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『神の島のこどもたち』

舞台は沖永良部島(おきのえらぶじま)。鹿児島県です。
島の人や、近隣島々の人は短く「えらぶ」と呼ぶようです。

沖縄に近い島のせいか、生活文化や民謡は奄美大島や徳之島のものより、沖縄のそれに近い。戦中・戦後の出稼ぎ先も沖縄が多かったようです。

復帰運動(奄美群島は昭和27年までアメリカの占領下にあった)、密航、戦争、葬送のかたち等々、当時の沖永良部島を知る民俗誌としても読めます。私の両親の故郷が徳之島なので、より興味深い。

時代は今から70年ほど前、昭和26~27年ごろです。

カミちゃん(女子)やユキちゃん(男子)など、子どもたちの親や親戚、地域の大人たちも混ざり合い、島の日常が展開してゆく。

女の子は小学生になると水汲み(カミちゃんは7歳になったとき水汲みの練習を始めた)、男の子は草刈りが毎日の役割になる。

戦後7年たっても、暮らしぶりはよくならないけれど、家族間はあたたかい。

=以下、書き写し=

家に帰ると、トーグラ(台所)では、あま(おかあさん)とあじ(おばあさん)が食事の支度をしていた。ウム(芋)を炊いて、ムジ(田芋の茎)を炒めている。

「水を汲んでくるねー。じゃーじゃ(おじいさん)はどこー」
「台風が来そうだからねー、草刈りにいったよー」
あまがふりかえりもせずに答える。じゃーじゃもユキと同じぐらい、準備がいい。

「もうごはんだからねー、ナーク(カミの弟)を連れて帰ってきてねー」
あじが言った。そういえばナークもいない。外を見ると、山羊もいない。
「山羊を連れ戻しにいったはずなのに、戻ってこないんだよー」
「これでわたしも戻ってこなかったら、おかしいねー」
「あべー、それは大ごとだ」

わたしはあまとあじの笑い声を聞きながら、空桶を持って家を出た。
ホー(水汲み場)には何人もの人がいた。台風が来ると、ホーは水に浸かって何日も水が汲めなくなる。

=水汲みの場面=
‥‥
ヤマトゥには水道というものがあると、神戸の親戚に聞いたことを思いだす。どの家のトーグラからも、いくらでもすきなだけ水が流れ出るのだという。この島もヤマトゥに復帰したら、もう水汲みをしなくてよくなるのだろうか。
‥‥
水を桶いっぱいに汲みいれると、重たくて頭の上に持ちあげられなくなる。先に汲んだ人の桶を頭にのせてあげる。
「みへでぃろどー(ありがとうございます)」
桶を頭に、立ちあがってわらった顔は、ナカヌヤー(中の家)のおばさんだった。
「あやぶらんどー(どういたしまして)」
空桶の私は頭を下げる。
「カミは働き者だねー」
おばさんはもう頭を動かせない。腰をちょっとかがめてあいさつをしてくれる。

わたしが水を桶に汲みこむと、今度は後ろにいた小学生の女の子が、ふたりがかりで頭に桶をのせてくれた。
ナークと同じ三年生の子たちだ。ひとりはトラグヮーの妹のウミで、もうひとりはヤンバルの妹のフミだった。ふたりとも金(かね)のバケツを持っている。ウミは去年生まれた弟をおんぶしている。  =ここまで書き写し=

戦後、沖永良部島にもできた新制中学には殆どの子が行ったが、高校に進学した子はごくわずかで、美奈子もヤンバルも蘇鉄でんぷん工場に就職した。

その後、ヤンバルは沖縄に出稼ぎに行く。5人の弟妹を養うため美奈子も沖縄に行き、その後アメリカに行った。カミは本土の大学に行って、教師になると言う。

作者の中脇さんは大学で民俗学を学ばれた。前作の『神に守られた島』と併せ、集落を歩き、話を聴き、資料を読み込んで創られた物語ですね。

ジャーン! 昨年12月25日の朝日新聞の<折々のことば>で、中脇さんの『きみはいい子』から「うちにはサンタさんが来ない。」という部分が取り上げられた。ー拍手ー

『神の島のこどもたち』中脇初枝 講談社 2019年1月16日

 


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