『虹の岬の喫茶店』
初めて読む作家さん。
メルヘンチックなタイトルです。
「岬カフェ」のオーナーは柏木悦子。60代。若いとき、少しは知られたピアニスト。
夫はあまり売れない絵描きで、頸椎にできた悪性腫瘍のため、32歳で他界した。夫が最後に描いた絵が夕焼けに染まる海と虹の風景で、店に飾ってある。夫の死後、悦子は都内の土地と家屋とピアノを売却し、この岬に移り住んだ。犬のコタローとの生活に、経済的な心配はない。
甥の浩司(40歳)は塗装業を営んでいて、カフェのすぐ隣に自前のライブハウスを一人で建設中。浩司の母親は悦子の妹で、浩司が小学生の幼いころに自死した。
「岬カフェ」は、道路から少し脇に入ったところにある。草がおいしげり板切れの看板は目立ちにくいが、たまたま看板を目にした人が訪れたりする。
悦子は、「美味しくなれ」と念じて淹れたコーヒーを出す。
陶芸家の克彦の妻は4歳の娘希美を残して急性骨髄性白血病で亡くなった。父娘は車で虹探しの旅に出る。コタローの誘導で店に入る。壁にかかった虹の絵が父娘を癒す。悦子がかけた曲は「<春>アメイジング・グレイス」。
今泉健(イマケン)は、「‥‥ちっとも思うようにならない就職活動の憂苦を発散させようと久し振りに一人でツーリングに出かけた‥‥」。ガス欠と猛烈にトイレにいきたくなる二重苦。必死にトイレ願望をこらえ、バイクを押してたどり着いたのが「岬カフェ」。曲は「<夏>ガールズ・オン・ザ・ビーチ」。
ほの青い月明り。「岬カフェ」に泥棒に入る男はプロの研ぎ屋で50歳を超えている。経営・金策に行き詰まり妻子は家を出て行った。完璧以上に研ぎあげられている出刃包丁と、100円ショップで買った小型の懐中電灯を手にしている。曲は「<秋>プレイヤー」=祈る人。
コーヒーと音楽、悦子の少しの言葉と壁にかかった岬の虹の絵。あるあるという感じもするが、苦悩の中にある人が、回復してゆく‥‥。
後半では、陶芸家の克彦が焼いたコーヒーカップ、フリーライターになったイマケンが書いた岬カフェ紹介の雑誌記事、研ぎ屋が残した出刃包丁などが時々顔を出すが、この小説の柱は後半?
屈折をかかえ、10代のとき暴走族の総長に上りつめる浩司がおもしろい。浩司が給油に寄ったガソリンスタンドで働いていたショーと出会う。鉛筆みたいに細っこいショーは、暴走族よりロッケンロールがおもしろいと、浩司をやや上から目線で挑発する。浩司が意外と素直で、かわいい。
さて浩司にはドラムのセンスがあったようで、バンドを組むことになる。ショーがつくる曲あっての活動は評判になっていったが、やがてメンバーはお金にルーズなショーに手をやき、決別になる。
浩司の店の落成記念日。かれこれ20年ぶりのライブ。連絡がとれたショーだが、この日は小学生の息子の運動会で不参加。
間もなくおじさんバンド再結成の予感、ですね。
タニさんは独身。初老にさしかかっている建設会社の役員。10数年間、悦子に恋心を抱いたまま、カフェでさいごの日を過ごす。タニさんは悦子の気持ちが自分に向かないことをとっくに察知している。悦子もタニさんの気持ちはわかっているけれど、そぶりには出さない。
リストラを受け入れ、タニさんは関西の関連会社の社長として赴任する。悦子へのプレゼントは天体望遠鏡。「いろいろいただいて(思慕の気持ちも?)、ありがとね」。タニさんはわざわざフェリーを使って四国に寄り道をし、関西に向かう。甲板に立つタニさん、岬の望遠鏡をのぞく悦子。切ないね。
老いにともなう不調が続き、店を閉めることを考え出した悦子。
台風が近づいていた。風のかたまりがぶつかってくるような暴風で、建物は小刻みに軋みながら揺れる。浩司が心配して電話をくれる。コタローと息をひそめて風が過ぎるのを待つ。
翌朝、
「私は西の風景の異変に気づいてハッとした。‥‥この世界すべてが、透明なオレンジ色で満ちていた。それはかつて見たことのないような、荘厳な朝焼けだった。‥‥この何十年もの間ーー毎日私が探すべきものは、夕焼けではなくて、朝焼けだったのだ」。悦子も再生する。
曲は「<冬>ラブ・ミー・テンダー」。
(タニさんは自宅のマンションで、いわゆる孤独死で旅立っていた)
ええっ?!
この小説は2012年にラジオドラマ化され、2014年には吉永小百合(悦子役)で映画化されていた。知らなかった~。
私がキャストを決めるとしたら、背筋が伸びた悦子のイメージは、一時代のコワサが抜けた江波杏子さん(数年前に他界)。原田美枝子さんとか、樋口可南子さんもいいかな。
『虹の岬の喫茶店』森沢明夫 幻冬社文庫 平成25年11月15日