手回し式コーヒー豆焙煎器はキャンプでも使える調理器具になるのか?
くるくるカンカンは、コーヒー豆を「わざわざ」自分で焙煎することでゆとりや優雅さを得るための道具だ。なら、コーヒー豆焙煎以外のことも「わざわざ」くるくるカンカンでやれば、そのゆとりや優雅さを得られるのではないのか? と挑戦し続けて第4回目。
食に着目した前回は無骨な金平糖が出来上がったが、今回はより完成度の高い結果を得たい。まずはチャーハンだ。くるくるカンカン、君は今日から調理器具だ。コーヒー豆焙煎だけに収まる器ではないはずだ!
コーヒー豆焙煎器の限界に挑戦!
で、用意した材料はこちら。
くるくるカンカンの焙煎缶は本来、外缶と内缶からなるが、今回は外缶のみを使用。
そこに、油、ネギ、チャーシュー、そして卵にご飯を入れていく。
さすがに、これで再びコーヒー豆を焙煎するのは気が引けるが、安心してください、焙煎缶は追加購入できますよ!(実際、今回は複数個用意して挑んでいます)
そもそもコーヒー豆を焙煎するものに、それ以外のものを入れていくのはいけないことをしているような感覚になる。脳内にはドーパミンが出ている。
これはきっと授業中にこっそり食べる弁当のような背徳の味になるはず。
すべての具材をくるくるカンカンの中でかき混ぜると、卵かけご飯のようなドロッとしたものが出来上がった。
一般的なチャーハンは、まず油で溶き卵を炒め、そこにご飯、具材などを順に入れて混ぜ合わせていくが、中にはすべての具材を一度に混ぜて卵かけご飯状態にしてから炒めると卵がご飯一粒一粒をコーティングしてパラパラチャーハンができると主張する勢力が世の中にはいる。だから、これもきっとパラパラチャーハンになってくれるはずだ。
くるくるカンカンのハンドルが今までになく重い。こんなみっしりずっしりしたくるくるカンカンは知らない。「あの子にこんな一面があったなんて……私は知らなかった」と、スポ根ものの部活マンガに出てくるガリ勉チームメイトの親のような気持ちになる。
だんだんと香りが漂ってくる。コーヒー豆焙煎ではコーヒー豆の良い香りがしてくるが、これはきっちりチャーハンの香りである。優雅さというか、ストレートに食欲をそそる、つまりは油の焼ける香りである。
前回の綿あめの時は、くるくるカンカンを回して香りを感じた瞬間に、ホッと心にゆとりの種が生まれたのだが、今回は不安が勝ちすぎてその境地に至らない。
本当にチャーハンができるのだろうか??
想像もしなかった新しい味が生まれた!
チャーハンができた。そしてなぜかチャーハンおにぎりもできていた。なぜだ!
回転していくうちに雪だるまのようにおにぎりが出来上がっていったのだろうか。
その味は……しっかりチャーハンである。
こびりつきはあったが、味には問題なく、ちゃんとチャーハンであった。初の良い結果である。
これなら、食事から食後の一杯まで、くるくるカンカンで対応できる。
くるくるカンカン1台でキャンプは可能だ。
しっかりチャーハンができた。
だけどこの場合、わざわざくるくるカンカンで作ることによって生まれたものはなんだろうか。
それはこのおにぎり部分なんじゃないか。
わざわざくるくる回転させて作ったことで、いつのまにか生まれていたチャーハンおにぎり。
これも食べてみた。もちろん味としては同じだ。だけどこちらはパラパラではなく、卵で米同士が合体し、味が玉となっていた。
味にそんな幾何学的な視点があったのか。うまいとかまずいとかではなく、ただ味がボールになっている。そのことがただただ新鮮だった。
チャーハンはうまいしボールは面白い。だけどまたやるかと言われると顔がくもる。こびりついたチャーハンの処理を考えると面倒が大きすぎるからだ。
最後の手段はコーヒー豆に似たアレを焙煎!
