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準備を展げる準備(1):地面を歩く(浜田)

岡田美智男『弱いロボット』という本の「あとがき」に、こんなことが書いてありました。ちょっと長いんですが、引用してみます。

 「なにげなく歩く」というのは、とてもおもしろい行為だと思う。考えるより先に、とりあえずの一歩を繰り出してしまうのだから。
 本書の中で繰り返し述べてきたことは、この「とりあえずの一歩」はとても「か弱い」もの、おぼつかないものでありながら、ただ「弱い」だけではないということだ。乳児が一人でヨタヨタと歩き出すその姿は周囲の人をハラハラさせつつも、新たなことを次々と生み出していくように、なにげない一歩は、侮れないほどに可能性をもった一歩でもあるのだ。
 私たちの日々の暮らしも、この繰り返しの中にあるのだろう。どこに進もうとするのか、いま何をすべきなのか。そうした岐路に立ったとき、どうなってしまうかわからないけれど、せっかくなので一歩だけそっと踏み出してみる。すると、自分のやれることが少し見えてくる。この拓けていく感じがいい。そしてまたもう一歩だけ踏み出してみたくなる。
 一冊の本をまとめる作業も、これとよく似たところがある。ああでもないこうでもないと考えてきたが、いざ文章にまとめようとすると最初の一行がなかなか書き出せない。何を書くべきか、何を話すべきか、こんな文体でいいのか、この流れでいいのか……。
 でも、とりあえず書き始めてみると、見えてくることがある。そこで視野が少しだけ拓けてくる。なにげなく書き始めた文の断片は、次の思考や言葉をガイドしてくれる。そうした構えができると、少しずつ書くことそのものが楽しくなってくるのだ。

岡田美智男(2012)『弱いロボット』, 医学書院(シリーズケアをひらく), 210-211.

抜き出してきてしまったので補足したいのは、ここで岡田は「どんどん進むべきだ」とか「とにかく頑張るべきだ」などと言っているわけでは全くないことです。ここの「とりあえずの一歩」には「いったん立ち止まる」や「もっと頑張らない方法を試す」もコマンドとして含まれている、と、とりあえずは考えていいと思います。

この本での大事なキーワードの一つに「グラウンディング」という言葉が出てきます。私たちは道を歩くとき、身体を地面に委ねていて、同時に、地面は身体を支えているといえます。この「委ねる/支える」の関係をヒントに、著者はロボット開発のことを考えてみようとします。また、引用。

 私たちはなにげない一歩を踏み出すときに、その一歩の意味をあらためて考えることはない。どうなってしまうかわからないけれど(たぶん、その地面がしっかり支えてくれるだろうとの期待の下で)自分の身体を地面に委ねてみる。その結果として、しっかりと支えてもらった、期待を裏切られなかったという安堵感を得ている。
 この「どうなってしまうかわからないけれど……」という感覚はおもしろい。自分の行為なのだけれど最後までは自分で責任をもてない。その意味で、地面に自分の身体を委ねようとするとき、そこには小さな〝賭け〟がある。〔中略〕
 コンピュータや機械などを上手にコントロールしようとすると、こうした発想はなかなか生まれにくい。自分以外のものに制御の一部を委ねれば、それだけ不確定な要因が増えてしまうからだ。「そんなことではちゃんとした振る舞いは生み出せない」とはじめから考えてしまう。

岡田美智男(2012)『弱いロボット』, 医学書院(シリーズケアをひらく), 65-66.

最初に引用したあとがきの「とりあえずの一歩」というのはこのような「小さな〝賭け〟」の一歩のことです。

申し遅れました、浜田誠太郎です。俳優で、演劇の研究をしています。どらま館劇場企画「手探りの準備」の企画者であり、参加メンバーの一人です。

「手探りの準備」という企画は2023年5月から本格的に始まり、もう一年半ほど継続して実施しています。ざっくりと概要を述べてしまえば、月に一回メンバーで集まって進捗報告をする、という、それだけっちゃあそれだけの集まりです。

