私の絵について
自分の絵で新しいものが生み出せないのは、基礎画力が足りないからか?と悩んでいた(いる?)のですが、基礎画力が足りないのは理由としては何か違う気がすると最近思いました。
私は芸術家についてよく調べる時期があったのですが、当然新しい画風が作れないとか行き詰まってるとか、そうやって悩む画家もいて一人だけじゃなく何人かいたと思います。
ですが彼らは確か基礎画力を身に着けたとか書いてたし、そりゃそうですが少なくとも独学でしたきたゆえの壁と指摘している文章はなかったです。
基礎画力があれば発展性、テイストに幅が出るのはたまに画家さんのいつもと全く違うテイストの絵を見れば、かなり分かる事です。
だから理由をそこに求めてるのが、これも背景としてあります。
それでも基礎画力とは画風に幅を出すための手段の一つであって、絶対的にこれしかないとは言えなさそうです。
私に関して言えば、基礎画力がないのが自分がプロとしてやっていく事の基盤です。
私の絵は子どもが描いたようなテイストなままの、大人としての発展性であって、基礎画力を鍛錬させたら違うと思います。
大半の子どもは基礎画力を鍛錬しないで自由に絵を描いてるし、仮にデッサンとか実際の光の当たり具合を学ぶとかやって描いたら、嘘になると言うか自分の絵は見た目は変わらないとしても完全に別の道を歩むことになりかつ、元に戻れません。
(基礎をもう知ってるから)
言わばアートの背景についても同等です。
村上隆さんの『芸術闘争論』では、アートで戦うには歴史背景を深く知らないといけないと書かれています。
ですがほとんどの子どもは別にアート背景について深く知っているわけじゃないし、私が芸術のバッググラウンドを深く知ってから描きますよも、同じように本物になれない別物になります。
大人の私は広く浅くを中途半端にやってて、アートについても全く興味ない人よりかは詳しい程度です。
また私はピアノを絵よりもかなり中途半端にやったり、ゲームをしたりするわけですが、これらが反映されなくて悔しいなと思います。
ですがこれも子どもは別に自分の見解を意識しないでやってるのと同じで、出ようが出まいが仕方ないかもしれません。
(子どもの絵が見聞きしたものが反映されているとは、限らないので。)
ですが大人の私は同時に幅広いテイストが描けないと悩んでいます。
これは「子どもは色んな事を深く知らないで、反映させないで」やってる理論と矛盾してるかもしないので、プロ失格かもしれません。
しかしだからこそ、私自身の確固たる基盤を大事にしないといけないはずです。
とにかくその上で新しいものを生み出すには?と、自分に問った時「時間をかけて一つの絵を描く事だな」と思いました。
ずっとそれをやっている毎日新作を見せるInstagramの絵は、とにかく間に合わせるようにしないといけません。
締め切りや予算等に追われるアーティストやクリエイティブ職のように、完成度だけを考えるわけにはいきませんがそれでも時間をかけると言う苦労をどこかでかしないと駄目かもしれません。
自分自身が新しいと感じた自分の絵は全部がそうじゃないと思いますが、多くが時間をかけましたし、しんどいのだけど自分が振り返って見て楽しいのはそっちの方が多いです。
また新しい技法もそうやっていればいつの間にか身に付いていますし、新しい技法を検索して練習しても正直楽しくないと思ってしまいます(笑)。
そしてそれは絵に限らず自分自身のみでもなくて、新しいものを生み出したい多くの方にとっても、作りながら葛藤してみるのは大切なんじゃないでしょうか?
元々時間かけてるよと言う人も同等です。
自分の慣れた仕方でしがちになると思うので、例えば30分もがく時間を追加するとか少しでも取り入れるとかしても良いかなと思います。