の自由だ!」と唱えておけば、平等権などの基本的人権の保護を目的とした国家介入をすべて阻止できるものでもないわ。
民間企業の自由権を優先とするのも一つの考え方だけれど、既に労働者や消費者の権利保護のために民間企業の自由を制約する多くの法令があり、だいたいの国民はこうした法令による恩恵を受けているでしょう。また、そうした法令を作って国民を守ることは、ある面で積極的に国家の義務であって、違憲でもないわ。
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