市原市と美波町の共通点:歴史からひも解く
市原市と美波町の共通点は?
市原市と美波町の共通点として挙げられるのはどちらも”戦争の被害が少ない”ということである。
そこで筆者は仮説を立てた。
戦争の被害が少ないと発展がほかの地域と比べて遅くなる説
これは特に戦争の被害が大きかった地域と比べてもそうである。例えば東京。
東京は空襲で多くの災害を受け一時焼野原と化したが現在はその分どこよりも発展している街である。
また近年の例でいうならば東日本大震災があげられる。
筆者は震災時に岩手県に住んでいたために津波が来る前と後の姿がどのようなものだったのかを認識している。
その場所は戦争の被害もほとんどなく、津波がくる前の地域は交通の便も悪く、アクセスもしにくい、そのうえ近くのお店まで行くのにも時間がかかるような状況の場所であった。
だが震災で津波が来て、それからその街は変わった。
以前は住むのに不便だった場所が震災を通して復興され、前よりも格段に住みやすい街へと進化したのである。
その進化により、確かに失ったものは多かったが新しく恩恵を受けることもできたのである。
交通の便の例でいうと「宮古市と山田町のあいだがバスで1時間だったのが、鉄道では40分に、大槌町と釜石市のあいだは、48分が18分に短縮(いずれもおおよその時刻)。」(https://trafficnews.jp/post/84626/2)が挙げられる。筆者的にだがこの大幅な時間改正は震災が来なければ実現しなかったのではないかと考える。(suicaですら使えるようになるのが2年後といわれている県なので……)
もう1つ観光地化という視点で見ると陸前高田の松原が挙げられる。
この上記のお洒落な場所の正体はなんと復興記念公園として構築された「道の駅」なのである。
この道の駅ができたことによってSNSで一時期バズり観光客を集めることができたのである。
このことからいえるのは一度大きな戦争や災害を受けるとその町は以前よりも住みやすい街へと変化していくことではないかということである。よって上記の仮説(戦争の被害が少ないと発展がほかの地域と比べて遅くなる説)はあながち間違ってはいないのではないのだろうか。
よって美波町や市原市(それから加茂地区)が発展しにくいのは上記のような戦争の被害や震災がほかの地方と比べて比較的少ないというのが理由に含まれると予測できる。
働き方について
今、市原市や美波町は過疎が問題となり、後継ぎがいないなどの問題が起こっている。
その問題を掘り下げていくと歴史的背景である戦争や災害の被害を受けていないからといいう理由が挙げられるのではないかと考える。
もしこの働き方に関する問題を解決するのであれば街の交通の便や観光地化などの面を解決し、多くの人にとって住みやすく、働きやすい街へと変化させる必要があると推測できる。
だが逆開発(あえて開発しない)という考えを尊重し、都会的になりすぎない形で市原市や美波町をこれからもこの形のままで存続させることも筆者的にありなのではないかと考える。
今後の街全体の形がどうなっていくのか、筆者は期待に胸を膨らます。
参考サイト