加藤さんのこと好きなのに② 2017~2021
2015年 年越し早々、CDTVで白いふわふわな衣装を着てこちらに投げチューする加藤さんを見ました。
「あれっ、この子、見習いアイドルじゃないな?」
「アイドルできるんだな???」と驚かされました。
そしてその数ヶ月後、入会してすぐのFC枠で無事当選し、ツアー”White”に参戦。
初めてこの目で見る加藤さんに度肝抜かれました。
え〜〜〜〜、ピアスとかしちゃうんだ???
え〜〜〜〜、急に髪型変えるんだ〜??
え〜〜〜〜、歌上手いんだが????
ん〜〜〜
かっこいいんだが????
なにより忘れられないのは、white love story で「今君を幸せにするよ」を歌う時の加藤さんのトロンととろけそうな笑顔。あれを見た瞬間、何かが弾けて大泣きしました。つけま剥がれました。
そしてやっぱり愛言葉に溺れて、渚のお姉サマーで心が幼子に戻るのでした。
出会った日、まだ青く見えた加藤さんは、このときから、間違いなく、わたしの中で「アイドル」になりました。
その頃発売された「傘を持たない蟻たちは」、その前に渋谷サーガ3部作、そして同時期にMyojoで出た彼らNEWSの10000字インタビュー。全てを半年内に摂取していたわたしは、自ら脳を加藤色に染めようとしているようでした。
今思えば、シゲ部を聞いて"遠い"と感じたそのときから、わたしに加藤さんを、それもそのすべてを、知り得ることなんてできるわけなかったのだと思います。
知れば知るほど、彼は当時、複雑な人でした。
それでもわたしは、いろんな彼を見、聞き、知ろうとし続け、いつしか知った気になっていきました。
重ね重ね、そんなはずないのです。
あの頃から、わたしの中にある増田くんは「増田くん」のままで、それでもいろんな所が大人びたなぁと惚れ惚れする。小山さんは、あの頃からいろんなことがあって変わったなぁと、見ていてもよくわかる、感じる。でも、加藤さんが、いまどんな人なのか、それがいつからか変化があったのか、どうもよくわからなくなっていることに、最近気がついたのです。
ここまで書き進めて、わたしの手は数日間、止まっていました。
どこから彼をわからなくなっていったのか、いつから彼に心が及ばなくなっていたのか、その答えを探すことが怖かったのだろうと思います。
ツアーは欠かさず毎年(※WORLDISTAは除きますが)参加していたし、ドラマは見ていたし、webも購読していました。
いろんなことがあって痩せたのも知っていたし、その直後の可愛くて熱い暑い苺のライブにも、しっかりお邪魔しました。
彼と小山さんについての報道の際、ヒロミさんが「加藤はそんな子じゃないんだよね(ニュアンス)」とかばってくれたことにも彼の人間性を見て胸が熱くなったことだって、いまでもよく覚えています。
とはいえ、多方面に及び、言い訳は浮かぶものです。
アイドル誌から、いなくなってしまったこと。
大学生になって、地方でひとり暮らしを始め、わたしはいつからか大好きだったラジオを諦め、聞かなくなったこと。
少プレも終わってしまったこと。
嵐活動休止の波にすっかり打ちのめされ、WORLDISTAに申し込み忘れてしまったこと(これはまた別問題)。
しかし、なにひとつ、わたしの中で腑に落ちる理由ではありませんでした。
そしてついに今日、大きな答えを見つけ、やっとここまで書き進められています。
わたしは、どうやら、加藤さんの声を聞くことから、加藤さんを知ることから、この1年近く、わたしの意思で、”逃げ”続けていました。
答えは、2021/6/6 O.A.のSORASHIGE BOOK にありました。
④にてその詳細に触れますが、わたしは「STORYを終えた加藤さんの感想、やっと聞けるぞ!」とソワソワしながらつけたこのラジオを、ぼろぼろ泣きながら聞くことになります。
わたしのこれまでの「加藤さんのことわからない」の正体が、あっけらかんと、目の前に置かれたのでした。
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今年、2021年の春、わたしは社会人になり、地方から関東圏へ引っ越してきました。
そう、関東圏のラジオが聴けるようになったのです。
高校生の頃のわたしに自慢してやりたい。ただラジオつけるだけで、好きな人の声、無料で聴けるんやぞ?と。
