クレジットカード会社や大手プラットフォーム事業者による表現規制問題:欧州のデジタルサービス法に寄せて
ゆっくりしていってね!
2024年5月、ニコニコ動画公式から「Visaの扱いを停止する」旨の発表があったわ。
また、2024年4月にも、DLsite.comがVisa、Mastercard、American Expressの利用ができなくなると発表したわ。
このクレジットカード会社を通した表現規制の問題は、Pornhubの時にも同様に表現の自由への脅威として話題になったわね。
クレジットカード会社はなぜ表現を規制する?
VisaやMastercardのようなクレジットカード会社による表現規制は、実際に私たちが享受できる表現の幅を著しく狭めるわ。
もっとも、クレジットカード会社がこうした表現規制に突き進んでいる動機はいまいち判然としないわ。もちろん真実は公開されないから(あるいは公開した表向きの理由が正しいとも限らないから)何とも言えないのだけど、単純には減収になるし、「いや、私たちは決済手段を提供しているだけで、どういうモノをやりとりされているかは知りませんよ」と素知らぬ顔をしていればいいと思うのだけどね。
とはいえ裏事情は知りようがないから、公開情報からストーリーを考えてみるのだけど、本記事でも後に述べるように、超大手企業に対する規制圧力が強くなっていて、次のような考察もあったわ。
もちろん、「たかが地裁で、しかも第三者申請が却下された程度で、金儲けからそんな簡単に手ェ引っ込める?」とは思うわ。(私は巨大グローバル企業は例外なく拝金主義のクズであって、彼らが道徳性をアピールする時は何らかの利益を隠す時の嘘か誤魔化しだと常に決めつけているわ。)
だけど、「訴訟リスクや世間の評判」くらいしか仮説も出ていないのよね。(ただ、違法な取引があったとして、「世間」ってクレジットカード会社をそんなに意識するかしら? 日本だと「どこのクレカを使った取引だったんだ?」なんて犯罪行為があっても気にされないわよね……。)
まあ確かにニコニコ動画やPornohubは、特に著作権を侵害していそうな違法コンテンツ(アニメやAVのシーンを勝手に切り抜いて掲載している海賊版頒布にほぼ等しいコンテンツ等)があるし、DLsite.comやFANZAにはフィクションだけれど、欧米基準だと児童ポルノとみなされるものがあるわね。
特にアメリカは厳しくて、完全フィクションで実在児童をまったく想起させない非実在児童ポルノであっても、販売・購入・単純所持のいずれも違法とされていて、実刑判決も喰らうわ。
そうなるともはや日本のオタク的表現物で「幼女っぽく見えるキャラのエロを描いたフィクション」は「違法薬物」と変わりがなく、何ならアメリカでは多くの州で合法化されている大麻より余裕でヤバい「ブツ」なのよね。
もしこの仮説が正しければ、クレジットカード会社を叩くのもまた違うのかもしれないわ。「単なる決済手段でいわゆる『導管』『コモンキャリア』ってやつなので、個別の取り引きが違法であっても、クレジットカード会社が主体的に関わった等の格別の事情がなければ免責します」という法律を作ってあげれば普通に喜んで戻ってくる可能性もあるわね。仮説が正しければ、だけど。
表現規制したってクレジットカード会社が儲かる訳ではないのは、さすがに正しいんじゃないかとは思うのよ。
もし、「VisaとAmerican Expressは駄目だけど、うちのMastercardならいけるぜ!」ってことなら、「なるほど、Mastercardさんが競合他社を潰すために裏工作を頑張ったのね!」と簡単に理解できるのだけど、全社駄目になってるからそういう説明もつかなくて謎よ。
一応、JCBがどれでも使えて、いわば「表現の自由」なクレジットカードだけど、まさかJCBがこいつらを裏工作で潰せるほど強いとは思えないし……。
でも、せっかくだしみんな、JCBでクレジットカード作って使いましょう? 私はもうそうしたわ。
民間企業の自由と利用者の自由
さて。「表現の自由」の観点から、民間企業による表現規制に反対すると、しばしばネットでは「表現を規制する主体が、法令が伝統的かつ直接的に『表現を規制してはいけない』と名指ししてきた公権力ではない上、民間企業側の自由もあるのだから、その権利こそ尊重されるべきだ」という論で対抗されることが多いわね。単純化しすぎているけれど、素朴なだけに分かりやすくもある。
でも、私はそれだけで表現規制を自ら容認する態度をとるべきではないとして、ずっと批判してきたわ。
ここから先は、大手プラットフォーム事業者による超巨大企業による表現規制、いわゆる民間検閲(private censorship)について、欧州およびアメリカでの議論も参照しながら述べるわよ! 特に後半では欧州のデジタルサービス法(Digital Services Act, DSA)を扱うわ!
素朴な論の欠陥
まずは、確かに民間企業にも経済的自由権および精神的自由権がある。けれど、当然ながら個人にもあるし、かつどの自由権も実際に制約を受けるわ。
例えば、既に放送法が規定していて特に違憲ともされておらず、また「企業側の表現の自由こそ大事だ」と唱える論者も反対していない次の決まりがあるわ。(彼らの主義主張からすれば、積極的に反対するべきでしょう。)
この論はヒトシンカさんが詳しく扱っていらっしゃるけれど、復習もかねて、私からも改めて述べておきましょう。
どうしてテレビ局は民間なのに、「できるだけ多くの角度から論点を明らか」にしなくてはならないなんて、表現内容について指図されるのかしら? それぞれ自社のポリシーってもんがあるだろうし、自分たちが「正しい」と考える意見だけを選別して報道する自由はないの?
