理由のない写真
毎日、カメラを持って出掛けている。とりあえず50mmのレンズを付けて、小さな鞄の中には予備で28mmのレンズを入れている。おまけにND8フィルターとクローズアップレンズ、SDカードリーダーも。
いつでも記事を書けるようにと揃えた物だが、物だけ揃えて肝心の行動に出ていない。写真を撮りたくてカメラを持ち歩くのに、肝心のアウトプットまでを疎かにしている。
少し遠出をした時は、見慣れない景色が続くせいかシャッターを押す機会が増える。ただ、最近は頭の中にずっと「何のために?」という言葉が響いている。この写真を撮る理由が見当たらないからだ。
たぶん、なんとなく綺麗だと感じたから切ったのだと思う。しかし、それを他人様に見せるほどでもないと思ってしまう僕がいる。誰かに見てもらって初めて写真になるというのに。
誰に見てもらいたいのか。なぜ上手く撮ろうとするのか。上手いとは何か。伝わる写真が撮れているか。伝わるとは。伝える意味とは。雑念の渋滞を潜り抜けた先の写真。
最近、何かで聞いたのだけど、人間は表現をしたい生き物らしい。Chat GPTにも聞いてみたけど、感情の発露と存在意義の探求、つながりへの欲求、創造性の本能。自己解放と癒しなど、様々ではあるが、多くはそうであるという。
僕がこれを書くのも「欲」があるからだろう。何が伝えたいわけでもないけど、こんな写真を撮っていること、こんな人間が居ることを、あなたに知ってほしいからこれを書いている。そしてきっと、写真を通じて話しがしたいのだ。
カメラ:Nikon D200
レンズ:AF Nikkor 28mm F2.8D
現像:Adobe Lightroom "MABATAKI" Preset