★動物は死後どうなるか
《 動物は死後どうなるか 》
みなさんの中にも、動物と一緒に暮らしていらっしゃる方もおられると思いますが、家族同然に暮らした動物たちが私たちよりも先にあの世へ旅立つことが多いことでしょう。
そんな愛情を注いだ動物たちとの別れはとても辛いものですよね。私も何度も経験したので、よくわかります。
一緒に暮らしたワンちゃん、猫ちゃんたちとは、これから先もう二度と会えないのか、はたまた、そんな彼らは死んだ後は一体どうなってしまうのか、と、疑問に思った方も多いのではないでしょうか。
そんな疑問に明確に答えたお話を『シルバーバーチの霊訓』から、一部抜粋してご紹介したいと思います。
『シルバーバーチの霊訓』は私も愛読している書物ですが、死後の世界のことや我々の本体である魂の様々な法則が事細かに解説された素晴らしい内容です。
悲しい別れの先に待っている、動物と我々人間との希望あふれる内容に、皆さんもほっと胸をなで下ろすことでしょう。
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動物は死後どうなるのか───これは誰しも一度は考えて見たことのあるテーマであろう。
ある日の交霊会で、そのテーマを本格的に扱った本を執筆中のシルビア・バーパネル女史がシルバーバーチに集中的に質問した。
問 「動物は死後もずっと飼い主と一緒に暮らすのでしょうか。それともいずれは動物だけの界へ行くのでしょうか」
「どっちとも一概には言えません。なぜなら、これには人間の愛が関っているからです。死後も生前のままの形態を維持するか否かは、その動物に対する飼い主の愛一つにかかっているのです。もしもその動物と飼い主───この飼い主(Owner)という言葉は好きではありません。
他の生命を我がものとして所有する(own)などということは許されないのですから───その両者が時を同じくして霊界へ来た場合、その飼い主のところで暮らします。愛のある場所が住拠となるわけです。愛が両者を強く結びつけるのです。その場合は住処がありますから動物界へ行く必要はありません。
動物界に住むのは飼い主より先に霊の世界へ来た動物に限られます。誰かに世話をしてもらわなくてはならないからです。さもないと、心を温めてくれただけでなく一時的にせよ〝不滅性〟の要素を吹き込んでくれた〝愛〟から切り離されて、動物といえども心を取り乱すことがあるのです。
地上で人間的な愛と理性と判断力と情愛を一身に受けた飼い主より先に他界した場合は、その主人が来るまで、動物界へ行ってそこで面倒を見てもらいます。それはちょうどあなた方が遠出をする時にペットを専門家に預けるのと同じで、霊界の動物の専門家に世話をしてもらうわけです」
問 「人間との接触によって動物はどんなものを摂取するのでしょうか」
「長い進化の道程のどこかの時点で、神が、というよりは法則の働きによって、動物の魂に自我意識が芽生え、やがて理性が芽生え、知性が発達してきました。その段階で人間は判断力を身に付けたわけです。
すなわち物事を意識的に考え、決断する能力です。しかし実はそうした能力は全部はじめから潜在していたのです。どんなに遠く遡っても、魂の奥に何らかの形で潜在していたのです。それが目覚めるには神の息吹きが必要でした。
さて、そうして神が動物に霊性の息吹きを吹き込んだように、あなた方人間も動物に対して同じことができるのです。人間は神の一部です。従って進化の順序のなかで人間の次に位置する動物に対して、その霊性の息吹きを吹き込む能力を具えています。
つまり動物との接触の中で、愛という霊的な力によって動物の魂に自我意識を芽生えさせることができるのです。それがその後の永い進化の道程を経て、やがて人間という頂点にまで達するわけです。愛が生命のすべてのカギです。動物であろうと人間であろうと、愛は死によって何の影響も受けません。
愛こそは宇宙の原動力です。全宇宙を動かし、全てを統御し、全てを統治しています。また愛は人間を通じて他の生命へ働きかけようとします。人間同志でもそうですし、動物、植物といった人間より下等な生命でもそうです。人間が可愛がる動物───犬、猫、その他のペット類───へ向けられる愛は死と共に終わるのではありません。愛があればこそ生命は進化するのです」
