考える時間を持つ義務
自由には責任が伴う。学校でも企業でも自由を全面に掲げている組織は、同時に責任を重視している。
昨今、多様な働き方、自由な働き方に注目が集まり、個人が力を持つ時代になった。SNSを通じたコミュニティや「バズ」による情報拡散はその典型例かもしれない。
働き方が多様化するとともに、CSRの必要性が高まり、投資のトレンドはESG投資へ。今ではSDGsが国際社会の共通目標として掲げられている。SNSでも「共感」がバズに繋がっている。そんな流れの中、かつての利益追及型企業や売上至上主義の会社はトレンドに取り上げらなくなった。言語化しなくても当然に「社会的責任」や「共感できる施策」がKPIの1つになりつつある。
目まぐるしく変わる時代で、働き盛りの僕たちは、毎日、朝から晩まで働いている。忙しく働くことは、ある意味、現実から目を背けられる中毒性がある。社会から求められるものが増え、横文字ばかりがトレンド化するグローバル社会の中、働くことを辞めると、世間から取り残されるとさえ思わせる奇妙な臭いすら感じさせるのは恐ろしい。
こんな時代だからこそ、一息入れて考える時間が必要だ。受動的になるのではなく、能動的に動けるように自分で考える。考えるためには、絶対的な時間の確保が必要なのは多くの人がわかっている。多くの人が仕事を出来る限り早く切り上げ、考える時間を確保したいと思っている。
現実には、目の前のタスクをこなしていくうちに、あっという間に1年経っているなんてことはザラにある。その場その場では皆全力で頑張ってるのだけど、1年経って振り返ってみると何を目指して働いてきたのか良くわからないことだってある。雇われている身分であれば特にそうだ。その現実を受け止めたときは結構ショックだ。
この現象への解決策としてのジャストアイデアは、とりあえず時間を確保すること。
人は時間があると、あることないこと考えてしまう。良いことから悪いことまで。ストレスがたまることもあるけれど、現実から目を背けていないだけマシだ。
言うのは簡単だけど、やるのは難しい。耳タコの言葉だけど、本当にそのとおり。
この前、とある若手経営者と話す機会があった。彼は、「考えることが自分が最も時間を割くべき仕事だ」と言っていた。言い得て妙だ。彼には様々なユニークなビジネスアイデアが浮かんでいたことは言うまでもない。
そうだ、考える時間が必要だ!
とは言っても忙しい人は多い。
考える時間を持つことは義務なんだ、という文化が浸透すれば何かが変わるのだろうか。
意識的に考える時間を、今日も持ってみる。