私が記事を書く後押しをしてくれている存在

ご機嫌よう。マトリョーシカです。

皆様いかがお過ごしでしょうか。


今回は私が記事を書く(文章を書く)ことを後押ししてくれている存在について書いていこうと思いますのでどうぞお付き合いくださいませ。


中学校での思い出はほとんどが部活で占めており、国語の先生の顔も名前も思い出せないのですが、高校、大学のゼミの先生がめちゃくちゃ思い出深いのです。

どちらもかなりクセのある先生でしたからね。(どちらも女性でした)

高校の時にお世話になった国語の先生はまだ多分現役で働いておられるとは思いますが、大学のゼミの先生は私が中退するのと同時ぐらいの時期に教職を退かれ、10年経った今、どうしているのか詳細もわからないですがその先生はよくいろいろな話をしてくださいました。かなり本が好きな先生でして隠居したら本を読みながらゆっくりした生活をしたいとおっしゃっておりました。(その頃でもかなり本を読まれていた記憶があります)

先生の研究室に行くと必ず本を読まれていた姿が印象的でした。


私はその先生のことを当時はすごく嫌っておりましたが今となってはその先生がいたからこそ私をこんなにも本の虜にしてくださったことに感謝はしています。

進路相談の時もかなりお世話になりましたし、当時は私もかなりひねくれておりましたので反抗しまくってました。

ただ、本を読むのは大好きな学生でしたので、図書館のアルバイトをやったり、10冊ぐらいのアンデルセンの童話(原作)をその先生から拝借して読んだりもしていましたが、その卒業論文は実現されることはありませんでした。

なぜなら中退してしまったからです。家庭内のゴタゴタでメンタルも随分とやられてしまい、留年するくらいなら辞めてやる!と思ったので辞めたのです。

でも、後悔はまったくしていません。

過去の私があるからこそ今の私がある。

親にも先生にも反抗したのがその時初めてだったのでいい経験でした。


さて話を戻します。

高校の時に戻りましょう。

高校の先生も教科書の内容をかなり注視している先生でノートを使わずに赤ペンと教科書だけを使っていた授業でした。

文章と文章の間に赤線引いて先生が黒板に書いたことをそこに書き写すという授業内容で私にあっていたのか、テスト勉強するときでも教科書と数枚のプリントを暗記するだけでよかったのですごく楽でした。

その先生とは特別仲が良かったわけではありませんが、本を読む大切さを教えてくださったような気がします。

こうしていろいろな本と出会い、先生と出会い、その経験があるから今記事を書く原動力となっています。

社会人になって数年たち、改めて教職についておられる方を尊敬します。

本当に教師によって子供の将来って左右されるなってつくづく思います。

私が教師にならなくて良かったと思う反面やはり教師になりたかったなと思うこともあります。

やっぱり私は話すことよりもこうして記事を書いていくのが好きですね。


この経験をさせてくださった先生方に感謝します。


今回の記事はこの辺りで終わりにしたいと思います。

また次回の記事でお会いしましょう!

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