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団地の今2

2021年5月4日(火)、久しぶりに「故郷」である町田山崎団地に行ってきた。自転車にあまり乗らなくなってから行く頻度は減ってしまったが、たまに行きたくなって年1回くらいのペースでは行っている。今回、行きたくなったのは、図書館で「団地の時代」という本を借りて読んだことに影響されている。

団地の時代を読んで、著者の一人でほぼ団地で育ったとも言える原武史さんが言っていることと同じようなことを自分でも考えていたことに大変驚いた。というか原さんの方がよほどよく考えて研究して本にまでなっているので、自分なんかが到底及ばない感じである。とは言え、当時の団地住民の生活や社会的階層における位置とか、書いてあることが自分の考えていることに近かったので、こういう本を見つけたことがうれしかったのである。

そして次に同じ著者の「滝山コミューン1974」という本を読んだ。この本には東久留米市の滝山団地で育った著者が、小学校時代の教育について振り返る内容で、小学校の班活動や委員会活動などがどのようにできたのかなどが書いてある。また当時の団地において共産党が躍進したことなど、町田においても革新系が強かったことを思い出させる内容で、住んでいた団地と世代は少し異なるが同じようなことが起きていたのではないかと感じさせられる内容であった(こんな簡単な文章で記載できる内容ではないのだが…)。

さらに原武史さんの書籍を読んだりしているのだが、そうしているうちに団地を見たくなったので、カメラを持って車で行くことにした。こういうのは一人で行くに限る。山崎団地に行くのは、昨年の8月以来である。

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山崎団地名店街の駐車場に車を停め、歩き出した。まずはぐりーんハウスに向かう。ぐりーんハウスは、自分が子供の頃からあったおもちゃ屋さんで、閉店したのだが志のある方が復活させ開店したという情報をネットで得ていた(商店街の中での場所は変わっていて、かつて鮮魚店であった場所に移動している)。しかし5月1日~4日まで連休であった。明日は開店しているようだ。残念…。

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シェアキッチンとかをやっているようで、興味深い。そのうち改めて来たいものだ。

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三の橋を渡り、かつて住んでいた7-2に向かう。7街区には高校3年生の終わりに3街区から引っ越した。三の橋は工事中であった。さすがにこの橋も築50年以上経過し老朽化しているのだろうから、補強が必要なのだろう。

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渡ったところにマンホールがある。この場所は中学生の時、少し甘酸っぱい思い出があるのだ。

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坂を上って高台に出る。団地の上に大山や丹沢山系が見える。団地からは丹沢山系が本当によく見えた。子供の頃は夕焼けが絶景であった。高校の終わりから28歳まで住んでいた7-2は5階で東から南そして西方向に全く遮るものがなく最高の眺望であった。

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これは2002年の1月にコンデジでパノラマ撮影した夕景である。ここを引き払う時、この景色だけは本当にもったいないと思ったものだ。

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0歳児の時から高校3年まで住んでいた3-10に向かう。子供の頃よく遊んだ公園の砂場の上にある藤はすでに枯れていた。2年前のゴールデンウィークに自転車で来た時は満開であった。この公園によく登った木があるのだが、登る時に掴んでいた枝が折れた後の出っ張りが今も残っていた。

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住んでいた当時と違うのは、建物の色、窓がアルミサッシになっていること、芝生だったところが駐車場になっていることだろうか…。でもとにかく広くて土地の使い方が贅沢だ。

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第一集会所に向かう。ここで算盤や習字を習っていた。

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習字をやっていた部屋があった。流し台で毛筆を洗ったものだ。右側にある和室に子供たちがたくさん集まって習字を習っていたが、外側からは様子はうかがえなかった。

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湯沸室などがある。このトイレは自分が子供の時でさえあまりきれいだった記憶はなく、今は新しくなっているのだろうか…。表示は恐らくできた当時のものであろう。

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前回も訪れた、初めて逆上がりができるようになった鉄棒のある公園。前回は真夏だったせいか、団地内を歩いている人を見かけなかったが、今日は子供を連れた若い夫婦を何組も見た。意外と若い人が住むようになっているのだろうか…。団地リフォームとかが進んでいるのかも知れない。

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商店街に戻ると、「万寿園」という中華料理屋さんが営業していた。ここは自分が子供の時からやっているお店で、商店街のお店が軒並み閉店に追い込まれているところ、頑張っているようだ。メニューを見ると、昔よく食べた「サンマーメン」(餡掛け麺)も載っている。ちょうどお昼過ぎだったので、久しぶりに食べることにした。

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久しぶりに食べる「サンマーメン」は昔を思い出す味であったが、全く同じであったかというとよくわからない。基本的には同じだと思うのだが、前回食べてから時間が経ち過ぎている。会計の時にお店の「姐さん」(自分より少し若いくらいだろうか…?)に、「昔、団地に住んでいてよく食べていたのですが、以前と経営は変わったのですか?」と聞いたところ、何と当時の経営者は自分の祖父だったとのこと。ただ当時は別の人にお店は任せていたという話であった。今年で開店して54年、頑張っていますと言っていた。何だかうれしくなると同時に応援したくなる話である。また機会があれば食べに来たいものだ。

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食べた後は広場に向かう。ここには昔からある特徴的なオブジェがある。

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前に植物があって全体像が見えなくなっていたので場所が変わったのかと思ったが、2011年11月に自転車で行った時にスマホで撮影した写真を見てみると、場所は変わっていないようだ。

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団地内の貯水池は、水が枯れて底が見えていた。向こう側に排水溝の大きな穴が見える。あんな所に穴があったのか…、初めて見た。昔はもっと水面が上にあって見たことはなかった。

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貯水池は、自分たちが「三徳山」(三徳は団地内のスーパーの名称)と呼んでいた木に覆われた山に囲まれている。山の中は昔とほぼ変わっていないようだ。街灯だけがLED化されているのかも知れない。

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山の中にボロボロのオブジェ?があった。これが何を表しているのかよくわからないのだが、同じものが団地内に点在している。この山の中のものは特に劣化が激しくボロボロになっている。これも50年以上経過しているのだろう。

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最後にどうしても見たいものがあり、スーパー「ミニ三徳」に向かった。ミニ三徳は団地北側の5街区、6街区、7街区に囲まれたところにある。この前に昔ながらの郵便ポストがあるのだが、今もあるのかどうか気になり見に行ったところ、まだあった。

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大学生の頃、鶴川郵便局でアルバイトをしていたのだが、ポストの集荷というのも仕事であった。郵便局の赤い軽自動車でポストの郵便物を集めて回るのだが、このポストに棒アイスを投げ込んだバカがいた。自分がカギでポストを開けると郵便物が溶けたアイスクリームだらけになっていたので、忘れられないのである。それももう30年以上前の話だが、ポストは時間の経過など関係ない顔をして鎮座していた。

団地ができて50年以上経過しているのだが、なくなってしまったもの(自分が通っていた小学校と中学校は廃校になり、今その場所は桜美林大学になってしまった)、まだ頑張って存在しているもの、頑張ってないけど存在しているものがある。
これからも機会があれば、自分の「故郷」の変化を見ていければと考えたりしている。

カメラ:EOS R、レンズ:CANON 50mm F1.2

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