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ヘラの息子

ギリシア神話 第四話

 さて。毎度おなじみゼウスさん。

 浮気し放題、そのうえ浮気した相手と子供作り放題の性格破綻者ですが、もちろん正妻ヘラ姉さんとの間にも子供をもうけてます。

 その代表格が、なんといっても「アレス」くんでしょう。ローマ神話では「マルス」と呼ばれてますね。

 すいません、ローマ神話の話が出たんで、ちょっと脱線。

 そもそもですね、ギリシャ神話と言うのは、紀元前八世紀ごろの、ホメロスの「イリアス」と「オデュッセイア」や、だいたい同時代のヘシオドスの「神統記」と「仕事と日々」なんかを元にして、いまに伝わってるわけです。もちろん、ギリシャ神話の起源はもっと古くて、ホメロスにしてもヘシオドスにしても、ずっとむかしから伝わっている伝説を、それぞれ自分なりに、壮大な叙事詩に仕立て上げたわけなんです。ぼくはたまに「神話作家」って言葉を使いますが、これ、あながち間違った表現ではないんですよね。

 さて。時代はローマ時代になります。古代ローマのラテン文学に描かれている神話は、いわゆる、大部分がギリシャ神話の翻訳なんです。完全な翻訳ではなく、書き換えられた部分もありますが、まあ、ギリシャ・ローマ神話というふうに、一括して、ひとつの物語と考えてもいいでしょう。ただし、このエッセイでは、ぼくがとくに必要だと感じない限り、ギリシャ神話の方を「通説」として扱います。

 話を戻しましょう。

 アレスくん。彼を表現するのは簡単です。残忍。この一言ですね。はい。お察しのとおり、彼は「戦争」の神様です。じつはアレスくん、彼って双子でして、アポロンとアルテミスと同じく、姉妹がいます。その名は「エリス」。一見、美しい名前ですが、前に書いた「黄金のリンゴ」事件を引き起こした、「不和」の女神。しかも、彼女の恨みは未来永劫続くと言われる恐ろしさ。なんちゅう双子でしょうか。この二人、年中一緒にいまして、アレスの戦車に乗って、暴走行為を繰り返していたようです。いやマジで。アレスの駆る戦車に乗ったエリスが、黄色い声を上げて喜んでいる描写があるんですよ。怖いよねえ。近づいたら、鉄パイプで殺されかねませんぜ。

 しかし…… つくづくヘラさんって不幸ですね。夫が浮気して作った子供たちが、みんな優秀なのに、せっかく生んだ子供がこれですよ。かわいそう。ヘラさん泣くな。がんばれ。明日はいいことあるぞ。え? また、夫が浮気するわよ! ですって? ううむ。ごもっとも。

 また、話がそれた……

 そんなわけで、アレスもエリスも、オリュンポスの神様たちから嫌われていました。ただ、ハーデスとは仲がよかった。なぜって、ハーデスは冥界の支配者。アレスがどんどこ戦争を起こしてくれたおかげで、ハーデスの国は死者であふれかえり、繁盛(?)したんですな。つまりお得様。なんか、悪代官と悪徳商人みたいですな。そちも悪よのう。

 で、ハーデスくんとアレスくんが結託しているだけなら、まだ問題は少ないんですが、ここで、もう一人だけアレスくんと、仲良しになってしまった神様がいるんです。その人の(人じゃないか)名は、「アフロディーテ」。彼女もローマ神話風に言いますか? そう、ヴィーナスです。(美の女神ヴィーナスより、ヘラ姉さんの方が美人だと、わたくしは主張いたします。念のため)

 アフロディーテ。美の女神のくせに、なんでアレスなんかと仲良しに? という疑問をお持ちのあなた。あなたはアフロディーテの性格をご存じない。彼女はですね、ものすごーく、男好きなんです。女版ゼウスですよ。数え切れないほど子供を生んでますが、その子共の父親も、子供の数と同じように数え切れません。

 それにしても、なんでアレスなんか好きになっちゃうの?

「わかってないわねえ、あの切れたところがいいんじゃない。野蛮で男くさくて、わたし、好みだわァ」

 ということらしいです。もちろん、アフロディーテにプラトニック・ラブなんてものは存在しません。アレスくんとも、さんざんベッドをともにしまして、ポボス(恐怖)という息子と、ハルモニアという娘を生んでます。(ハルモニアの話は、またいつか)

 ちなみに、アフロディーテは結婚してます。夫の名前はヘパイストス。なんと、このヘパイストスはヘラの息子。アレスとは、一応兄弟(一応です。理由は後記)。ふだん、温厚で優しいヘパイストスは、妻の浮気を、ことごとく許してきました。が、アレスとの浮気だけは許せなかったらしいんです。兄弟の間の怨念は、他人同士よりも根が深くおどろおどろしいってのは、よくある話ですが、この場合は、ヘパイストスも、他の十二神と同じく、アレスを忌み嫌っていたからでしょう。

