見出し画像

出羽桜

 ある人の訃報を耳にした。
僕とその人の関係性は単なる先生と生徒のようなもので、それほど深いものではない。

 かつて母校の理事長をしていたその人の授業が僕は好きで、いつも最前列で受講していた。扱う分野は日本近現代史、主に戦後のことについての話が多かった。一方的な話だけではなくいつも僕たちの意見を求め、常に"歴史のIf"について考えさせられた。

 もちろん歴史に"もしも"なんて概念は存在しない。過去のことを振り返り、たらればを話したところで何も変わらない。だが、そこであえて"If"について考えて欲しいと先生はよく仰っていたのだ。

 歴史を学ぶことの重要性を説いているのかな?と当時は思っていたのだが、これは主観ではあるが、先生は一つ一つの事象に対してすぐに真にうけるのではなく、考えることをやめるなということを示していたのかなと思う。

 そんな先生とのエピソードに「出羽桜事件」がある。

 当時、お酒の呑み方も良くわかっていなかった僕だったが、お酒に対しての意欲は強かった。というのも、アルコールのパッチテストではクラスの誰よりも肌が赤くなった過去や、お酒での失敗談なんていうのも常について回っていたが、今度こそはと常に息巻いていたからだ。

 そんなある日、僕に先生からご飯のお誘いがあった。

「若い生徒たちに授業をすることに慣れていないから、よかったら授業のことについて呑みながら意見をくれないか?」

というような内容だったと記憶しているが、なかなかないチャンスだと思い二つ返事でお呼ばれすることに決めた。

 お店は駅前にある大衆酒場で、鮨やら串物を看板にしているお店であった。自分の他にも先輩が何人か同席していたと記憶してるが、何を話したのかほとんど覚えていない。今思えば、元理事長でもある大先輩との酒席に緊張していたということもあり、悪酔いは避けられない展開ではあったと思う。


一杯目・・・ビール
これは、一杯目といえばビールでしょみたいな安易なやつである。
先生は「別にビールじゃなくてもいいんだよ、気にせずレモンサワーとかも呑みなさい。」と言ってくださった。


二杯目・・・レモンサワー
お言葉に甘えてレモンサワーを煽る。難しい話など良くわからないし、何を話したらいいのか分からないのも相まって、とりあえず口に酒を含み気分を高揚させた。ここからは何を呑んだのか覚えていないが、先生の新聞社での話などを伺ったような気がする。

 適当に相槌を打っていたら、突然名前を呼ばれた。
「ーーくん」
Zz・・・!?慌てて、なんですかと伺うと
「きみは日本酒は呑んだりするかい?」と先生。
当時の僕は、好きなお酒はカルーアミルク。チューハイも一缶呑めば完成します。というような具合なのだから、もちろん呑んだ事はなかった。

「いや、あまり(全く)呑んだことないですね、、、」
しかし、ご馳走してもらう立場であるのだから答えは一択
「、、でも呑んでみたいなと思ってたんですよ!機会がなくて!」

 先生の顔が綻んだのを僕は見逃さなかった。答えは間違ってなかったようである。「顔真っ赤だけど大丈夫かい?」という先生の心配をよそに「おすすめの日本酒選んでいただけますか?」と僕。

 先生はお品書きを一瞥すると、出羽桜なんてどうだいと仰った。
日本酒のことなんて全く分からないし、どんな字を書くのかも分からなかった僕はその"でわざくら"を頂くことにした。

ーーー呑みもの到着ーーー

「じゃあーーくんがそれを呑んだらお開きにしようか」
と先生が言い始めた。
え、やばくね。先生を待たせるわけにはいかない。早く飲まなきゃいけないのではと焦る僕を日本酒はさらに困らせてくる。

 問題その1、なぜか枡のなかにコップが入っていて日本酒が溢れている。
いわゆる「もっきり」「もりきり」といわれるものだが、なにせ日本酒初挑戦の僕には飲み方の正解が分からない。先生にご指導いただきながら一口。

 ここで問題その2、おいしくない。
初めて日本酒飲む人なんて大抵そうだと思うが、アルコールの味しか感じられない。意外と美味しいんだろうなとか思って結構な量含んでしまってたから危うくむせそうになった。これはやばい。こんな消毒液どうやって飲み干せばいいのか。

「出羽桜はね、山形のお酒なんだよ」
なるほどそうなんですねと相槌を打ちながらも笑顔は引き攣っていたと思う。なんとかして量を減らさなければならない僕は、頬が膨らまない程度にたくさん日本酒を口に含んで、口を拭くと見せかけておしぼりに吸収させる。これはおしぼりがすぐにびしょびしょになってしまいそうだったので諦めざるをえなかった。

 どう減らしていこうか悩んでいたら、同席していた先輩が気を利かしてか、一口ちょうだいよと声をかけてきた。結構呑んでくれるのではと期待したのだが、きっかり一口分減ったグラスが手元に戻ってきた。

 そこからはとにかく呑むしかないと、間隔をあけながら一口を多くすることにした。同じタイミングで呑み始めた先生は、枡に溢れた分もそろそろ呑み終えるかというところで、僕はやっと折り返し地点。グラスをやっとの思いで空にして枡からグラスに注いだとき、再びグラスがなみなみになった時は絶望だった。

 周りの人たちも心配してか、無理しないでいいよと言ってくれているのだが
「やっぱり香りがすごいですよね。(アルコールの)好きかも知れないです。(美味しいとは言っていない)」と見栄を張り続けた。

 とうとう先生のグラスは空になる。やるしかないと思いグラスを一気に煽り胃に流し込んだ。笑いながら「大丈夫かい、そんな一気に呑んで」という先生を前に、喉が焼けそうになりながら、お待たせするわけにはいかないのでと笑顔を浮かべお冷を流し込んだ。

 なんとかその場を凌いだと、してやったりではあったのだが、今となっては、呑みかたからして頑張って呑んでるのがバレバレだったと思う。先生もあえてそこには突っ込まずに、若さだなと見守ってくれていたのだと思う。

 案の定、席を立った時には目の前の世界が回っていた。後にも先にもお酒を呑んでここまで世界が回ったのはこの時だけである。その後クラスメイトとカラオケで約束していた僕は、部屋に入るなり倒れ込み全裸になって暑いけど寒いと連呼していたらしい。翌朝になり全身に蕁麻疹が出ていることが判明し、友人の家で保冷剤を体に乗せながら天井を見上げている際に、当分の禁酒を心に誓ったのである。

 それ以来、街なかで「出羽桜」という文字を見るたびに吐き気を催していたのだが、半年ほどお酒と距離をとり、段々と呑み方というものがわかってきてからはお酒が好きになっていった。今となってはお店で「出羽桜」という文字を見るたびに先生を思い出す。

 もしあの日、僕が日本酒を呑めませんと言っていたら僕は別の呑み会で失敗したかも知れないし、大事な日に蕁麻疹になっていたかも知れない。

 もしあの日、僕がお誘いを断っていたら「出羽桜」に対して特別な想いを抱くことはなかったかもしれない。

 もし先生の講義を受講していなかったら、こんなにも"If"について考えることもなかったかも知れない。

 だけど歴史に"If"は存在しない。過去は変わらない。

 僕がそっちにいったら、また日本酒で乾杯しましょう。今ではお酒が大好きなんですよ。一杯目はビールじゃなくて出羽桜にしましょうか、僕があの日どんな思いで呑んでいたのか聞いてくださいよ。

 先生、市岡先生。安らかに。


いいなと思ったら応援しよう!