『退屈』について考えたら沼だった
秋の暑さ?から秋の肌寒さをすっ飛ばし、いよいよ冬がやって来るらしい
最近は夏や冬の勢力が強過ぎて、春秋が風前の灯のように感じられる
四季は精神にも大きく影響するので、是非とも春秋に頑張って欲しいところだ
ここ数日、気温とは関係はないのだが
突然『退屈』が襲ってきた
虚無感に近いような気もするが
じゃあ簡単!何かしたい事を見つけてすれば?と思ったそこの貴方!
それがあれば、そもそもこんな状態にならないのですよ
というか、ここ半年間、相当にハマっていた事があって、それに飽きたからこのあ有様なんですわ
私は興味が長続きしない
食べ物も、これ美味しい!!!と思ったら毎日食べる、何なら日に2回食べたりもする
それが一定期間続く
その時は、きっとこれは一生好きな食べ物だ!と喜んでいる
しかし、それは突然終わる
キッカケがある訳でもなく、ある日突然、全く欲しくなくなる、嘘みたいに
見ても美味しそうとも思わない、感情が1ミリも動かない、石を見るのと変わらない
それが食べ物以外でも多々あり
興味津々で調べまくり、やりまくり、毎日それにどっぷり浸かる
そして、ある日、突然飽きる
何がそんなに面白いと思ったかさえ分からなくなるほどだ
今回は半年でそれがやってきた
そこからの『退屈』だ
暇とは違う、退屈なのだ
感情に刺激が全くない、という感じ
日々の生活の思考は当然あるし、何か思う事はあるけれど、もう少し深い所の感情に何も刺激が起こらない
楽しい、苦しい、悲しい、悔しい、嬉しい
『しい』が無くなる
『しい』が無くなるととんでもなく退屈になる
さて、こんなんでいいのか?
私はただの怠惰な人間となってしまったのか?
現在の自分をどう捉えてよいのかがわからない
でも待てよ?何かしたい事がないといけないのか?そもそも
と思うようになった
そして、以前読んだ事のある方のブログを思い出した
『退屈』について書いてあったのだ
もしかしたら何かわかるかもしれないと、再度検索して読んでみた
どうやら真我探求をしている者にはいつか訪れる時期が『退屈』らしい
理解し切れていないので、ここで内容は説明出来ない
自分が体現してから真の理解は出来ると思っているので、それまでは書けない
『退屈』の正体とはそうなのか!と知った
ならば、この退屈をとことん味わってみる
でも、退屈は苦痛なのだよ
恐らく人、自我、想念は、この『退屈』を避ける為に活動しているのだと思う
『退屈』が前面に出て優位になってしまったら、目の前の様々な事が展開しなくなるから
それでは自我は困るわけだ
自我や想念は湧いてなんぼなので
最近、一部で流行っている左脳コントロールからの非二元は『退屈』な状態になるわけではなく、ネガティブな思考が湧かないようになる事が目的なのかと見ている、よく分からないけど
『退屈』はどっちも湧かないんだよ、見事に
だから退屈なのだ
ネガティブでも考える事があれば、喜んでいる気がするんだよね、自分的には
感情を動かされる何かが快感なのだ
それが無くなるって、ある意味苦痛なのだ
という所までわかった気がする
ならば、この苦痛な『退屈』を味わおう!と思ったが、それが自我の罠だったりする
なんと巧妙なやつ
なんて事を書きながら頭を整理した
真我探求の深淵さに恐れ慄く