 ヘパイストスは、アレスとアフロディーテの浮気の現場を押さえるべく、蜘蛛の糸より細い鎖で網を作り、それをベッドに仕掛けておきました。で、そんなこととも知らずに、昼間の情事というか、ピストン運動というか、とにかくベッドで激しく(たぶん、野獣のようでしょうな)励んでおられるアレスとアフロディーテを、一網打尽…… って変な言い方だな。とにかく捕まえちゃいました。

 ヘパイストスは、そのまま二人を(つまり裸のまま!)オリュンポスに引き連れていって、十二神の前で糾弾します。

「みなさま! こんなことが許されていいのでしょうか! どうかアレスと、わが妻アフロディーテに、罰をお与えください!」

 よくやったヘパイストス。厄介者アレスを追放する口実を作ってくれたな。と、十二神の方々が喜ぶかと思いきや。みなさん、けっこう悩んじゃいました。アレスはゼウスとヘラの息子ですぜ。まさしく直系。ヘパイストスもヘラの子供ですが、じつは彼、母親のヘラから嫌われてて(その理由は、あとで書きます)、あんまり立場は強くない。

 うーん、困った。ここは一つ、ゼウスが裁断を下してくれれば。と、神様たちも思ったでしょうが、それは無理な話ですよ。だって、ゼウスもアフロディーテと浮気してますからね。そりゃアレスに罰は与えられませんわな。そんなことしようもんなら……

「父ちゃんだって、やってるじゃねーか!」
 と、アレスくんに言われるのがオチ。
 で、そのあと。
「まっ! なんですって! あなた、ホントなの?」
 と、ヘラに睨まれて、
「いやその、なんというか、まあ、話せばわかる」
 なんて、しどろもどろになって、
「ちょっと、お話があります。こちらへいらっしゃい」
 と、ヘラ姉さんに耳を引っ張られる。
「いてててて、こら、やめんか、みなが見ておるだろうに!」
「黙らっしゃい!」
「ひええええ」

 ま、こういう具合になるのは目に見えてる。だからゼウスも、なーんにも言えない。やだねえ、叩けばホコリが出る身って。(しかも出過ぎ)

 そこで、事態の収拾に乗り出したのがポセイドン。彼はゼウスのお兄さん。けっこう発言力あります。

「まあまあ、ヘパイストス。気持ちはわかるが、アフロディーテの性格を考えてごらん。仕方ないじゃないか。笑って許せとは言わんが、ここは一つ、怒りを抑えて、許してやってはくれんか。な、わしの顔を立てると思って。どうかね」

 うむむむ。ポセイドンに、そう言われたのでは、ヘパイストスも怒りを収めるしかなく、この一件は、無事(?)解決したのでした。後日、ことを納めてくれたお礼に、アフロディーテがポセイドンに、手厚いお礼をしたのは言うまでもありません。

 え? どんなお礼かって? あんた、そりゃ聞くだけヤボでしょ。ポセイドンも、最初から狙ってたんですな。なにせ、アフロディーテは美の女神。ポセイドンも、そりゃクラクラ来てたことでしょうよ。まったく、どいつもこいつも…… 

 ま、アレスについては、こんなもんでいいでしょう。というか、ぼく自身、あんまり好きじゃないんで、この男については、これぐらいしか知りません。

 というわけで、つぎ行ってみよう!

 おつぎは、さっきから話題のヘパイストスくん。彼はヘラの息子です。が、どーいうわけか、ゼウスの息子ではありません。

 えーっ! ヘラさんも浮気したの!

 と、叫んだあなた。なんてこと言うんですか。ヘラ姉さんが、浮気なんかするわけないじゃないですか。そりゃ、彼女は怖いですよ。性格破綻者ですよ。でもね。夫を愛してるいい奥さんなんです。ゼウスが浮気さえしなけりゃ、彼女こそが美の女神と呼ばれるべきなんですよ……

 すいません。どーも、話がそれるな。

 ええと、ヘパイストスはですね。ヘラが一人で作った子供です。なんて器用な。と思いますが、そこは神様。なんでも出来る。いつもいつも浮気して、どこぞで子供をこさえてくる夫に、ほとほと腹を立ててるヘラさんは、ふん。だったら、わたし一人で子供を作ってやるわよ。と思い立ちました。なんで、そんなこと思うかね、しかし。

 ヘラさんは、おバアちゃんのガイアに頼んで、「妊娠の秘薬」をもらいます。それを飲むと、たちどころに、あなたも妊婦という薬。なんちゅー、恐ろしい薬じゃ。で、それを飲んで妊娠したヘラさんは、頭からヘパイストスを産み落としました。そう。頭から。変な薬に頼っちゃいかんよ。