そこで最終案、それがポップコーン作りである。
コーヒー豆とポップコーンのタネ(乾いたとうもろこし)は形状が似ている。油を入れるという違いはあるが、やっていることはほぼ焙煎だ。
もはややる前から勝ち筋が見えている。そしてあわよくば、富士珈機社長にくるくるカンカンから「くるくるポップコーン」に改名を迫りたいのだ。
火が入っていくのを想像しながらゆっくりゆっくり回転させていく。
油もある。熱もある。さすがに今回はポップコーンが出来上がることを確信している。
ようやく心にゆとりが生まれてきたかもしれない。だけど心配な点もある。この場合、弾けたポップコーンはどこにいくのだろう。この口からポンポンと飛び出してくるのだろうか。
それはそれで絵的に面白いので大歓迎ではあるが、後片づけが大変そうではある。
ポップコーンができてきた。懸念していたように缶の口からポップコーンが飛び出すこともなく、ただただ静かにふくらんでいく。ふつうならフライパン一杯にポップコーンが生まれていくのだが、この場合ふくらんだポップコーンはどうなるのだろう。
「……まあいいか」
このように思考は停止しながら、ただただ静かにポップコーンが出来上がっていくのを眺めていた。
これが心のゆとりなのだろうか。いや、ただ頭が悪くなっていってるのではないだろうか。
ぎゅうぎゅう詰めにされた末に
もうさすがにいいだろう、とポップコーンを皿に出してみる。
そしたら出るわ出るわ、よくこの容積に詰まっていたなと思うほどのぎゅうぎゅうになった大量のポップコーンが出てきた。
すまない、くるくるカンカン。私は調理器具としての君の可能性を広げたかっただけなのに、朝の通勤電車の車内みたいにしてしまって。
チャーハンと同じくポップコーンもちゃんとできた。そしておにぎりボールのように、おまけも生まれていた。
それは、缶の中でぎゅうぎゅうに圧迫されすぎて、みっしみしと固まってしまった、名付けて「みっしみしすぎるポップコーン」である。
ディスっているわけではない。食べてみると、このみっしみしすぎるポップコーン、本来のフワッ、サクっとした食感とは真反対の、妙ちきりんな食感でなぜかくせになるのだ。
パリッとしたお煎餅ではなく、しっとりとしたぬれ煎餅が好きな方はハマること間違いなしの食感である。またしても面白いものができてしまった。
比類なき面白さは生まれたが……
何事もやってみるものだ。
おにぎりボール、みっしみしすぎるポップコーン、今まで出会えたことのないものに出会えた。だけど不満もある。それは心のゆとりが生まれなかったことだ。
くるくるカンカンでわざわざ筋トレ、書道、万華鏡づくり、洗濯、綿あめ・金平糖・チャーハン・ポップコーンづくりをやってみた結果、比類なき面白さこそ生まれたものの、真の心のゆとり、そしてそこから派生する優雅さはついに感じることができなかった。
なるほど、あのかぐわしいコーヒーの香りに包まれ、豆のさらさらした音を耳に感じ、全身の緊張がゆるみ、ただただ時間の流れだけを味わうあの優雅な体験は、コーヒー豆焙煎によってこそ生まれるものだったのだ。
くるくるカンカンよ、コーヒー豆焙煎をしている君が一番輝いている。
私が間違っていたのだ!
長く生きていると、人はコーヒー豆焙煎器に土下座をする瞬間がある。一体どうしてこうなったのだろう。「わざわざ」なにかをする良さを探したためだ。
しかし、これでいいのだ。
人は余計なことをするとしばしば思いも寄らない結果に行き着く。良いとか悪いとかではない。ただワンダーな結果を得るために、これからもわざわざなにかしていこうと思う。
(おわり)
クレジット
文:大北栄人
編集:いからしひろき(きいてかく合同会社)
撮影:蔦野裕
校正:月鈴子
制作協力:富士珈機
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