ただ、報告のフォーマットやら会の進め方、参加にあたってのルールなど、なんかチマチマとたくさん決まりごとがあったり、そして、それらを守ってもらえなくても気にしない、みたいな、企画者としてのマネジメントがあったり(笑)と、もう一歩詳しい説明をしようとすると、話が急に複雑になっていきます。私の働いているどらま館制作部のスタッフと話すときも、いつも説明がくどくて、眠たそうな顔されてしまうこともあります(ごめんなさい)。

でも、いたずらに複雑にしているわけではなくて、それなりの事情や考えがあってこうなりました。でも、上手く説明がまとまらない。参加してもらえると、参加者それぞれに、なんか、それなりに旨味のようなものを持って帰っていただいている気はするんですが、外の人にひらいたプレゼンテーションがなかなか難しく感じています。

あと、「手探りの準備」という企画は「それぞれが、それぞれの〈企画〉をする」ことが肝になっていると──少なくとも私としては──思うところなんですが、約二年やってきて「企画することのハードルがものすごい高い」と気づきました。これはまったく予想外でした。この気づきも、本当は実例とかを交えつつ整理してプレゼンテーションしたいところなんですが、悩んでいたら、あれよあれよと時間が過ぎてしまいました。

試しに、この気づきを得たキッカケを一つ書いてみます。

「手探りの準備」の進捗報告では「アクション・アイテム予想」というターンがあります。報告を聞いた人は、その報告に対して良いとか悪いとか、もっとこうするべきだみたいなアドバイスをするのではなく、「次回の報告までに、報告者にとって適切な課題を予想する」というようなことをします。これが「アクション・アイテム予想」。この「予想」をするために、報告者とコミュニケーションをとります。各々の予想が出揃ったら、せーので予想を見せて、その中から報告者本人が次回までのアクション・アイテムを選びます。

このアクション・アイテムというのは、別になんだっていいし、なんなら次回までにできてなくてもいいものです。とにかく決めることが大事だと思っています……思っていたんですが、なんかちょっと、個人的にモヤっとする傾向が見えてきました。というのは、「まずは一人で頑張る」という形のアクション・アイテムが非常に多いことです。予想でも出てくるし、本人も選びやすい。

書いていたら、なんか文章がむっちゃ長くなりそう。今日は長く書くのはやめよう、あんまり時間が無いので。

手短に言うと「まずは一人で頑張る」系のアクション・アイテムというのは、たとえば「記事を書いてくる」とか「一人で机に向かう時間をつくる」みたいなものです。「スケジュールを整理する」みたいなものあります。

もちろん、これが悪いアクション・アイテムだとは全く思いません。というか良いとか悪いとかは無い。上に書いたように、アクション・アイテムはなんだっていいのだし、できなくてもいい。ただ、その場でやることが決まるというのは、それだけで視界が広がった気がする。こういう良さも「手探りの準備」の進捗報告会にはあると思うし、企画意図にも含まれていました。

たぶん、ちょっとモヤっているのは、「自分ひとりで強くなろうとしてない?」と、アクション・アイテムの選択から私が感じている、ということなのかもしれません。そして「それぞれが、それぞれの〈企画〉をする」という部分で考えていたのは、「既に手元にある、いろんなものをもっと頼ろう」ということでした。ここに、ちょっとバッティング感を覚えているのかもしれない……。

と、こんなことをモヤモヤ考えながら図書館を歩いていたら見つけたのが岡田美智男『弱いロボット』という本でした。私にとって〈企画〉というのは、グラウンディングの一つの形。徒手空拳にただただガムシャラみたいな「大きな〝賭け〟」ではなくて、道を歩く時の一歩のような「小さな〝賭け〟」の小ささをつくるのが〈企画〉だ、と、読んだときには思いました。

あとがきを読んで、とりあえずの一歩としてこの記事を書いています。ただ大事なのは『弱いロボット』は「一人で書く」というアクション・アイテムの下つくられたものではないということ。冒頭で引用した部分のあとには、さまざまな研究会や編集者との会議、あと勤務先の研究所での取り組みなどへの謝辞が書かれています。こういうグラウンドがあって書かれた本です。私もまた、ここから様々なグラウンドを、自分で企画したり、他のグラウンドへ出向いたりしながら、書き進めていこうと思います。

なんか尻切れトンボに、今回を終えます。

※トップ画像はこちらの記事からお借りしました。


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