 さて。こうして、複雑(?)な事情で生まれたヘパイストスは、事情が複雑なだけに、身体がねじ曲がった醜い姿で生まれてしまいました。生まれたばかりのヘパイストスを見たヘラは、たいそうガッカリして(おい。自分の子だぞ)、オリュンポスの山から投げ棄ててしまいました。だから、自分の子供だぞ! ヘラ姉さん、そりゃ、あんまりじゃねえか。いくらなんでも、あんた…… うーむ。この部分だけは、ヘラ姉さんを許せませんな。

 しかも、山から落ちたヘパイストスは、足を折ってしまって、一生、足が不自由な身体になってしまいました。というか、よく死ななかったね。(ま、神様ですから)

 でも、捨てる神あれば拾う神あり(この場合、まさに神です)。ヘパイストスは、海の女神、テティスに拾われ、彼女に育てられました。ヘパイストスは、成長するにつれて、工芸にすばらしい才能を発揮するようになり、育ての母テティスのために、宝石に命を与え、海に泳がせました。それが熱帯魚です。テティスは、美しい魚たちが泳ぐ様を見て、たいそう喜んだとか。

 ちなみにテティスさんですが、彼女の実の息子(つまり、お腹を痛めて生んだ子供)は、かの有名なアキレウスくんです。ヘラクレスをのぞけば、ギリシャ神話中、もっとも偉大な英雄です(ぼくは、アキレウスが偉大だとはちっとも思わないが)。テティスさんは、つくづく、偉大な母親ですね。

 と、まあ、優しいテティスのおかげで、逆境にもめげず、いい子に育ったヘパイストスなんですが、本当の母親ヘラに対しては、やはり複雑な思いを抱いていたようです。彼女に好かれたいとは思わない。というか、自分もヘラを好きではない(そりゃ、そうでしょう)。でも、正当な神の座を認めてもらいたい。そんな風に思っていたらしいのです。なにせ彼はヘラの子供。オリュンポスを支配する神の列に加わる資格があるわけです。

 で、ヘパイストスは、ヘラに贈り物をします。それは黄金で作られた椅子。

「ヘパイストスが、わたくしに贈り物ですって? ふん。一度捨てた子供の贈り物なんか、ほしくもない…… あら…… なんて美しい王座でしょう」
 と、さすがのヘラもヘパイストスの芸術品に興味を持ちます。で、つい座ってしまったのです。

 が!

 ここに大きな罠があったのです。その椅子(王座)は、座った者の手をふん縛って、絶対に離さないと言う、拷問器具まがいのシロモノだったのでした。

「きゃーっ! なによこれ! いや、やめて!」

 さすがのヘラさんも、ヘパイストスの優れた装置に手も足も出ない。そこへ、ヘパイストスがやってきて、こう言います。

「お母さん。いや、あなたを母などと呼びたくはないが、ぼくが、あなたの息子であることは間違いがない。だから、ぼくはオリュンポスの神々の列に加わる資格がある」
「だ、だからなによ!」
「ぼくをオリュンポスに迎え入れてくれれば、その手を自由にしてさしあげます」
「ひ、卑劣だわ! わたしは、絶対に認めません!」
「では、永遠にその王座に座っておられるとよい」
「くっ…… わかったわよ。わたしの負け」

 と、いうわけで、ヘパイストスは、みごとオリュンポスの神々の列に加わり、ここにオリュンポス十二神が確定したのでした。

 ですが……

 ええと、これで黙ってるヘラさんではありません。ヘパイストスに仕返しを考えます。あのアフロディーテと結婚させれば、ヘパイストスは、妻の浮気に悩み苦しむだろうと思ったのです。ヘラさん、そりゃ自分が夫の浮気に悩んでるからって、息子にまで自分と同じ苦しみを与えるなんて、なんて母親でしょうか。ハッキリ言って、ヘラさんは母親失格ですな。

 そんないきさつでアフロディーテと結婚したヘパイストスなんですが、なんと、ヘラの思惑は見事に外れ、ヘパイストスは、すごく、すごく、喜びました。だって、醜い自分に、美の女神を与えてくれたんですよ。いままでヘラに恨みを持っていたヘパイストスですが、「ああ、母さんは、ぼくを本当に認めてくれたんだ」なんて、大きな勘違いをして、すっかりヘラを許してしまいました。もっとも彼は、ヘラのいるオリュンポスで過ごすより、シシリアのエトナ火山の火口にある、自分の仕事場を好みましたけどね。彼、すごく仕事好きなんですよ。そして、仕事以上に、アフロディーテのことを愛しました。彼女の浮気もすべて(アレスを除き)許すという寛大さ。

 さすがのヘラも、ここらで改心。彼女もヘパイストスを認め、和解成立。以後、この二人に争いは起こりませんでした。

 ああ、よかった。ヘラさん、最後は物わかりのいい女になった。めでたし、めでたし。

 ええと、今度はゼウスとヘラの「娘」について書きたいんですが、それはつぎの機会にいたしましょう。この子がまた、ぼく好みのいい子なんだよねえ。お楽しみに。

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