加藤さんのこと好きなのに③ LIVE TOUR 2020 STORY
2021年2月、ライブ開催のお知らせ。
NEWSのファンって、1~2月、そわそわしますよね。でも、まさか今年、開催できると思っていなかったので、素直にびっくりしました。
配信だけ、という選択肢だってあったと思う。
それでも、わたしたちに会うことを、わたしたちの前に立つことを諦めないでいてくれたこと、今思うとそれだけでも感謝したい。
開催は3月末だ、って言うじゃないですか。
いや、心の準備!
仕事の予定!
コロナどうなってるかね?!!
ど、どうしたらいいかね??!!!
以前のように”とりあえずここらへんならいけるぞ〜!”みたいな勢いでは申し込めない。
申し込みの期間中わたしはまだ地方にいました。ツアーが始まる頃には関東に住んでいるとわかっていても、それでも横アリに行くのは怖かった。
ん〜でもどこなら行けるかなぁ。
あ、そうだ。
わたしのNEVERLANDは仙台から始まった。
ここらで、仙台、行っとく?
そんな感じで、とりあえず、申し込みました。
結果は落選。
そうだよね。
その途端、急に不安になりました。
このままNEWSに会わなかったら、NEWSを見ること・聞くことから逃げ続けていたら、このままわたしの中でのNEWSって終わっちゃうんじゃないか。ずっとこのままなんじゃないか。
そして引っ越しやら卒業式やらこなすうちに、開幕。
初日、"どうして手越がいないんだよ。と思った。"という感想を見ました。
セトリや構成を当初から変えてない、と、どこかで聞いていたので、そりゃ、4人の影は色濃く残っているのだろうと、わかっていました。
なによりSTORY、四部作のこれまでの過程そのものが、それでした。
4人を見ること、4人ではないことを見ること、それのどちらも、辛いことのように思うかもしれません。でも、2020年春、あのときあるはずだったままのSTORYを見ることができる。あの夢の続きを、(人数こそ違えど)当時のNEWSが作ったSTORYを、形が変わることなく見ることができる。それはわたしにとって希望でもありました。
どうしよう、たぶんわたし、行かなきゃいけないのに。
そんなとき。
4月の上旬。
復活当選のお知らせが届きました。
仕事の休憩中、トイレで何気なく見たそれで、しばらく動けませんでした。
仙台公演の日は、幸い、仕事も休み。
神様が手を差し伸べてくれたんだと、思うほかありませんでした。このご時世、自粛を決断された方もいらっしゃるかと思います。どうかお許しください。
わたしはNEWSに会いに行くことになります。
仙台へ行くのは4/18。その1週間前にはモダンボーイズも観覧していました。そのおかげもあって、心は完全に加藤色、150%。準備万端。
いや、まて、わたし準備できとらんやんけ。
STORYのアルバム曲を、あの日(2020/06/19)以来、聞けてないままだったのです。
ラジオでは否が応でも曲を聴いてしまうと気づき、わたしははじめの1回きりで聞かなくなっていました。聞けなくなっていた、に近いかもしれません。
でも、行くからには、聞かなくちゃなぁ。
あの時(アルバムリリース当時)のわくわくも思い出したいもんなぁ。
その一心で、アルバム『STORY』を、聞き始めました。
予想していた通り、全ての曲に様々な思いが巡って1曲1曲に疲弊しました。
あぁこの曲好きだった。
TVでやってくれたこの演出好きだったな。
ここの歌詞が自粛期間中刺さったんだよな。
ハピライでここ、なかったな、ライブでは誰が歌うんだろう。
感情という感情がフルスロットルでした。
とはいえ、4/18が近づくにつれて、わたしの心はだんだん整い、落ち着き、なにより「ライブ会場に行ける」というこの数年ぶりにも感じられる喜びが、しだいに色濃くなっていきました。
そしてその日を迎えます。
ここでその多くを語ることは、避けます。語れば語るほどに薄くなってしまう気がして。
2020年春、就活と、友達に会えない大学生活、削られるバイトに増えない収入、本当は何公演か当選していて、とにかく楽しみにしていたこのツアーも、度重なる延期のお知らせ。
毎日生気のない顔で、それでもただ生きていただけでした。
それでも音楽として『STORY』は手の中にあって、NEWSの4人はテレビで、webで、雑誌で、できるだけわたしたちのそばにいようとてくれていました。
夜は月を見上げて『戀』を聞きながら涙し、増田くんの声に包まれながら眠ることが救いでした。
仙台で過ごすはずだった、STORY開幕予定だったわたし自身の誕生日、3/7(土)。
"青い空が眩しすぎて目を逸らした土曜の午後"
その声を聞きながら自宅でひとり、ケーキを食べていました。
"幸せってなんだろう ふと立ち止まる"
まさに土曜の午後、まるっきり今のわたしだなぁ、なんて思いながら。
あの日々、毎日そばにいてくれた曲たち。
ステージで歌い踊るあの空間に早く行きたいと祈り、願いながら眠ったあの頃のわたしへ。
その願いが今、目の前にあるよ。
そう思うと涙が止まりませんでした。
ライブの節々で知らぬ間に泣いていました。
どんな形でもよかった。
出会いにも別れにも抗えない。神様はただ、NEWSが、ファンが、わたしがこうなることを企てた。
ただただ、目の前にあるこれがすべてで、これが、正解だった。
劇場でモダンボーイズを演じきりながら、ステージの上ではたくさんの歌割りを引き継いで。
加藤さんに留まらず、他のふたりも例外なく。
絶対に、簡単なことじゃなかった。絶対に、誰が歌えなくなってもおかしくなかった。
彼らがこうして、何もかもを抱えて、諦めず、ステージに立ってくれているその事実が、わたしにとっての希望で、愛で、誠実さで、なによりの幸福でした。そう、彼らがわたしのクローバーだったんだと気づけたのは、ライブが終わる頃でした。
"逃げる場所にしたっていい
辛くなるなら聞かなくていい"
"いつもいつでもここに来て
俺に甘えていいんだよ"
逃げ続けていたわたしの心まで、その声は深く暖かく響きました。
"希望を手放さないで
絶望に手を出さないで
僕らの手を握っていて
その温もりを忘れないで
約束しよう"
もう、手を離す理由はどこにもありませんでした。
この人たちについていこう。
いままで見せてもらったたくさんの夢を、まだまだ続くはずのその夢を、これからも見たい。
NEWSを、見ることができるようになりました。
2014年にNEWSと出会ったわたしの中で、NEWSはもともとが4人でした。わたしは4人の関係性を疑わなかったし、あの空気こそもともとの正解のようでありました。
けれど、2015年、誰かの10000字インタビューで、10thのライブは4人であることが不安定だったこと、そしてWhiteでは4人としてのNEWSであることにやっとすこし自信がついたきっかけになったこと(めっちゃニュアンスですが)が書いてありました。
そうだよね、わたしの中にはなくても、彼らの中では6人だったことも9人だったことも消えてないんだよね、って、そのときはじめて気づけた記憶があります。
わたしは仙台からの帰りの新幹線で、そのことを思い出していました。
このライブに行く前のわたしは、きっと、NEWSはもともと3人だったと思いたかった。手越のことを忘れたかった。4人の面影を見ることが怖かった。
けど、3人は、手越のことをわたしたちに見せた。これは、これからのNEWSにとっての宣誓だった気がします。
なかったことにしない。
でも、これを経ても俺たちは強い。
俺たちはNEWSとしてここにいる。
その宣誓だったのだと。