ライブ
本当に時間が経つのは早い。このnoteを書き始めてからより強くそう感じる。
11/4は、ずっと好きなアーティスト、BUMP OF CHICKENのライブに行ってきた。朝8時発のバスを予約し、14時前には東京へ着く予定だった。しかしながら、14分前に駅に着く電車に乗り、バス乗り場も確認せずに、きっとここだろうというところに行ったが、バスがいない。おかしいなと思い、調べるとその地点から歩いて15分程の場所が乗り場だった。絶望感でいっぱいだったが、とにかく走った。前に私と同じパーカーを着て走る男の子がいて、きっとこの子も同じ状況なのだろうと思った。そう思いながらも、男の子の方が何倍も速いスピードで走っていて、羨ましいなと心底思いながらも必死で走った。信号待ちに煩わしさを感じながら時計を見たり、バス会社に電話をかけていたが、8時になった時点で、私は乗り場の200m手前にいた。そして出発するバスを見送った。あともうちょっと早く気づいていたら、あともうちょっと早く走れていたら、あともうちょっと早い電車に乗ってたら、電車の中で乗り場を確認してたら、もっとその前に確認してたら、って凄く後悔をした。本当に絶望だった。でもそのまま蹲るわけにもいかないし、家に帰るわけにもいかない。一番良い打開策は何だろうと考えながら、ひとまず駅に向かった。
バスか電車か悩んだが、やはりお金がないため、バスを選んだ。奇跡的に8時30分発のバスの予約ができたため、それに乗って行くことにした。
ただそのバスは、非常に多くのバス停に寄るため、なかなか寝ることができなかった。また、東名自動車道で事故渋滞が起こっており、Googleマップで調べると2時間半渋滞しているとのことで、ああ、8時のバスに乗れていればな、と、また、後悔をした。
寝たり、本を読んだり、スマホを触ったりを繰り返していた。本は集中して読むことができずに、すぐに投げ出してしまった。
後ろの席の子もBUMPのライブに行くようで、渋滞でバスが進んでいない時、「これ間に合いますかね??」と声をかけてきてくれた。「ここで降りてタクシーかなんか拾おうかなと思うんですけど…どうしますか?」と言われたが、た、タクシー?!絶対高いよそれは、ということが第一に浮かんでしまった。間に合わないことよりも、それだけのお金を払う方が辛かった。彼女は、多分何としてでも間に合いたかったのだと思う。しかし、下道でも同じくらいの時間はかかりそうだし、ギリギリではあるが間に合いそうだと思っていたので、その誘いを断った。彼女も、納得して乗っていた。また暫くしてから声をかけてきて、「アリーナですよね?」と言われる。アリーナ…?すぐにアリーナ席が浮かばずに、ドーム公演のことを言っていると勘違いした私は、そうですと答えてしまった。すると彼女もアリーナで、途中から入れるかな?と言われてハッとした。私アリーナじゃないです〜!とは言えず、大丈夫だよとその場を終わらせた。
彼女は、霞ヶ関で降りて行き、「降ります?」と声をかけてくれたが、何も準備していなかったし、何より彼女と一緒に会場に行くとアリーナではないこといことがバレてしまうのでやめておいた。自分の勘違いを説明をすればいいんだけれども、煩わしかった。このような勘違いをして返答をすることは少なくない。それで嘘をつかなければならないこともまた、少なくない。そんな人生が嫌だと思いつつも、この癖は治っていない。
霞ヶ関から15分程でドームに着くことを後から知り、霞ヶ関から10分程バスで移動して、東京駅から15分かけていくよりもよっぽとそっちの方が効率が良いなと思ったが、まあ良いとしようと考えていた。なによりもトイレに行きたくて仕方なかったため、トイレまで直行した。
駅前には、ライブに行くだろう人で溢れかえったいた。
初めての東京ドーム。まずは物販が目に付き、そこへ向かった。いつも何買おう、アレ買おうと悩みに悩んで、勢いで買ってしまって後悔したり、逆に買わずに後悔をする。今までのライブでも、ニコルのぬいぐるみや、コーチジャケットを何故買わなかったのか、と後悔している。後悔ばかりだな。
席は2階だったし、あまり良くない席だなと思っていたが、むしろ上から全景を見渡せて、ほんとに光に包まれているようで、星になったようで、すごく気分が高揚した。aurora arcが流れ出して、会場のボルテージが上がった。
色んな藤くんの言葉に、チャマの言葉に、ヒロの言葉に、ヒデちゃんの言葉に、感動したり笑ったり泣きそうになったりなんだかんだと感情を揺さぶられているんだけど、それを1つ1つ思い起こす作業をさぼってしまい、後からいいよね、と語るときに困ってしまう。
それとか、この曲のこの歌詞を変えていただとか、この曲の始まりのこの言葉が良かったというレポを見ると、ああ、分かる分かるとなると同時によく覚えているな…と。やはり愛の重みが違うのだろうか。BUMPを好きと言いながら、ラジオを聴いていなかったり、雑誌を買っていなかったり、歌詞を覚えていなかったりするわけで、それで本当に好きと言っていて良いのか、ファンと言っていて良いのかと悩むことは多い。大抵の人は好きなものや好きなことは自分のできる範囲でなら追いかけたり自分から情報を取得しにいくだろう。でもそれをずっとサボって生きてきてしまった。好きだけど、なんとなく好きだからなんとなく音楽を聴いているだけ。とりあえずライブ行ってみるか。新曲のpvが公開されたと言われてもすぐには聴かないし、見ない。その熱量がない。大分経ってから聴く、みたいな。pvは未だに見てないものもある、みたいな。
だから友人には嘘をついている部分も多いかもしれない。ライブ時の自分も偽りかもしれない。そんなことも思ってしまうのだけれども。いや、感情が動いたのは確かなことであって。音楽だって普段から横にいるような感じで。別に何かあったら聴くというわけじゃないんだ。とりあえず聴いてるだけなんだ。でもそのとりあえず聴く、をしたいのはBUMPだし、安心する。
ただ、もっと自分の好きを見つめ直さなきゃと思うのは、私よりもっと全然BUMPを好きな人(どう比べているのか分からないけど、熱量が違うように私は感じてる)で、他のアーティストも同じくらい好きな人と出会ったとき。本当に凄いと思う、1グループを追うこともできない私からしたら考えられない。好きな気持ちが強いのはいいなあと思った。
明日の自分へ、みらいの自分へ声をあげた。そんな風に捉えてくれる藤くんが好きだ。
辛いときどうしようもないとき気づかなくても側にいてくれることだって好きだ。
メンバーのことが大好きな藤くんが好きだ。
ライブ後はタピオカを飲み、友人の家へ泊めてもらった。なかなか私は泊まらせてもらえるような友人はいないため、本当にありがたい限りだ。
更にライブの話をうんうんと聞いてくれる。改めてBUMPの良さを実感する時間だ。
星を見に行って、帰っておでんを食べて、ずんだ餅も食べてその日を終えた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?