白か黒か
先輩がインスタのストーリーでこんな事を言っていた。
「社会が不寛容になってきていると感じる。白か黒か、正義か悪か、正しいか間違いか。グレーを認めない人が多すぎる。自分と異なるものを恐れすぎ。恐らくそれは無知が原因。情報がありふれ過ぎて無知になる不思議。」
と、口調は違うがこんなことを言っていた。
確かになと思った。で、情報がありふれ過ぎて無知になる不思議について考えてみた。
技術やシステムの発展で人類は生活の負担を軽減してきた。もう石や摩擦で火を起こす必要はないし、社会全体で仕事を分担し効率的な仕組みを作り上げてきた。
基本的にビジネスでは効率的でないものは劣る。芸術や工芸などはそうとも限らないが。
街中もそうだ。道路は舗装され、植物も管理せれている。
イレギュラーを嫌う人が増えたんだと思う。何かあった時に苦情を言う人と、自分の立場を守りたい人がどんどんイレギュラーが起きない環境を作り出し、それが社会にまで広がっているんだろう。
この時代いろんなものをカスタマイズできるようになった。車・コーヒー・ニュース・SNS・時間など。Youtubeや広告、タイムラインもAIがまぁ嫌いではないぐらいのものをおすすめしてくる。その制度はどんどん増していくだろう。自分の思い通りにならないことを受け入れる耐性も昔に比べて落ちてきているのかもしれない。昔に比べてデフォルトの満足度は低下し、つまらなさ感じるようになったのだろうか。それは単なるわがままか、むしろ多様化か、。
ネット上には確かに情報がありふれているが、興味のないものはネットにあろうが取りに行かないし、自分やAIが情報をカスタマイズしている。それが”情報がありふれているが無知になる不思議”のカラクリか?白とグレーと黒の価値観は違う。
ま、なんかそんな単純なことじゃないし、いろんな事象が絡み合ってそうなってるに違いないけど、対立構造の方が単純で分かりやすいし、中間じゃなくてどっちかにしてくれたほうが管理しやすいんだと思う。それはある人の脳のネットワークかもしれないし、日本社会のネットワークかもしれないし、人間のネットワークかもしれない。単純化する多数決的なことが起きているのかもしれない。
いろんな情報が流れる社会だけど、嘘・本当あるし、真実がネットにない可能性もある。ただ受け身だとかなり偏っていくと思う。そもそも、完璧に正しいなんて人はいないかもしれないし、全員正しいかもしれない。
さて、昨日は作品のメイキングをリールに投稿しました。気になる方は見てね