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note11 禊ぎ祓い(みそぎはらい)


黄泉の国から戻ってこられた伊邪那岐命が、穢れを祓うために禊(みそぎ)をします。

今回はその禊ぎ祓いの原文の解説をします。

黄泉の国からお帰りになったら伊邪那岐命は、
「私は何といやな穢らわしい国に行ったことだろう。だから、私は身も心も清める禊をしようと思う」
と言われました。そこで築紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あわぎはら)においでになって、禊ぎ祓えをなさいました。

築紫の日向の橘の小門と阿波岐原とは

築紫は九州で、日向は日向国(ひゅうがのくに)(宮崎県)の橘と呼ばれる辺りの、小門(おど)(海が狭くなっているところ)の向かいにある、あわぎ(淡い)原っぱとする説があります。

または、日向は日に向かうの意味で特定の土地ではないとの説もあります。

余談ですが、私は宮崎県に行った時に、伊邪那岐命が禊ぎ祓えをしたと言われる池に行ったことがあります。
宮崎県にはそのように言い伝えられる場所があるということを紹介しておきます。

解説に戻りますと、
伊邪那岐命はまずは自分が身につけていた物を次から次へ、投げ捨て脱ぎ捨てていきます。
まず投げ捨てられた杖からお生まれになった神は、衝立舟戸神(つきたつふなどのかみ)です。この神は旅人の安全を守る神、悪霊邪気を防ぐ神です。
次に投げ捨てられた帯から、帯のように長い道を守る道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)がお生まれになります。
次に投げ捨てられた袋から時置師神(ときおかしのかみ)がお生まれになります。
次に投げ捨てられた衣(ころも)から煩わしいことを掌り、それを祓ってくれる神である和豆良比能宇斯能神(わずらいのうしのかみ)がお生まれになります。
次に投げ捨てられた袴から分かれる道を守る道俣神(ちまたのかみ)がお生まれになります。
次に投げ捨てられた冠から人々の罪・穢れを口を開けて食べて清めてくれる飽咋之宇斯能神(あきぐいのうしのかみ)がお生まれになります。
次に投げ捨てられた左の手の腕輪から奥疎神(おきざかるのかみ)、奥津那芸佐毘古神(おきつなぎさびこのかみ)、奥津甲斐辨羅神(おきつかいべらのかみ)がお生まれになります。奥疎神は穢れが沖に遠ざかる神の意味です。奥津那芸佐毘古神は沖の神です。奥津甲斐辨羅神は沖と汀の間を掌る神です。
次に投げ捨てられた右の手の腕輪からお生まれになった神は、邊疎神(へざかるのかみ)、邊津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)、邊津甲斐辨羅神(へつかいべらのかみ)です。邊疎神は穢れが海辺に遠ざかる神の意味で、邊津那芸佐毘古神は海辺の汀の神、邊津甲斐辨羅神は海辺と汀の間を掌る神です。
以上の衝立舟戸神から邊津甲斐辨羅神までの十二柱の神は、伊邪那岐命が身につけていた物を投げ捨てられることによって、お生まれになった神々です。十二柱のうち、前の六柱は、陸上の神です。後の六柱は、海の神です。

さらに、伊邪那岐命は目の前に流れる川を見て、
「上流は流れが速い。下流は流れが遅い」
と言われて、中流の瀬におりて水中にもぐり、心身の穢れを洗い清められた時に、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おおまがつひのかみ)がお生まれになりました。この二柱の神は、穢らわしい黄泉の国に行った時の穢れによってお生まれになった神です。穢れからも神が生まれるのです。
次にその禍(まが)を直そうとしてお生まれになった神は、神直毘神(かんなおびのかみ)と大直毘神(おおなおびのかみ)、伊豆能売神(いずのめのかみ)です。これら三柱の神々は禍(まが)を清明(せいれい)な状態に直してくれる神です。悪しきことを良い状態にしてくれる神と言えるでしょう。
次に水の底にもぐって、身を清められた時にお生まれになられた神は、底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)と底筒之男命(そこつつのおのみこと)の二神です。
次に水の中ほどで身を清められた時に中津綿津見神と中筒之男命の二神がお生まれになります。次に水の表面で清められた時に上(うわ)津綿津見神と上(うわ)筒之男命の二神がお生まれになります。
底・中・上の綿津見神は海を掌る神で、海人(あま)族の阿曇連(あずみのむらじ)らが祖先の神として崇め祭っている神です。そして阿曇連らは、その綿津見神の子の宇都志日金さく命(うつしひがなさくのみこと)の子孫です。

また、底・中・上の筒之男命は航海を掌る神です。この三柱の筒之男命は、大阪府の住吉大社に祀られている神様です。

今回はここまでです。
次回は、伊邪那岐命の禊ぎ祓えと関連して、神社でのご神事では常に奏上されている祓詞(はらえことば)を紹介します。

ありがとうございます🌈

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