問 「霊界で動物と再会したとして、その一緒の生活はいつまで続くのでしょうか。いつまでも人間と一緒ですか」
「いえ、その点が人間と違います。人間と動物はどこかの時点でどうしても別れなければならなくなります。地上の年数にして何十年何百年かかるか分かりませんが、動物の進化と人間の進化とではその速度が違います。より大きな光明へ向けて絶え間なく向上していく人間のペースについていけなくなる時が来ます。
人間は死の関門を通過して霊界の生活に慣れてくると、言いかえれば自分を地上と結びつけていた絆が切れたことを自覚すると、向上進化を求める欲求、内部の神性を発揮しようとする欲求が次第に加速されていきます。そして魂に潜む能力を他の生命の進化を援助する方向へと発揮しようとします。
そうやって人間が霊的に向上すればするほど、動物はそのスピードについていけなくなり、やがて死後も燃え続けた愛の炎も次第に小さくなり、ついに動物はその所属する種の類魂の中に融合していきます。
問 「すると動物の場合は個性を失ってしまうということですか」
「その通りです。そこに人間と動物の大きな違いがあるわけです。動物は類魂全体として未だ1個の個性を有する段階まで進化していないのです。その段階まで進化すれば、もはや動物ではなくなり、人間の段階に到達したことになります。ペットして可愛がられた動物は、人間の愛の力によって言わば進化の段階を飛び越えて人間と一緒に暮らすわけですから、その愛の糸が切れてしまえば、もとの類魂の中に戻るほかありません」
問 「せっかく人間との接触で得たものが消えてしまうのでは愛がムダに終わったことになりませんか」
「そんなことはありません。魂全体に対して貢献をしたことになります。類魂全体としてその分だけ進化が促進されたことになるのです。共通の蓄えに対する貢献です。今までその類魂に無かったものが加えられたわけです。全体のために個が犠牲になったということです。
そうしたことが多ければ多いほど類魂の進化が促進され、やがて動物の段階を終えて人間の形体での個体としての存在が可能な段階へと進化していきます」
問 「その時点で人間界へと誕生するわけですか」
「人間界への誕生には二種類あります。古い霊が再び地上へ戻ってくる場合と〝新しい霊〟が物質界で個体としての最初の段階を迎える場合です」
問 「一人の人間としてですか」
「そうです双方とも霊魂(スピリット)です。双方とも自我意識を持った霊であり個性を持った霊的存在です。ただ一方がベテランの霊で、進化の完成のためにどうしても物質界で体験しなければならないことが生じて、再び地上にやってくるのに対し、他方は、やっと人間の段階にまで達した新入生です。
直前まで動物だった類魂が人間界への仲間入りをしたのです。アメーバの状態から始まって爬虫類、魚類、鳥類、そして動物と、ありとあらゆる進化の段階をへて、今ようやく人間へと達したのです」
問 「セオソフィー(神智学)の教えと同じですね」
「何の教えでもよろしい。私に対して、学派だの宗派だのを口にするのは止めて下さい。私はそういうものに一切関心がありません。世の評論家というのはアレコレとよく知っていることをひけらかすだけで、その実、素朴な真理を何一つ知りません。
それはさておいて、あなた方はまさか蜘蛛を家の中に持ちこんでペットとして飼ったりしないでしょう。カブト虫に温かい人間愛を捧げるようなことをしないでしょう。それはあなたと、そういう昆虫との間の隔たりを意識するからです。進化の道程において遥かに遅れていることを本能的に直感するからです。
一方、犬とか猫、時に猿などをペットして可愛がるのは、一種の親近感を意識するからです。もうすぐ人間として生まれ変わって来る段階まで近づいて来ているために、動物の方でも人間の愛を受け入れようとするのです」
問 「では下等動物が人間に飼われるということは、その動物はもうすぐ人間に生れ代わるということを意味するのでしょうか」
「進化にも、突然変異的な枝分かれ、いわゆる前衛と、後戻りする後衛とがあります。つまり前へ行ったり後ろに下がったりしながら全体として進化していきます。中には例外的なものも生じます。動物で知的な面でずいぶん遅れているものもいれば、小鳥でも犬よりも知的に進化しているものがいたりします。しかしそうした例外と、全体の原理とを混同してはいけません」