一応の答えとして、法文上は「そこまでの自由はない」という設定ね。ここには、たとえ民間であろうと支配的・寡占的なメディアによって、国民の「知る権利」が事実上制限され、民主主義的な議論(思想の自由市場)が歪められることがあってはならないという思想があるからよ。
まあ現実にはこんなの無視して偏向報道しているように見えるけど、それは「政治的に公平であること」は、放送事業者の表現の自由を尊重し、原則として自律的判断に委ねられるとされているためよ。(最判平成20・6・12)
ただ、同時に「自律的・自主的に基準(番組基準)を定め、それを公開するなど透明性を確保してやれ」と法律で命令しているのも確かなこと。
当然、「自律的判断に委ねてもらえてるんだよね!」と考えて放送事業者が好き放題すると、「番組基準違反」等を理由とした行政指導を喰らうわ。(参考資料:行政の対応に関するこれまでの主な意見, 総務省)
放送法は国民の「知る権利」を尊重した考え方だけど、大手プラットフォーム事業者についても理屈上の応用は利くでしょう。「サービス利用者がその民間プラットフォームで表現する権利」はそのまま「そうした表現を知る権利」とつながっているわ。それを守る法的な仕組みを用意してほしいと主張しても、それは「表現の自由」論的にも王道と言える立場よ。
これは逆に言った方が一部の人には理解しやすいかもしれないわね。仮に「表現する場を提供する民間企業は、とにかく民間なので、いくらでも恣意的にその場の表現物を検閲・削除してよい」とすると、それこそ「表現の自由」が危機に陥るでしょう。
それに、超巨大企業の権利なんて、持ち前の大金を使ってロビー活動をし、議員を抱え込み、超強い弁護団を結成して実際に主張しまくってるんだから、私たちの方から思いやってあげないといけない存在じゃないわ。
なるほど企業が企業側の自由を強く主張するのは当たり前だし、私のようなユーザーが私の自由を強く主張するのも当たり前でしょう。どちらも自分がほしい権利を自分で主張しているという話だからね。
でも、明らかに今問題となっている企業側に利害関係を持っていないような個人が、「企業側の自由」をやたらと重視した論を展開するのは、不思議を通り越して不気味と言わざるを得ないわ。欲しいものを欲しいと素直にいいましょうよ。最終的な立法や司法判断がどうなるかはともあれ、権利の主張それ自体が別に違法ってことでもないんだし。
誰の表現の自由を守りたいのか。企業側の自由と衝突するとしても、「双方の自由権のバランスが取れた」とされる位置を、どれだけ私たち側に引き寄せられるか。その原点に立ち返りましょう。
欧米に見るプラットフォーム規制法
企業側の自由権を重視する論者に言わせれば、「企業の『表現の自由』の行使だから妨げてはいけない」そうね。
けれど現在、欧米社会を中心に問題視されている民間検閲(private censorship)は、そもそも「表現」(expression又はspeech)にあたるのかすらも司法に疑問視されているわ。
例えば、リベラルなポリシーを持つ大手プラットフォーム事業がいるとして、そこでユーザーから投稿された保守的な意見をいくつか削除したとしましょう。
この「削除」って「事業者による表現」なの? 表現というより行為ではなくて?
たとえば自分で作ったイラストや漫画、小説、あるいは論説文や感想文、そういうのは当然に「表現物」でしょう。著作権も発生するし、また内容によっては名誉毀損などの法的責任を問われて処罰されることもある。
でも、「プラットフォーム事業者が特定のコンテンツを削除することを通して自らのポリシーを表す」ってのは、自己表現の一種だと分からなくはないけれども、従来考えられてきた表現物からはかなり距離があるわよね。
また、プラットフォーム事業者は、「あくまでも表現をやりとりする場を提供しているだけ」として、そこに投稿された表現物に関する法的責任も相当免除されているわ。(企業の自己表現だとしてもいいが、それならそれでユーザーの投稿に対して一部は連帯責任を負うのか、負う覚悟があるのかという話にもなってくる。)
アメリカの裁判所は、「まず表現だとは言い難いし、仮に表現だとしても、純粋な言論と比べれば、弱い保護しか与えられない」と判示しているわ。
アメリカのプラットフォーム規制まわりについては、以前のnoteで取り上げた通りよ。連邦最高裁は現在、議会に判断を求めているんだけど、アメリカ大統領選も近いから目立った進捗もないわ。詳細はこちらを読んで頂けると幸いよ。
なので、まだ扱っていなかった欧州(EU)に目を向けてみましょう。ついに施行されたデジタルサービス法(Digital Services Act, DSA)は、「表現の自由」に関する様々な問題をはらんでいるわ。
実際、私としても賛同できる部分と、賛同できない部分があるのよ。まずは賛同できる部分からいえば、DSA提案書の「基本的権利」の項目に書かれている次の内容はいいわね。
EUの中でもとりわけドイツは、憲法論においても基本権保護義務論が強いから、「私人間で起きる基本的人権の侵害からも、国家は立法を通して国民を守らねばならない」という考えが浸透してるのよね。
DSAがユーザーの表現の自由を守るために具体的に何をするのかというと、提案書が実際に採択された条文を読むと分かるわ。実際の条文とあわせて説明していきましょう。実際、私のエックスアカウントの凍結解除とも関係がありそうなのよ。時期的にも合うし。(DSAは表現関係ばかりの法ではないけど、本記事の主題として。)
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