「一つのことを私は主に願った。」
「一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。
私のいのちの日の限り 主の家に住むことを。
主のうるわしさに目を注ぎ その宮で思いを巡らすために。」
(詩編 27章4節)
神学校の最終学年、インターン生になるに当たって、私にはとっても楽しみにしていることがありました。
それは、「教会に住む」ということでした。
私は一般信徒の子どもでしたから、それまで教会に住んだことはありませんでした。
ところが、インターン生になると、神学校に帰ってくるのは週に1日だけで、残りの6日間は遣わされている教会で暮らすことになるのです。
「神様の家で暮らせるなんて、なんて素晴らしいんだろう!私は24時間、365日、神様の家にいることができるんだ!」と喜びにあふれる思いがしました。
その喜びを修養生仲間に分かち合ったら、「自分は牧師の子どもで生まれたときから教会で暮らしているから、その感覚は分からない」と言われました。
なるほど確かにその通りです。ずっと神様の家で暮らしていたのなら、それが特別嬉しいという感覚はないかもしれません。
私たちはこの地上で暮らしていて、神様を見たり、手で触れたりすることはできません。
神様の声を直接聞くこともありません。
しかし神の国が完成するときには、私たちは永遠に神様と共にいることができるのです。
直接顔と顔を合わせて、主のうるわしさを見て、その宮で暮らすことができるのです。
想像しただけで、なんて素晴らしいのでしょう!と思います。
私たちが今神様を見ることができないからこそ、見たときの喜びは計り知れないものなのでしょう。
そのときを楽しみに、今日も神様を期待して歩み続けるのです。