問 「動物の類魂は同じ種類の動物に何回も生まれ変わるのですか。それとも一回きりですか」
「一回きりです。無数の類魂が次々と生まれ変わっては類魂全体のために体験をもちかえります。動物の場合それぞれ一度ずつです。全体として再生する必要はありません。それでは進化になりません」
問 「われわれ人間としては、犬や猫などのペットと同じように、生物のすべてに対して愛情を向けることが望ましいのでしょうか」
「それはそうです。しかし同じ反応を期待してはいけません。愛情は愛情を呼び、憎しみは憎しみを呼ぶというのが原則ですが、進化の程度が低いほど反応も少なくなります。
あなたの心に怒りの念があると言うことは、それはあなたの人間的程度の一つの指標であり、進歩が足りないこと、まだまだ未熟だということを意味しているわけです。あなたの心から怒りや悪意、憎しみ、激怒、ねたみ、そねみ等の念が消えた時、あなたは霊的進化の大道を歩んでいることになります」
問 「動物がようやく人間として誕生しても、その人生がみじめな失敗に終わった場合は、再び動物界へ戻るのでしょうか」
「そういうことはありません。一たん人間として自我意識を具えたら、二度と消えることはありません。それが絶対に切れることのない神との絆なのです」
問 「屠殺とか動物実験などの犠牲になった場合の代償───いわゆる埋め合わせの法則はどうなっていますか」
「もちろんそれにもそれなりの埋め合わせがありますが、一匹とか一頭とかについてではなく、その動物の属する類魂を単位として法則が働きます。
進化の程度が異なる動物と人間とでは因果律の働きが違うのです。特に動物の場合は原則として死後は類魂の中に個性を埋没してしまうので、個的存在とは条件が異なります。類魂全体としての因果律があるのですが、残念ながら人間の言語では説明のしようがありません。譬えるものが見当たりません」
問 「今おっしゃったことは恐ろしい野獣についてもあてはまるのでしょうか」
「一応は当てはまります。ただ忘れないでいただきたいのは、進化というのは一定の型にはまったものではないことです。いろいろと変化をしながら永遠に続くのです。原始的なものからスタートして低い段階から高い階段へと進むのですが、かつては低いところにいたものが次第に追い抜いて今では高いところにいたり、今高い所に位置しているものが、将来は低い方になることもあります」
問 「では進化にも後戻りということがあるわけですか」
「それを後戻りと呼ぶのであればイエスという答えになりましょう。というのは、進化というのは一種のサイクル(円運動)、現代の思想家の言葉を借りればスパイラル(螺旋状)画きながら進むものだからです。どちらの言い方でも構いません。要は進化というものが常に一直線に進むものではないことを理解していただけばよろしい。一歩進んでは後退し、二歩進んでは後退し、ということを繰り返しながら延々と続くのです」
問 「動物同士は殺し合っているのに、なぜ人間は動物実験をやってはいけないのでしょう」
「それが人間の進化の指標だからです。人間が進化すればするほど地上から残忍性と野蛮性が消えていきます。愛と慈しみと寛容の精神が地上にみなぎった時、動物の残忍性も消えて、それこそライオンと羊が仲良く寄りそうようになります」
問 「しかし動物の残忍性も動物としての発達の表れではないでしょうか」
「あなたもかつては動物だったのですよ。それがここまで進化してきた。だからこそ太古に較べれば動物界でも随分残忍性が減ってきているのです。トカゲ類で絶滅したのもいます。なぜ絶滅したと思いますか。人間が進化したからです」
問 「おとなしい動物の中にも絶滅したものもいますが・・・」
「進化の一番の指標が残忍性に出るといっているのです。太古でも進化上の枝分かれが幾つもありました。それらは進化の先進者ともいうべきものです。進化というのはどの段階においても一定の型にはまったものではありません。優等生もおれば劣等性もおり、模範生もおれば反逆児もおります。おとなしい動物はさしずめ〝火を吐く怪獣〟を追い抜いた優等生だったわけです」
問 「動物の類魂は一つだけではないということですか」
「各種属にそれぞれの類魂がいます」
問 「それがさらに細分化しているわけですか」
「そうです。細分化したものにもそれぞれの類魂がおります。新しい霊───初めて人間の身体に宿る霊は、動物の類魂の中の最も進化した類魂です」
