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策士たちの去就

中国古代の兵法家や政治家の多くは、戦乱に乗じて自分の働き場所を求め、成功をつかもうとして諸国を移動していました。
固定関係を持った家臣というよりは、今でいうフリーランスのコンサルタントといったところです。
そのため君主が無能であったり、たとえ有能であったとしても自分の考えを受け入れてくれない時は、最悪の事態に陥る前に去り、別の君主のもとに雇われるのが普通でした。
まさに、アメリカの企業でのキャリアの形成のようなものですね。

実際に古代中国の思想家たちも反合の論理に基づいて去就を決めていました。

孫子は、自分の策を将軍が採用すれば必ず勝てますから、その臣下にとどまって働きます。
しかし、自分の策を採用しないような将軍ならば必ず負けますから、そんなところからはさっさと去りますと言っています。

孟子は君主の親戚である大臣は、君主に重大な過失があればこれを諌めます。
しかし、度々諌めても聞き入れてもらえない時は、君主を取り替えるしかありません。
親戚筋でない大臣は黙って国を去るものですと言っています。

このように古代の偉大な策士たちも自らの立場をこのように考えていたのです。

キャリアというのは現代においても重要な悩みの一つです。
日本の雇用もアメリカ的になってきていますから、古代中国の考え方ではありますが反対合体の術というのはますます有効になっていくことでしょう。
見えない世界をはじめ自然哲学などの占い術理論は見える世界においても有効です。
そのような学びに関心になる方は是非一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。