君はコーヒー豆焙煎以外に何をする?
いつも #てさぐり部 の中心にいる手回し式焙煎器くるくるカンカン。その魅力はわざわざ自分の手でコーヒー豆を焙煎することで心にゆとりが生まれることだ。これが全自動であれば意味がない。「わざわざ」手間をかけることが大事なのだ。
だとしたら「わざわざ」をさらに突き詰めてみたらどうだろう。
例えば、くるくるカンカンでコーヒー豆焙煎以外のことを「わざわざ」してみたら? そうすれば、もっと心のゆとりを得られるのではないだろうか。この試みがうまくいけば、きっとゆとりのある暮らしが私たちの身の回りにどんどん拡がっていくはずだ。
「わざわざ」コーヒー豆焙煎以外のことをやってみる
「わざわざ」──それは日常が単なるルーチンの枠から抜け出し、楽しさや充実感が広がる瞬間だ。今日はこのくるくるカンカンで「わざわざ」コーヒー豆焙煎以外のことをやってみる。言わば「わざわざ」を味わってみるのだ。
……とは言ったものの、改めて見ると明らかにコーヒー豆焙煎に特化した道具だ。他に使い道はあるんだろうか。
くるくるカンカン、その特徴とは何か。はじめて手にとったときのことを思い出そう。
「なんてしっかりした作りなんだろう……。これはいいものだぞ」と私は思った。
それは見た目以上の重厚感、重みから来ているんじゃないか。
重み。重みか。
その重みが明日への筋力と、心のゆとりを育む!?
「最近筋トレやってるんですよ。コーヒー豆焙煎器で」
私がこんなことを取引先とのアイスブレイクで言い始めたらどうなるんだろうか。もしかしたら仕事を減らされるかもしれない。
でもそれは「わざわざコーヒー豆焙煎器で筋トレやるバカなやつ」と思われたという証だ。仕事的には失敗だが、今味わおうとしている「わざわざ」は達成できているはず。大丈夫だ、ここまでの私は間違ってない。
自分を信じて「わざわざ」コーヒー豆焙煎器で筋トレをやる。その重みが明日への筋力と、心のゆとりとなり、私は世間からまたもう少しだけ失望されることとなるだろう。
いやいや、筋肉は裏切らないと聞く。自分と自分の筋肉を信じてくるくるカンカンを持ち上げてみよう。
その手応えを漢字2文字で表現すると
筋トレとしてくるくるカンカンを持ち上げてみる。それは普段の「くるくるカンカンを移動させよう」という目的のための持ち上げとは明らかに違う重みの感覚だ。その重みを言葉にすると「これでいいのか」であり、2文字にすると「不安」だ。
ダンベルの方も持ち上げてみる。するとダンベルが語りかけてきた。「俺の方がいいだろ?」。確かに、ダンベルには「重み」以外にも「重心」や「小ささ」という実用的な軸があることに気づく。真ん中にきっちり重心があって取り回しやすいのだ。
いやいやいや、負けてはならない。ダンベルでなく「わざわざ」コーヒー豆焙煎器を持ち上げるところに、なにがしかの意味があるはずだ。
思い出せ、くるくるカンカンで初めてコーヒー豆を焙煎したときの、あのワクワクを。
このハンドルを回すことでどんな焙煎に仕上がるんだろう。そして自分で焙煎したコーヒーはどんな味がするんだろう。
同じように考えるんだ。
このスタンドを持ち上げることでどんな筋肉がつくんだろう。自分でつけた筋肉とは何をするための……
なんでわざわざくるくるカンカンで筋トレをしているんだ?
楽しさの魔法にかかりきらないうちに「我に返って」しまった。やはりあの熱中はコーヒー豆焙煎でないといけないのか。
いや、まだ第一歩だ。答えを出すのは早いだろう。重みを手がかりに、まだ何かできるはずだ。
次はこれだ!
コーヒー豆焙煎器は文鎮としてどうなのか
この鋳物としての重みは文鎮としてピッタリなのではないか。書道をしてみよう。
セッティングしてみたところ、物としての雰囲気はバチバチに合っている。言ってみれば書道自体「わざわざ筆で文字を書く」ものだし、くるくるカンカンと相性が良い。そうだ、雰囲気こそが重要なのだ。私は金も名誉も要らない、ただやってる感さえあれば、他になにも要らないくらいだ。
よし、書くぞ、と筆を上げたところで、自分の視界に占めるコーヒー豆焙煎器の缶の割合が大きいことに気づく。シンプルに邪魔だった。
向きをひっくり返して再び構える。
波のように寄せては返す、ある思い……
恐る恐る筆を入れる。半紙は動かない。文鎮と違って接地面積が小さいものの、筆力を込めなければ文字を書くには十分であった。ただし「だからなんなんだ」という思いが波のように押し寄せては返す。
いやいやいや、こうして心静かに筆を動かしていくと、頭の中が無になり、かすかにコーヒーの香りが漂ってくるような気がしてくるじゃないか。
……だからなんなんだ。ザザーン。
なるほど、くるくるカンカンを使っているのだという手応えがないのだ。
目の前にあったハンドルを回してみる。ねっとりとしたこの心地。いつもと同じ感触であるのに、ああ、コーヒー豆焙煎器としての、あのゆとりはどこへいったのだろうか。そんな思いがわいてくる。
くるくるカンカンが生み出してくれる心のゆとりはどこに由来しているのか。今回はくるくるカンカンの「重み」に着目して他のことに使ってみた。だがその試みは甘く、ことごとく我に返ってしまった。
「わざわざ」──私達が目指しているその気持ち良さの敵とは「我に返る」ことなんじゃないか。だとしたらこの「我に返らない」道の先にあるのは新しい自分なのか、それともただの変人か。
まだその答えは見つかっていないが、とにかく探求を続けよう。
(つづく)
クレジット
文:大北栄人
編集:いからしひろき(きいてかく合同会社)
撮影:蔦野裕
校正:月鈴子
制作協力:富士珈機
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