『おかえりモネ』で知った「鮪立」
思えば、何も分からないまま、ドラマを見ていたんだなぁと思わされたのが、最終週でりょーちんが羽織った「カンバン」。ハッピに見えるけど、やっぱり「カンバン」って言わないといけないと知った。
そして、その「カンバン」に赤く染め上げられた「鮪立(しびたち)」の文字。読めなかった。ここから私の「鮪立」の学びが始まった。
地名だったんだ。それも「唐桑半島」にある漁港の中でも、名だたる良港だった。それだけではない。何度も、ドラマの中で見ていた。モネの実家となった大島神社の神主さんの家がある場所の、まさに対岸だ。
小高く見える山は、早馬山。展望台もあり、モネの実家もきれいに見下ろせる。その早馬山の、裾野に抱かれりるように見えるのが「鮪立漁港」だ。地図で見ると、入江の形が、私には可愛らしく見えてしまう。瓢箪型というか、雪だるまのよう。
赤い丸がモネの実家。青い丸が「鮪立」だ。ここには「唐桑御殿」と呼ばれる重厚な入母屋造りの大きな家がいくつもある。かつて遠洋漁業の最盛期に、家を守る家族のために稼ぎの大きかった漁師が建てた家だ。
ところが「唐桑御殿」をググると、「唐桑御殿つなかん」という民宿がヒットする。人気の民宿だ。ただ、この民宿、民宿として建てられたのではなく、牡蠣の養殖を手がけていた「盛屋水産」の、リアルな「唐桑御殿」であったが、震災で屋根だけを残し、全ての階が流されてしまった。最終回で、唐桑や気仙沼では話題になってた、その民宿の女将の菅野一代さん、りょうちんを見送る新次さんのショットの中の、一番目立つ場所にいらっしゃった。
でもこれは、恐らくというより間違いなく、NHKさんの配慮だったと思う。ボランティアを温かく受け入れ続けた菅野一代さんは、いまでも訪れる多くの人を、その笑顔で勇気づけてくれている。それに報いる意味もあったと思う。
さらに「鮪立」には、漁港の復興で、大きな業績を残した。県が作った防潮堤計画案の見直しに成功したのだ。その経緯は、今川 悟さんによって、丁寧にまとめられている。
物語を読むかのように、泣いてしまった。地元の方なら知っていることだと思うが、こうやって事実を重ねて、異なる意見を調整して、より良い形で漁港を再建したことの困難さと、粘り強く交渉や話し合いを続けた「鮪立」の皆さんの歴史には、学ぶところが多いと思う。
さらに、「鮪立」の名を冠した、著名な作家の小説まであることを知り、無知を恥じた。
気仙沼をモデルとした架空の町「仙可海」で生きる漁師の話だ。読めば、龍己さんや、りょーちんやみーちゃんのこれからの生活が、より鮮明に見えて来るかもしれない。
りょーちんが船を進める先には、唐桑半島の早馬山が見えている。その麓には「鮪立漁港」。漁師の誇りを「カンバン」と「鮪立の風景」と「鮪立に住む人の笑顔」で示した、印象深い最終回だったと思う。
この「鮪立」のある「唐桑町」も、独自の歴史がある。実は「唐桑町」にも興味が湧いてきて、いろいろ調べている。きっかけは、唐桑半島の先端近くにある「唐桑町ビジターセンター」だ。稿を改めて書きたい。