引っ越してきてすぐ、大好きな星野源さんやBUMP OF CHICKENさんの音楽を聴いて、あぁ知らない土地に来ても、あの頃と変わらない声が聞けるだけで、こんなに安心するんだ、って実感していました。
その感覚のまま、幼心に火をつけるかのごとく、ラジオを、ドキドキしながら聞きました。
この地域でしか聴けなかった、3人のオールナイトニッポンを。SORASHIGE BOOKを。MASTER HITSを。
大学時代の2017~20年、忙しさを言い訳に、昔ほどは聞けずにいたラジオたち。
いざ聞いてみると────────
完全に、盲点でした。
ラジオでは、リスナーのリクエストしたNEWSの、マスヒツでは時にテゴマスの楽曲を、流しているんですよね。
そのことを、忘れていたのです。
関東に来て初めて聞いたSORASHIGE BOOK。
その日、1曲めに流れたのは、Love Storyだったかな。
歌い出しを聞いて、増田くんのAメロを聞いて、イヤホンを外していました。
わたしは当時、あの日から約1年近く、NEWSの歌う曲を聴けていませんでした。
あの日、2020年6月19日から。
4人、6人、それ以前のNEWSも、全部です。
聴くことができたのは、2020年12月以降、ビューティフル、チンチャうまっか、カナリヤと、そのカップリング曲たちだけでした。本当に、発売してくれてありがとう。
あの日以降、何度か歌番組に出演する彼らのことは、もちろん見ていました。
その度にTwitterで、おかえり、ありがとう、かっこよかったよ、泣き顔の絵文字と、3色のハートマークが飛び交っていることも、知っていました。
ただわたしは、それのひとつになることができませんでした。涙の代わりに全身が震えるような、言葉にできない思いばかりで、毎度、いっぱいになっていました。
どうしてみんなは、こんなにすんなりと、目の前の「3人」を理解してるんだろう。
いや、わたしだって理解はしている。
でも、3人のこと好きなのに、心から応援したいはずなのに、してるはずなのに、早く認めたいのに、わかってるのに、わたしなんかよりもっと傷ついたはずの彼らを、ほんとは誰よりも優しく包んであげたいのに。
目の前の事実を飲み込みたいのに、未だに咀嚼し続けているだけで、なくならなくて、こんなところで立ち止まった気持ちでいるのはどうしてだろう。
3人のNEWSを見るたびに、自問自答を繰り返していました。
わたしは正直、手越に対して、2017年頃から不信感が強まっていました。はっきり言うと、この人のこと、好きじゃないな、と。応援できないな、と、気づいていました。
理由は本当に様々なことの積み重ねでしかありませんが、ひとことで言うとしたら、隣にいるメンバーがずっと大事にしている夢を、掲げ続けているその夢のタイミングを、毎度なんらかの形で邪魔をする彼を、それを時に受け流し、時に都合よく釈明しようとする彼の真理を、わたしは理解できなかった。許せなかった。その限界を迎えたのが、ちょうどその時期だった。愛想が尽きた。それだけのことです。
だから、正直、3人になったことを喜んでもよかったのかもしれませんでした。
たとえば、NEWS3人でのオールナイトニッポンで、ジャニーズの曲を挙げるコーナーのとき、(ここに手越がいたらまたきっと「俺ジャニーズ詳しくないのよ」とか「興味ないのよ」みたいなこと言ってのけるんだろうな…)と思ったのはわたしだけではないはず。ジャニーズであることに誇りを抱くメンバーの隣で、毎度よく言えてたもんだなと、、。ごめんなさい、悪口って止まらないですね、いけない。
とにかく、ひとり、違う方を向いていた彼が離れたことは、間違いなく安心要素であるはずでした。
けれど、わたしはあの日からずっと、彼がいなくなったその事実に絶望していました。
わたしの青春のそばにいた4つのシルエットも、初めて手にしたアルバムのあの4色の幾何形態も、あの声も、NEWSの、アイドルの、ジャニーズの、好きだった「手越くん」も、もういないんだ。なんでだっけ。どうしてだっけ。彼の中での彼は、いつから「手越くん」から「手越」になっていたんだろう。
2011年、12年、あの時あなたも感じたはずの苦しみを、あの時の幸せを、思い出せなかった?もう忘れてしまったかな?
