気仙沼に感じていた「既視感」の正体に、昨日やっと気づいた!
タイトルのショットは、今日12月2日の丸亀港。光は右からだから、気仙沼の人なら感覚的に「午後」に見えるかもしれない。瀬戸内海に面する香川県の丸亀港は、北北西に向いて開いているので、午前中がこんな感じなのだ。
テレビに出てくる気仙沼港を見ながら、船の種類も、向こうに見える景色も、そんなに似ていないのに、つい昨日まで、この景色こそが、懐かしさの正体だと思い込んでいた。でも違っていたことに気づいた。昨日見た夢で。
これは、私が生まれてから7年ほど住んでいた香川県坂出市南部の、当時の写真だ。中央の赤い十字の所に住んでいた。東には、讃岐特有の〝ため池〟の水面が窓一面に広がり、その先の山から太陽が昇っていた。池の左側に、モザイク模様に見えるのは、当時、山の斜面のかなり高い所までが開墾され、みかん畑になっていたからだ。
さて、夢で気づいたことを分かりやすく示す。左に気仙沼、右に当時の家の付近。同じ縮尺で、方角を変えずにトリミングしたものを並べてみると、こうなる。
お分かり頂けるだろうか、家屋の数は違えども、見える範囲のスケール感、朝陽の差し込む方向が、ほぼ同じなのだ。内湾の角っこに立って見た景色が、私を一気に引き込んだ理由は、幼い頃に見ていた、この場所からの景色と、あまりにも似過ぎていたからだった。波のない穏やかな水面に、水鳥たちが遊ぶところも、同じだった。
「鎌田池」と呼ばれる池なのだが、大きく湾曲していて、小高い丘を抱え込んでいる。これが内湾だと「気仙沼プラザホテル」の位置と重なる。今は、その丘の上に大きな病院のビルが建っているので、一層似て見えるかもしれない。
気仙沼で見た初めての日の出。ここに立てば、綺麗に朝陽が撮れると自然に感じていたのだろう。何も考えず、この場所で日の出を待っていた。
水面に映る太陽の光。こうやって撮った写真を今眺めていても、旅の想い出以上の、不思議な懐かしさが込み上げてくる。この「懐かしさ」や「既視感」も、超個人的な記憶だが、気仙沼を大好きになった大きな理由のひとつだったのかもしれない。
おっと、大切なことを書き忘れそうになっていた。
風の弱い冬の朝は、〝ため池〟の向こうの山の斜面から冷気が下りてきて、しばしば〝蒸気霧〟が立っていた。その見慣れたはずの光景を思い出させてくれたのが、気仙沼だった。これも感謝しないと!