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夜行樹

秋の訪れを感じさせる肌寒い夜
夜行樹の花が妖艶な香りを放つ
この時期に
菅野さんのことを思い出す...

俺が中坊で
菅野さんが故郷の福島を離れ
長崎で大学生活を送っていた頃に、ひょんな事から
俺達は知り合いになった。

同じ東北出身ということからか
寺山修司と太宰が好きで
JAZZを、こよなく愛していた。

破れた襖に食い残しのラーメン、本が山の様に積まれた
菅野さんの下宿屋の部屋には
当時では似つかわしくないくらいの高価な真空管のステレオが置かれていて
そこでは、いつもJAZZが流れていた。

そんな菅野さんの部屋を訪れると、俺は何だか大人になった様な気になった。

東北人だからってのは
俺の勝手な憶測だけど
菅野さんは酒が強かった。
いつも手酌でコップにウヰスキーを注いでは
一人で角砂糖をツマミに呑んでいた。

テッちゃんも食うか?

と、時々角砂糖のおすそ分けを頂いたりして
寒い下宿部屋では、その甘味だけで心の芯まで暖まった気がした。

いつか学校帰りに菅野さんの部屋に行き
ノックもしないで入ると
菅野さんと女の人が裸で抱きあっていた
あの罰の悪さ...

菅野さんは

テッちゃんか?
まぁ上がれよ。

と言いつつ毛布を羽織り
コップにウヰスキーを注ぎ一息に飲み干した 

隣の女の人は布団に包まり一言も話さなかった。

僕はその場はすぐに、おいとまして

ほとぼりが冷めた頃に
また菅野さんの所に遊びに行った。

テッちゃん、これ読めよ!

て言って貰ったのは
ヘッセの「車輪の下」と
ジイドの「田園交響楽」だった。
どちらも切ない哀しい小説だった。
ハンス.ギーベンラートという主人公の名前が妙に印象に残っている...

菅野さんは、年上だろうが中坊だろうが
議論するときは容赦なく噛みついたし
それはなぜだか俺も嬉しかった。

JAZZは九州人になんか解らないよ!

と切り捨てられた事があったけど
マイルスのビッチズブリューの
あの研ぎ澄まされたトランペットの音は
確かに九州にはない
冷たい響きがあった。

菅野さんは卒業して関東の方に行くまで
何かと俺に世話をやいてくれた
着古しのダッフルコートやツイードのジャケットなんかも俺にくれたし
その煙草臭い洋服は
更に俺を大人な気分にしてくれた

俺も、当時多くのローティーンが、そうであったように室生犀星ではないが、性の目覚める頃で
そのことに関しても
菅野さんが、物おじもせずに、俺を一端の人間として扱ってくれ
いろんな事を教えて貰った。
菅野さんの下宿から帰る時には
菅野さんから貰ったヌードグラビア付きの平凡パンチやOH!等を学生鞄に隠し持って帰り、
家族に解らない様に押し入れにしまい込んでは、時々出しては眺め
性欲のはけ口にした。

何から何まで
菅野さんは俺の質問に隠し事せずに応えてくれたし
俺も菅野さんには何でも話せた。

俺のいろんな趣味やカルチャーは菅野さんに教えて貰った事が、
枝葉になった様に思う。

そんな菅野さんとは
卒業後も、暫く文通したり、電話等があったりして
相変わらず菅野さんのパワーには驚かされた
仕事しながらも、ちゃんと音楽も聞いていたし
オススメの本なんかも
その時に知る事が出来た。

そうこうしているうちに
俺も進学したりで
環境が変わり
菅野さんとの連絡も疎かになっていった。

余所の土地を後にして
長崎で就職することになり
菅野さんとの連絡は全く途絶えてしまった。

俺自身も仕事などで、何かと忙しく、菅野さんの事は全くと言っていいほどに忘れかけていた。

営業の仕事にも慣れ、仕事にも馴染んできた頃

菅野さんから会社に電話があった。

テッちゃんか?
元気にやってるみたいだなぁ。
今、長崎に来てるんだ。
よかったら会えないか?

と言った内容だった。
俺は突然の菅野さんの電話に面食らったが
昔の想い出が頭の中で、ぐるぐると駆け巡り
退社後に菅野さんに会う約束をした。
ワクワクする気持ちと
菅野さんが今の俺を見てどう思うか、多少の緊張も備えながら約束の思案橋の四つ角に向かった。

俺の方が早く着いた様子で、菅野さんの姿はまだ見えなかった。

テッちゃん!

と、聞き覚えのある声。

ふと振り返ると、そこに菅野さんが立っていた。
菅野さんは少し小さくなった様な気がした。
伸びきった髪は所々に白髪が混じり、くたびれたコーデュロイのジャケットに膝の出たジーパン、ボロボロになった革靴。
おおよそ、オシャレだった昔の菅野さんからは想像も出来ない格好だった。

久しぶりですねぇ!