問 「やはりサイクルを画きながら進化していくのでしょうか」
「そうです。すべてサイクル状に進化します」
問 「動物で一番進化しているのは何ですか」
「犬です」
問 「動物界にはどんな種類の動物がいるのでしょうか」
「地上で可愛がられている動物、親しまれている動物、大切にされている動物、人間と殆ど同等に扱われて知性や思考力を刺激された動物のすべてがおります。そうした動物は飼い主の手から離れたことでさみしがったり迷ったりするといけないので、動物界に連れてこられて、他の動物と一緒に暮らしながら、動物の専門家の特別の看護を受けます。
その専門家は永いあいだ動物の研究をしてきていますので、その正しい対処の仕方を心得ており、自然な情愛の発露を動物へ向けることが出来るのです。そこには動物をよろこばせるものが何でも揃っており、やりたいことが何でも出来るので、イライラすることがありません。そして時には地上にいる飼い主の家の雰囲気内まで連れてこられ、しばしその懐かしい雰囲気を味わいます。
心霊知識のない人でも自分の飼っていた犬を見たとか猫が出たとか言ってさわぐのはそんな時です。なんとなくあの辺にいたような気がするといった程度に過ぎないのですが、地上の動物の目にはちゃんと見えています。霊視能力が発達しているからです」
問 「動物界で世話をしている人間が連れてくるわけですか」
「動物界でその管理に当たっている人たちで、それ以外の人について戻ってくることはありません。ところでその世話をしている人はどんな人たちだと思いますか。動物が大好きなのに飼うチャンスがなかった人たちです。
それはちょうど子供が出来なくて母性本能が満たされなかった女性が、両親に先立って霊界へ来た子供の世話をするのといっしょです。犬とか猫、その他、人間が可愛がっている動物が飼い主に先立ってこちらへ来ると、動物が大好きでありながら存分に動物との触れ合いが持てなかった人間によって世話をされるのです。
もちろん獣医のような動物の専門家がちゃんと控えております。それもやはり地上で勉強したことがそのまま霊界で役立っているわけです。知識は何一つ無駄にはされません」
問 「病気で死亡した動物の場合も人間と同じように看護されるのですか」
「そうです。そうしたチャンスを喜んで引き受けてくれる人が大勢います」
問 「動物界は種類別に分けれているのですか、それとも全部が混ざり合っているのですか」
「種族の別ははっきりしています」
問 「動物界は一つでも、それぞれの境界があるということですか」
「そうです。とにかく自然に出来上がっております。一つの大きなオリの中に飼われているのではありません」
問 「猫は猫、犬は犬に分けられているわけですか」
「その通りです」
問 「特に仲の良かったものは別でしょう。その場合は互いに境界の近くに来るわけですか」
「そういうことです。すべてが至って自然に出来上がっていると考えて下さい」
問 「犬の次に進化している動物は何ですか。猫ですか猿ですか」
「猫です」
問 「なぜ猿ではないのでしょう。人間と非常によく似ていると思うのですが」
「前にも述べましたが、進化というのは一本道ではありません。かならず優等生と劣等性とがいます。人間は確かに猿から進化しましたが、その猿を犬が抜き去ったのです。その大きな理由は人間が犬を可愛がったからです」
問 「犬が人間の次に進化しているから可愛がるのだと思っていましたが・・・」
「それもそうですが、同時に人間の側の好き嫌いもあります。それからこの問題にはもう一つの側面があるのですが、ちょっと説明できません。長い長い進化の道程において、猿は言わば足をすべらせて後退し、残忍にはならなかったのですが、ケンカっぽく、そして怠けっぽくなって歩みを止めてしまい、結局類魂全体の進化が遅れたのです。
それと同時に、というより、ほぼその時期に相前後して、犬の種族が進化してきました。猿よりも類魂全体の団結心が強く、無欲性に富んでいたからです。しかしどう話が複雑なりすぎたようです」
問 「動物は人類のために地上に送られてきているのでしょうか」
「そうです、同時に人類も動物を助けるためにきているのです」
■出自;《 シルバーバーチの霊訓(五) ・■七章 動物は死後どうなるか 》( サイト『シルバー・バーチ読書会 かつしか』より )