本当にNEWSのこと愛してた?
メンバーのこと、大好きだった?
ファンのことは?
4部作は?
STORYは?
どうなるの?
どうしちゃったの?
今まで見てきたもの、聴いていたもの、感じたはずのことも、いよいよ信じられなくなっていました。
これまでのNEWSの曲を聴くことで、彼の声を耳にすることで、彼に関するこういったことを、ぐるぐると思惑しては疲弊することはわかっていました。
だから、つまり、NEWSの曲を聞かないことは、わたしにとって立派な防衛反応でした。
手越の声を耳に入れることなく、それでもNEWSのそばにいられたのは、『ビューティフル/チンチャうまっか/カナリヤ』があったから。わたしを繋ぎ止めていた「NEWS」としての存在は、もう、おそらく当時はそれだけでした。
脱退を発表されたあのFC動画を見たのち、わたしは、3人の声を聞こうとしていませんでした。
オールナイトニッポンで幕を開けたわたしの関東ラジオ生活ですが、その前、最後にNEWSのメンバーのラジオを聞いたのは、2020/5/27のテゴマスのらじおでした。
正直、その日のラジオで何を言っていたのか、覚えていません。
音源は手元に残っているのですが、未だに、聞き返すことも、思い出すことも、できません。
ただ、3人が謝っていたこと、増田くんの震える声、いつもの通り、変わらずそこにいてくれるさくらちゃん、その愛と不安定さのあまり、眠れなかったことを覚えています。その事実だけでも、わたしを苦しめるには十分でした。
それもあってか、もう、彼らの声を聞くのが怖かったのかも知れない。
弱さや不安を必死に隠そうとする彼らの声を、聞くことが。
あの日以降、彼らが何を感じてどう進んでいるのか、正直、その心の声を、葛藤を、戦いを、わたしは知りませんでした。知ろうとする心を持ち合わせていませんでした。
手越!と叫びながらピニャータを打ち砕く増田くんを見てわたしの心が割れたり、しゃべくり007の帯企画でいじられ笑う彼の代わりにわたしの心が半分泣いたり、応援の気持ちを込めて彼らが表紙になった雑誌を買うけれど、未だに読めていなかったり。
年の瀬に加藤さん自身がコロナにかかってしまい、神様にどうしてこれ以上彼を苦しめるのですかと、本気で問うてしまいそうになったり。
わたしはわたしで、卒論と、迫りくる”嵐納め”に全身全霊を注いでいたし。
いつの間にか2020年は終わっていて、加藤さんは元気に、そして前年末にオルタネートが直木賞候補作に選ばれたことで、テレビにもよく出るようになっていました。
その頃のわたしは、もう、NEWSではなく、メンバー個人を個人として、見守り、応援する人になってしまっていたようでもありました。
新曲を聴くことはできても、なぜか、MVを見ることはできていませんでした。
もはや、トラウマでもなく、これは呪いだったようにも思います。
いつまでも4人のまま、あの幸せだったときのまま、記憶を止めていたかった。
わたしは、大きくなろうとする彼らの筋肉痛の最中を見ていなかった。
彼らの声を遠ざけ、ただ自分本意に、自分ひとり乗り越えたつもりになるために、自分を守るために、ずっと、厚いサングラスをかけていました。
“あの日”や、それ以前を思い出す要素に触れることが怖かった。
それを排除するためだけのサングラスを、外せずにいました。
今思えば、ファンとして恥ずかしい気持ちです。
あの時すぐに前を見てついて行った皆さんは、きっと、NEWSはこれからも大丈夫って、NEWSは変わらないって、その彼らの強さを信じていたんですよね。
そして何より、NEWSがNEWSとしてそこにずっとあり続けてくれている、その事実に感謝をしていた。
わたしには、それができていなかった。
そう気づいて、自分の弱さ、ファンとしての未熟さを思い知りました。
そう、この、半年、1年にも近かった呪いは今、もう溶け去っています。
この呪いをほどいてくれたのは、他でもない、NEWSによる”STORY”でした。
このツアーが、心からの救いでした。