昔のタメ口とは違い大人な挨拶が最初に俺の口から出たのには俺自身が驚いたし長い時の流れを感じた。

思案橋のグルメ通りの
焼鳥屋に入り、俺達は、まずはビールで久々の再会に乾杯した

それから菅野さんが大学卒業後に商社に入り、海外を渡り歩き、香港でフランス人の女性と結婚したが上手くいかずに別れてしまったこと
商社の歯車になっている自分に嫌気がさして 
退社して、その後退職金で全国を歩き回って絵を描いていて、時々それを売って生活のたしにしていること
そんな菅野さんの絶妙な語り口は昔と変わらず聞くものを虜にしたし、菅野さん自身も楽しそうに語っていた。

描いた絵を見せてくれて
ここではこういう事があったとか、こんな人間に会ったとか
菅野さんは世間という歯車から逸脱して、まるで仙人にでもなったかの様な感じだった
全ての欲望や煩悩を削ぎ落とすと、
きっと菅野さんみたくになるのかもしれない。
と俺は思った。

焼鳥屋を出て、
菅野さんと昔よく行ったJAZZ喫茶に向かった。
JAZZ喫茶は昔と違ってJAZZではなく歌謡曲が流れていた。
菅野さんはウヰスキーのロック、俺は水割りを頼んだ 
気を利かせてマスターに歌謡曲ではなく
JAZZをかけてくれないか交渉したが
菅野さんは

テッちゃん。
これがいいんだ、これがね。
いいよ〜こういうのがね。ハッピーにしてくれる。

と少し酔いの回った菅野さんは呂律の回らぬ舌で拍子を首でとりながら笑顔でそう言った。

それから俺達は会社で利用っていた丸山のスナックで上司がキープしたウヰスキーを全て飲み干し、新しいキープを入れた。
菅野さんの引き付ける口調はスナックでも大人気で、帰り際に女の子からキスをプレゼントされ
菅野さんも上機嫌だった。

それから眼鏡橋近くのパブで俺がキープしたボトルを飲みながら

テッちゃん似顔絵描いてやるよ!

と言いながら真正面に座る俺の顔を見ながら
スケッチブックに俺の絵を描いてくれた。

菅野さんが描いてくれた似顔絵は太いタッチで、いかにも菅野さんらしい作風だった。
ただ俺に似てるかと言われたら、そうでもない様な気もした。

俺が突っ込むと

菅野さんは

テッちゃん!絵というのは、ここだよ!

と自分の胸を指差した。

俺は笑顔で頷いた。

パブを出てから、俺達は中島川沿いを千鳥足で歩いた。
二人とも、随分酔っ払っていた。

東新橋近くで菅野さんは

テッちゃん。
ここでいいよ。
宿は、すぐそこに取ってあるから。

そう言いながら、俺の手を強く握りしめて

テッちゃん。ありがとな。ありがとな。

と何度も礼を言った。

宿まで送るよ!

と俺が言っても

いや、いいんだ。
ここが、いいんだ。
ここで、いいんだ。
宿まで送られると、そのあとが寂しくなるじゃないか!

そう言いながら俺の手をまた強く握り絞めて
なんども、ありがとうを連呼した。

そうやって、俺達は別れた。

菅野さんは俺の姿が見えなくなるまで手を振ってくれた。

俺も何度も振り返っては手を振り返した。

菅野さんと会ったのは、それが最後だった。

それから何ヶ月か過ぎて 

菅野さんの親友川崎さんから
菅野さんの訃報を聞かされた。

肝臓が相当悪かったらしい。

路上生活者みたくな生活で全国を転々と歩き、スケッチして回っていたとの事...
まるで山頭火ではないか...

俺は、あの時何故あんなに酒を飲ませたのか...
何故あの時にうちに泊まらせなかったのか...
忙しさにかまけて何故もっと連絡してやれなかったのか...
いろんな事を後悔した。

菅野さんの骨の一部は
菅野さんの友人達勇姿らが集まり、
彼の故郷である会津磐梯山の頂上から粉にして散布され、供養されたらしい。

菅野さんの死に顔は、とても穏やかで
笑顔を浮かべていたと
川崎さんは言っていた。

何が幸福なのかは解らないけど
きっと菅野さんは自分に正直に生き抜き幸福な人生だったのだろうと思う。

あんな無頼漢とは、これから先も二度と会う事はないだろう。

あの最後の日に、
俺が飲み代を全て出したお礼にと貰った俺の似顔絵は
俺の袖机の上から三番目の引き出しに納めてある

菅野さんの命日に
それを取出し 

似顔絵の前にコップに入れたウヰスキーを供え
二人で乾杯して
菅野さんに話しかける

菅野さん...
下手くそな絵だねぇ...
それじゃ画家になんかなれないよ...

そうやって、菅野さんに憎まれ口を叩くのが俺の一番の供養だと思っている。

庭では
今夜も夜行樹が
むせ返る様な妖艶な香りを放っている。