
「子供のいない人生」アンサー
片道5時間のバスに揺られ、数年ぶりの実家に帰省しました。弾丸で帰宅したので往復で10時間のバス旅。腰と足がボロボロ。
姉に子供が産まれ一ヶ月経ったので、姪っ子に会いに行きました。ジタバタしたり、大の字で寝たり、初めて会う人の顔を見て怪訝な顔をしたり面白いし可愛いなぁと思って楽しい帰省になりました。
ただ正直、「予期せぬ動きや顔をする小さな生き物」としての子供は可愛いけど、人間の子供が可愛いとは思わず自分の人間性のなさを痛感して悲しくなりました。
DINKs
我が家は所謂DINKsです。反出生主義に納得のゆく部分があり、またそれに対する自分なりの否定をすることができなかったため子供を産むべきではないという結論に達し、パートナーを説得しました。また、子供を幸せにできる環境(金銭的、文化的)を作ることができないのではないか、とも思っての選択でした。
避妊に関してもパートナーへの負担を無くしたく、子供ができないようパイプカットという方法を取ったため自然妊娠は限りなく0に近い状態です。
自分の幼少期の気持ち、妊娠出産における男女の非対称性、男性の加害性など自分のモヤモヤを解消するためにパートナーにも決断を迫ってしまいましたが後悔はしていません。
姉の出産
姉に子供が産まれ、パートナーと共に会いに行きました。
他人の子供としては可愛いと思いますがやはり自分の子供が欲しいとはおもえず、羨ましさや後悔は驚くほど全く感じませんでした。
(血縁の?)子を抱くという経験をしてもそう思わないなら、何年経っても後悔はしないんだろうなと改めて思いました。
パートナーには捨てた選択肢の未来を見せてしまうようなことをさせてしまい申し訳ないな、とは思いました。ただ、どちらかを選ぶしかない2択はどちらを選んでも互いに羨ましく感じることばかりだとも思います。隣の芝は、手に入らないほど青く感じるものだと。
パートナーへの気持ち
一つ、姪に会うことで感じたのは自分の冷たさでした。こんなにも子供を見ても何も感じないものかと。(いや、可愛いとは思うんですが)
正直、公園を散歩している犬を見た時の方がときめきますし、パピーを抱いた方が感動しそうな気すらします。犬、フォーエバー。
しかし、パートナーに対する愛情と、パートナーと共に人生を歩みたいのであって子供と歩みたいわけではないということも改めて感じました。
パートナーには楽しく生きて欲しいし、旅とかをさせてあげ たい、人生を他のものに縛られて趣味などを犠牲にさせたくないなと。
もちろん自分も。服、香水、本、旅…etc。つまらない生活は長いですが、楽しく生きるには人生短すぎるので自分が抱えられるものはせいぜいパートナーと一匹の犬くらいでしょう。
子供を産まない選択をしたからには、それに伴う責任というか、代償はあります。ただ、逆も然りで子供を産む選択も同様です。
自分はパートナーと犬を幸せにするために生きようと思いますし、自分に子供がいなくともより善き世界になることを祈り、行動はするつもりです。
姉、出産本当におめでとう。優しい旦那さんと幸せに暮らしてくれ。
パートナー、その分幸せにするので大丈夫。隣の芝が青いならうちは七色に芝を光らせよう。エレクトリカルパレードみたいな庭にしたる。
犬、今日もおしっこをはずしたね。最近めちゃくちゃ外すね。でも可愛いね。長生きしてね。
おわり。
