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【あと123日】人間はいったい何をそんなに心配しているのだ…

今日は8月31日…あと123日で今年も終わりだ。

今日の昼間はずっと「死にたい、死にたい」と思って過ごさざるを得なかった。なぜなら、日中ずっと一人で家にいたこと、考えるだけで億劫な打ち合わせが夕方から1件あったからだ。

結果、億劫な打ち合わせは、心配していたことは杞憂に終わり(まあ心配事のほとんどは起こらないというが)それなりに気分よく家に帰ることはできた。帰っても妻が子どもを怒鳴り散らすほどには機嫌が悪いわけではないので割と平和な夜を過ごすことができた。

そんな昨日の夜はYoutubeで夏目漱石のこころの朗読をイヤホンで聞きながら寝た。いつもはkindleで本を読みながら眠りにつくのだが、なんだか最近目の疲れが激しくしんどかったからだ。

さて、そんなことはどうでもいい。

昨日のコチラの記事で、今年の残り4か月は、薄っぺらい情報ではなく深く世界を知るために文学・哲学書を読むと宣言した。

もう一つ加えるとただ読んだだけでは、さっぱり頭に残らないたちなのでノートを作ることにする。いま皆さんが読んでいるnoteではなく、紙のノートだ。

あるライティングの本で「本を読んで気になったところは書き残す」と書いてあったのでそれをまねるのだ。文章を書く練習として模写するのも悪くないし、自分のオリジナルの名文集ができるようでちょっとテンションが上がるのでぜひオススメしたい読書法だ。

昨日は、先週から読んでいたカフカの「変身」を読み終え、何か所が書き写したので、そのことをちょっと紹介したい。(なぜこのカフカを読み始めたかと言うとNHKオンデマンドの100分de名著を眺めていたらたまたま目に入ったというだけのことだ。)


まずカフカの「変身」を読んだことがない人のために、その内容を本当に軽くだけ触れる。一言で言えば、グレゴールという主人公がある朝起きると虫になった話だ。両親と妹という暮らすグレゴールのサラリーは家族を唯一支えるものであり、その重圧もありグレゴールはすっかり仕事が嫌になっていた。一家の大黒柱がある朝、虫になってしまい家族は混乱。最終的には虫になったグレゴールの面倒を見切れなくなり、家族は崩壊。グレゴールは実質家族に殺されてしまうという救いのない結末の物語だ。

昨日書き写したのは、ごく序盤のシーンだ。グレゴールが起きたら虫になっていて、会社に行けない…いや虫になろうがなっていかろうが、会社に行きたくないというグレゴールの内省の場面である。

グレゴールは、自分が虫になっていたという事実はなぜか横に置いておいて、仕事に行きたくないとベットでごろごろして、3度独りでぼやくのである。

「もう少し眠り続けて、ばかばかしいことはみんな忘れてしまったらどうだろう」と思いベットから出ない。でも虫になってしまったので、自分の好きな姿勢でゴロゴロできないことにちょっとストレスを感じる。

「ああなんていう骨の折れる職業を俺は選んでしまったんだろう」と今の仕事を選んだことを後悔しながら、かゆいところを掻こうとするが、虫になった自分の体が気持ち悪くて触れない。

「この早起きというのは」となんで早く起きて仕事になんていかなくちゃならんのだと絶望し、いつか仕事なんてやめてやると、まだベットから出てこない。

この箇所をノートに書きうつしたあとに、私はノートの端にこう感想を記した。

「虫になっても、朝から仕事したくない、店主にいつか(辞める)といってやるという憤り、虫なのに草」

つまり「自分が虫になってしまったという非現実的な現実」よりも、「虫になったら関係なくなってしまうはずの現実」への憂鬱さが先に頭に出てしまうって、、なんだそりゃと思ったのである。

例えるなら、自分が死ぬ瞬間にPCに大量にエロ画像を保存していることを思い出して絶望するようなものである。

なんと人間とは滑稽なのだろうかと思ってしまう。なぜなら、自分の生死よりも、仕事や人間関係の心配、憂鬱さが先に立つのである。それほどまでに、現実に支配されているのが人間なのだと。自分が死んじまえば(虫になってしまえばそんなこと関係ないのにね)

この著書のカフカと言う人、何か人間の「希望」を書く作家ではなくて、「絶望」を書く作家として評価されているらしい。

100分de名著の中でもゲストとして出演した頭木弘樹さんが「絶望名人カフカの人生論」という本を出している。私も年齢と共に、人生に打ち勝つ的な物語よりも人間の悲哀を表現した物語の方が好きなので、この本には興味を持って、すぐにメルカリで購入した。この本を読んだらカフカの続きをここにまた書きたいと思う。

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